地元神社の豊年祭を見に行ってきました [自宅周辺の自然・環境など]
尾張国二宮・大縣神社は国幣中社です。
社伝によれば、当初本宮山(一名真霊山)の頂に鎮座。垂仁天皇27年8月、山頂に荒魂を鎮め置き、麓に新宮を造営して、和魂を遷座されたという。
古来より朝廷を始め武家武将の尊崇深く、殊に事業繁栄・開運厄除の守護神として上下の人々の信仰篤く尾張国二宮と称せられ、大正七年には国幣中社に列格せられた名社である。御社殿は、尾張藩主二代目徳川光友公御再興の建物で、「尾張造り」の構造様式を正確に伝え、国の重要文化財に指定されている。
「尾張造り」というのは、切妻妻入・板床の拝殿、祭文殿(四脚門)、釣殿、本殿が一直線に並び、祭文殿から左右に出た廻廊が本殿を囲むという様式で、尾張地方の神社によく見られる(真清田神社や津島神社、尾張大國霊神社など。熱田神宮も現在は神明造だが、もとは尾張造りであった)。
お祭らしく露店もたくさん出ていました
猿田彦のお通りです
雅楽も生演奏です
いよいよお神輿です
戦後、この御神輿が風紀上不適切ということで地元警察署に没収され、そのままだそうです。ですから今の物は比較的新しい。
社伝によれば、当初本宮山(一名真霊山)の頂に鎮座。垂仁天皇27年8月、山頂に荒魂を鎮め置き、麓に新宮を造営して、和魂を遷座されたという。
古来より朝廷を始め武家武将の尊崇深く、殊に事業繁栄・開運厄除の守護神として上下の人々の信仰篤く尾張国二宮と称せられ、大正七年には国幣中社に列格せられた名社である。御社殿は、尾張藩主二代目徳川光友公御再興の建物で、「尾張造り」の構造様式を正確に伝え、国の重要文化財に指定されている。
「尾張造り」というのは、切妻妻入・板床の拝殿、祭文殿(四脚門)、釣殿、本殿が一直線に並び、祭文殿から左右に出た廻廊が本殿を囲むという様式で、尾張地方の神社によく見られる(真清田神社や津島神社、尾張大國霊神社など。熱田神宮も現在は神明造だが、もとは尾張造りであった)。
戦後、この御神輿が風紀上不適切ということで地元警察署に没収され、そのままだそうです。ですから今の物は比較的新しい。
2008-03-09 18:49
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