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春の世田谷線をゆく (3) 松蔭神社 [お散歩]

さて、今回は「宮の坂」より下高井戸方面へは参らず、三軒茶屋方面へとUターン。電車に揺られること約5分、次に降り立ったのは「松蔭神社前」。世田谷区役所が近く、そして駅名にもなっている「松蔭神社」の最寄り駅です。

そうです、次なる目的地は「松蔭神社」。
先述の直弼公による「安政の大獄」の犠牲者の1人で、幕末の日本の政治思想に多大な影響を与えた萩出身の思想家、吉田松陰がまつられています。

江戸時代最大(と言っても良いでしょう)の思想塾、松下村塾の指導者でもありますし、神社発行の冊子にしたがい、ここでは「松蔭先生」とお呼びいたします。

駅からまっすぐ、「松蔭神社通り商店街」を歩いていきます。よ~く見てみると、商店街の街灯には、松蔭先生の教えを受けた志士たちの説明文と写真がプレートで掲示されています。ちなみにワタクシ、この品川弥二郎氏のプレートしか発見できませんでした…。

古き佳き香りの残る商店街をてくてく歩いていきますと、ほどなくして木立に囲まれた神社の鳥居が見えてきした。
 
***
 
日本史上、まれに見る思想弾圧事件と言われる「安政の大獄」。奇妙な偶然と申しますか、その実行者である直弼公のお墓と、犠牲者である松蔭先生のお墓は同じ世田谷区内に、しかも電車でわずか5分しか離れていない場所にそれぞれ存在します。
 
実は、松蔭神社の建つ現在の世田谷区若林周辺は、江戸時代は長州藩の用地であり、藩主の別邸があったところなのです。松蔭先生は罪人として刑に処せられたので、その亡骸は当初、小塚原回向院に埋葬されます。しかし、松蔭先生の教えを色濃く受けた長州藩士、高杉晋作や桂小五郎(後の木戸孝允)による必死の奔走で、やがて長州藩の用地であったこの土地に移葬されました。その後、1822年、墓畔に「松蔭神社」が建てられた、というわけです。
 

「安政の大獄」というひとつの事件を境界線に、被害者と加害者の立場に立つ2人が、まるで隣り合わせるようにして眠りについているとは、本当に不思議です。一方は近代日本政治の精神的支柱となり、一方はその激乱の火種を作った人物。月日が流れて、今やひとりは「神」として奉られ、もうひとりは広大な墓所の片隅に、人の目を避けるようにしてひっそりと眠りについている…。

歴史の持つ複雑さ、そして多面性を思わずにはいられません。

***

社殿のとなりには、松蔭先生が開いた萩の私塾、「松下村塾」の模造が建てられています。8畳ほどの講義室と、4畳~6畳の塾生控えの前があるのみの、本当にささやかな家屋です。講義室の床の間には、松蔭先生の自画像が掲げられていました。
 
この気さくでアットホームな空気に包まれた場所にじっと見入っていると、日本近代史の礎を築かんと萩を飛び出していった若き志士たちの熱い議論の声やさざめく笑い声が聞こえてくるような、そんな感慨を受けました。

桜やカエデなど季節の樹木に囲まれた小さな林の中に、松蔭先生のお墓が建てられています。思っていたとおり、桜の花はすっかりとその季節を終えていましたが、これからまさに色づかんとするカエデの新緑が目に鮮やか。他にも、折々の樹木がところせましと根付いており、それぞれの季節の香りを運んでくるようです。

やわらかな木漏れ日を浴びる松蔭先生のお墓はつつましい感じのするものですが、かたわらには同じく安政の大獄で命を落としたり、その後の幕末の動乱で命を落とした志士たちのお墓や招魂碑が建てられています。
 
存外に、松蔭先生のお墓は季節の樹木や積年の仲間達、志を同じくした者たちと肩を並べているようで、にぎやかと言いますか、温かさを感じました。それだけに、直弼公の墓前で感じた寂寥感が、一層深まります。
 
まさに対極の立場にあったとはいえ、日本史の中でもっとも困難な時代をそれぞれの方法で切り拓こうとしたふたりの人物。どうか今は、雲の上でお酒を酌み交わしながら「今の日本は…」などと語り合っていてくれるといいな…と思うのは、後の時代を生きる私の勝手な感傷でしょうか。
 
「人はただ真(まこと)なれ。真愛すべく敬すべし」。
 
私の好きな、松蔭先生の言葉です。自分の思想に真っ直ぐ向き合い、方法を模索し続けた彼の人柄がしのばれるようですね。
 
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コメント 4

ラブ

おおお〜、こんな所に松蔭神社が…。
松陰神社は、萩だけだと思ってました。
by ラブ (2007-04-19 11:33) 

★とろりん★

ラブさま
歴史って、本当にいろいろな視点がありますよね。萩の松蔭神社には行ったことがないので、機会があればぜひ足を運びたいと思います。
by ★とろりん★ (2007-04-19 22:23) 

はなみずき

松下村塾は、萩で見ました。想像より全然小さいですよね。こんなに小さな空間から、その後の日本の歴史を変え、導く志士たちが生まれたかと思うと、本当に不思議な思いで一杯でした。松蔭先生のお人柄に間近く触れることができた空間だったのでしょうね。
by はなみずき (2007-04-20 06:07) 

★とろりん★

はなみずきさま
本当に、こんな小さなお家から壮大な構想が広がり、やがては日本を大きく変えていったエネルギーが生まれたのだと思うと、不思議な気分でした。それだけ濃密に、松蔭先生のお人柄や教えを受けることができたのでしょうね。やはり教育において、環境は大事だなぁと思いました。
by ★とろりん★ (2007-04-20 13:49) 

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