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RRのエピソード:声楽授業(13)ボローニャ音楽院-2- [ L.Magiera著:RR]

8月27日の記事の続き。
ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(私)は、ある日、学長室に呼び出されます。どうして呼ばれたのかわからないマジエラと学長代理リディア・プロイエッティ女史との会話が続きます

「ちょっと、あなた、ボローニャでは、チェーザレといえば皇帝ではありません。有名な"arbiter elegantirum"、、、」と彼女は面白がって説明した。この超現実的な会話に、私はいたたまれない気持ちになった。
彼女は、充分に楽しんでから、真顔にもどって言った。
チェーザレはこの街では有名人なんです。あなたが、バニャカヴァッロから来たことを忘れていました」
モデナです、学長殿、じゃないリディア」私は、ちょっと冷静に答えた。
「あら、ごめんなさい、モデナでしたね。それで、このチェーザレは、ボーローニャで一番おしゃれな紳士服の店、ご存知でしょ、"Due Torri"の角にあるメルカンツィア広場のあの紳士服店、その店のオーナーである以上に、この街で一番有名な音楽愛好家の一人でもあるんです。彼自身、夕方には、突然、興行主に変身するんですよ。そして、ライオンズクラブ第12,だったか第13支部だったかでバックアップしてくれて、オペラの公演を盛り上げることを最高に楽しんでいます。ライオンズクラブというのは、フォンダッツァ通りにある、要するに画家のジョルジョ・モランディの家の近くなんですけど、あなたがそれを知っているかどうかしりませんが、とにかくモランディの家の斜向いにあります。」
「もちろん、ジョルジョ・モランディを知っています」
彼女は、私の文化的知識に探りを入れるつもりのような印象を持った。それから、私の出身地がバニャカヴァッロという、皮肉っぽい冗談は愉快ではなかった。バニャカヴァッロは、小さな町ではあるが、音楽に関しては、最も尊敬すべき伝統的文化がある町であることは誰でも知っていることだが、、。
それ故、私は、自分の生半可な知識をさもよく知っているように話し続けた。
ジョルジョ・モランディは、De Chirico、De Pisis、Campigli、 Sironi、 SavinoとCasoratiとともに、今日の偉大な画家の一人であると考えられます。 Casellaのあのすばらしい肖像画の作者でもあります。」
しかし、プロイエッティは、 絵画の余談をあまり歓迎してないようで、チェーザレの話を平然と進めた。
チェーザレがどんなに最高に楽しい人かというと、歌がとてもうまくて、オペラティックな美しい声で、実に物まねがうまい芸人なんですよ。ある夜、私は、”Il lacerato manto”を歌っているのを聴きましたよ。」
私は、あきれて、彼女の話を遮った。
「それを言うなら、”Il lacerato spirito”です。あなたが、”Vecchio Zimarra”と混同していないのでなければ」
ついに、大きな敬意を持って、彼女は私を見つめた。

「あなたの言う通りです。つまり何が言いたいかというと、チェーザレ氏には息子がいます。正確に言えば、三人息子がいます。三人ともとても魅力的で上品で背も高くて体格もいい。それだけでなく、末っ子のルッジェーロは、とても興味深い声を持っていると私は思っています。Carlo Alberto Cappelliは、経験豊富で間違った人選をしません、その彼がボローニャ歌劇場の合唱指揮者にあなたを任命しましたね。そこで 私は、歌の教師を探しているこの青年をあなたに任せようと考えました。しかし、だめにしないように注意して下さい!」
彼女は、私が抗議するのを見越して、即座に続けて言った。
「はいはい、もちろん大部分の歌の教師は、思い上がってバカなことや、もちろん生徒達の声をだめにするようなことはしないことを知っています。」
彼女は、また冗談めかして言い始めた。そこで私は、それをやめさせようとして言った。
「しかし、リディア、あなたは、数ヶ月前に、もはや誰も受付しないように先生方に命じました。入学登録の期限は、とっくの昔に締め切られているではないですか。」
「おや、官僚的な規則主義者になることはないでしょう、今は。入学登録の受付は、月並みな人達のためには締め切っていますが、ルッジェーロ・ライモンディが持っているような特別な能力を表す人のためには、そうではありません。おわかりでしょう。では、良い仕事をお願いしますよ!」
私は、Casoratiの絵に称賛の最後の一瞥の後、このルッジェーロが、本当に並外れた人物かどうか、あるいは、単に、この街の有力者の息子、つまり、親の七光りなのか、自問しながら学長室を後にした。
この話し合いは、月曜日の朝の出来事だった。権威的でもたいぶった公のイメージが崩れて、プロイエッティにちょっと好感を持った。ー続くー
(Circolo Leoneをライオンズクラブと訳した、違っているかもしれない、他にも変なところがあればご遠慮なくご指摘くださいますと嬉しいです)

※“Il lacerato spirito”:「シモン・ボッカネグラ」のプロローグで歌われるフィエスコのアリア、切々と歌う父の苦しみ・・・最後は超低音で締めくくられる。
♪MP3でどうぞ→
もちろんお父さんのチェーザレではなく息子のルッジェーロが歌ってます
※Giorgio Morandi ( 1890-1964)イタリア ボローニャ、画家

ついでの話し:
上記の会話にもありますが、声楽教師が生徒の声を台無しにしてしまうという話しですが、バルバラ・フリットリの来日時のインタビューで、この話しが出てました。
彼女が最初についた先生のことは、名前も思い出したくないそうです。彼女の声をコントラアルトだといって、1オクターブも出ないような声にしてしまって、それを直すのに2年間かかったそうです。(音楽雑誌の立ち読みで仕入れた情報です・・・)


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コメント 3

euridice

>それを直すのに2年間かかった
直ったからよかったようなものですけど・・・
by euridice (2005-08-30 21:39) 

Sardanapalus

>超現実的な会話に、私はいたたまれない気持ちになった
プロイエッティさんもなかなか癖のある方ですね(笑)やっぱり芸術関係には面白い人が多いのかな?

>1オクターブも出ないような声
本当に、直すことが出来てよかったですねぇ。そのまま直らなくて才能を潰してしまう人たちもいるんでしょうね~。
by Sardanapalus (2005-08-31 03:46) 

keyaki

イタリアでは、良い声と才能があると周りがほっておかないので、大変ですよね。
ライモンディも16才で、ヴェルディ音楽院のオーディションを受けて、一番だったそうですが、審査員達は狂喜乱舞で、『君は歌手になるために、すべてを犠牲にしなければならない。君は世界一すばらしいドン・ジョヴァンニになれる。君はそれにふさわしい声とぴったりの容姿を持っている。』と言われたそうです。
本人もその気になって、まっしぐらで、成功したからいいですけどね。親も徹底的にサポートしたそうです。
by keyaki (2005-09-01 00:08) 

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