幼いときの子供とのかかわりが特に重要 第68号 [I-3 親の構え・役割]
2005.8.15(月)幼いときの子供とのかかわりが特に重要 第68号
仕事上、教育や育児の本をかなり読んできた。
どの本だったか忘れてしまったが、
「~子供は3歳までの間に一生分のかわいさを親に見せる。大きくなった子供はその時のことを忘れてしまうが、親はその時の子供のかわいかったことの数々を覚えている。だから、大きくなって子供が反発してきても、親はその時のかわいかった数々のことがあるから、愛情をもって受け止め(耐え)られる。云々」
というようなことが書いてあったことを記憶している。
確かに3歳までの子供はかわいい。7歳の長女が小さかったときのアルバムを開くと、かわいかったときの記憶というか感覚が蘇り、あっという間に幸せな感覚に浸ることができる。(もちろんそれ以降も、7歳の今も同じくらいかわいい)。
私は、先の文章のことは子供からも同じように言えることではないかと思う。
小さいときの「親に愛情をもって大切に育てられた」という経験は、大きくなって本人が思い出せなくなっても(3歳以前の記憶は、遮蔽記憶と言われ、通常なかなか思い出せない)、体の中または脳の奥深く染み込んでいる。
だから、深部において親子の強い絆が築かれ、その後周囲からいろいろなプレッシャーというか試練のような出来事に見舞われても乗り越えていけると……。
そういえば、「5歳のとき両親を虐殺された経験を持つユダヤ人の子供が、5歳まで幸せな家庭生活を送っていたので、その後大人になってからも幸せな生活を送れた」ということも、読んだことがある。
小さいときこそ、育児のー子供とのかかわりをつくるー黄金時代だ。子供は親の支えなしに成長どころか、生きていくことすら難しい。親の支えを、一生のうちのどの時期よりも必要としている時期だ。
そして、体の中または脳の奥深く染み込んだ「親に愛情をもって大切に育てられた」という経験の有無が、その子の一生の幸せを大きく左右すると思うのだ。
本田健氏は、『きっと、よくなる』の中で次のように書いている。
~「仕事だから」という言葉は、それさえ発すれば何でも許されてしまう魔法の言葉の一つです。
仕事を理由に、たくさんの大切な思い出が失われています。サッカーや野球の試合、ピアノやバレエの発表会、運動会、誕生日などの大切な日に、お父さんやお母さんが仕事が来られないことで、寂しい思いをしている子供がどれだけいるでしょう。また「仕事だから会えない」といって、どれだけのカップルが愛を失っているでしょう。~(引用)
コヴィー博士は、「家庭における改善を望むとするならば、『仕事は犠牲にできない』という前提を、『家族は犠牲にできない』という反対の前提に変えることから始めるべきだろう。」と述べている。
私は、仕事も犠牲にできないと思っている。仕事を優先する時期・時間は、確かにあるし、必要だ。
そして、それと同じくらいあるいはそれ以上に、家族を優先する時期・時間も必要だと思っている。
人様の子供を一生懸命教えるあまり(仕事は教育関係です)、自分の子供はおざなりにせざるを得ませんでしたとは、決して言いたくない。
そのために、帰宅後のふれあいの時間、週1日は家族の日をとっているし、運動会、誕生会など極力大切にしている。
今後もその決意である。
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「記事100! 総アクセス1万! NICE100!」
である。
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