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もつ鍋 発祥の店 万十屋 [食]

もつ鍋といえば、福岡 万十屋
その発祥については諸説あるが、万十屋に関しては、戦後食糧難で何もなかった頃、捨てられていた『もつ』を立派な料理として確立させた初代女将(松隈ハツコさん)がここ、空襲を受けなかった早良区の住宅街の中で始めたのがこの店のはじまり。
ずっと庶民の味として細々続けていたが、福岡に在住していた小説家 壇一雄のもとを長男 壇太郎さんが定期的に訪れるようになり、この店の常連となった。
その後、太郎さんが雑誌や航空会社の機内誌等で紹介したのがきっかけでもつ鍋が全国的に大爆発した。
私も当時、機内誌で情報をゲットした一人だ。
東京を始め各地にもつ鍋屋さんが開店し一大ブームになった。
元祖万十屋にも全国からお客さんが殺到し、このお陰?か近年この場所に大きな鉄筋の店となり移転した。




ここが、玄関。
壇さんの紹介記事を見て以来約20年、行こう行こうと心に思いつつ、やっと本日その夢が実現する。
緊張の一瞬だ。


石でできた鍋に、もつ、キャベツ、玉ねぎ、えのき、ニラをたっぷり入れ、特製のスープをいれる。
ふたはしない。野菜がふたになるそうだ。


20分位ぐつぐつ煮ると、できあがり。


うまい。
これは癖になった壇さんの気持ちがわかる。
最後は残ったスープにちゃんぽん玉をいれてすべていただく。
ああ~~、おいしい。
元祖はやはり違うなあ。
また、来よう。
ご馳走さまあ


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tae

kanさん 美味しそう!! やっぱり行けばよかったと後悔です
食べ損なった分 損した気分です
機会をみて 誘ってみます OK してくれるでしょうか?
頑固だから・・・
by tae (2007-05-01 15:58) 

kan

taeさん>お会いできなく残念でしたが、いつでも行けますので、つぎの機会を楽しみにしています。
by kan (2007-05-01 16:03) 

指摘人

もともと戦後の博多に住宅街など有りはしない!焼け野原だから!その戦後の博多駅前の闇市に「紅屋」と言う屋台の飯屋が有り、そこの店主「織田 仁」が10円うどんとともに世に生み出した「ホルモンうどん」が博多もつ鍋の本当の発祥である。
それが店みせで手を変え趣向を変え万十屋もうまれ、また「もつ鍋」と呼ばれるようになったのである。
この「紅屋」は戦前は今も一部が残る「赤坂市場」にあったが、空襲で焼け出され駅前の(当時は馬場新町と言う町名だった)闇市に屋台を買い商売を再開した。
この人は天皇にも料理の腕を振るった事でも知られ、今も有る「老松」の初代とも旧友の仲であった。
故に、この事実を知る者は少なくなったとは言え、今も数多く生きていらっしゃいます。
by 指摘人 (2009-08-27 22:34) 

kan

指摘人さん

訪問ありがとうございます

もつ鍋のルーツが『ホルモンうどん』であること。
(餃子のルーツがペルシアのパスタであったようなものでしょうか。)

そしてそれを生み出した方が『織田 仁』さんというかたであったこと。
その方が戦前、赤坂市場で紅屋という店を経営していたということ。

ネットで調べた限りでは、織田さんや紅屋に関する情報が全くありませんでしたが、この事実を知る方は数多いということ、貴殿の書き込みがなければわからない情報でした。
老松はぜひ訪問したい店でもあります。

馬場新町、、ありましたね
博多駅が現在の場所に移った後、それまでの博多駅前電停は馬場新町になりましたね。
現在は祇園というちょっとくすぐったい名前になりましたが、、、。

貴重な情報ありがとうございます。



by kan (2009-08-29 00:52) 

しん

そういう歴史があったんですね。
私も、とあるTV番組で、万十屋さんのほうを
元祖のように特集されていましたので、そうなんだと
思ってました。

もつなべ を
ひとしきり 食べた後、

残りの汁に、チャンポン麺を入れてひと煮立ちさせ、
これをすするのも たまりません。



by しん (2009-08-29 07:23) 

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