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『星の王子さま』再読 [本]

 昨年末、NHKで「星の王子さま こころの旅~サン=テグジュペリ 愛の軌跡」と云う番組が放映されたのを、ご覧になった方は居られますでしょうか?。何を今頃と呆れられてしまうかも知れませんが、僕はつい先日、ビデオに録画しておいたその番組をようやく観たところです。

 それがどんな番組内容だったかをお伝えすると、女優の南果歩さんがサハラ砂漠やサン=テグジュペリの育ったフランスはリヨンの屋敷など、彼に縁の深い場所を次々訪ねて、当時のエピソードなどから「星の王子さま」が書かれた背景を辿って行くと云うもので、中でも僕の興味を惹いたのは、近年発見されたサン=テグジュペリと妻コンスエロの書いた大量の手紙に関する話でした。その文面から浮かび上がる彼等夫妻の愛情の紆余曲折の実話が、あの儚くも純粋な物語の背景に在ると云うのです。そんな事を知ってから、僕は改めて新訳本を読んでみることにしました。多分、きっと、11~12歳頃以来に読む「星の王子さま」です。






 前に読んだ時のことや詳しい内容は、もうすっかり忘れてしまいました。あまりにも昔のことですから。
 ただ、読書感想文の課題にされていたからと云う理由で読んだのは間違い有りません。きっかけとして、自発的に手に取ったわけではなかったのです。

 その頃の僕は背伸びをしたい盛りで、まだ子供ですからきちんと理解も出来ないくせに、無理をしてシェイクスピアやヘッセを読み漁っていました。そうして大人びた気持ちに浸って、一人得意になっていました。そんな頃、この「星の王子さま」とも出会ったのです。

 ただ、当時の僕には、この本はあまりピンと来るものではありませんでした。
 なんだか、文章も子どもじみていて童話の様だし、王子の云うことと来たら他愛のない質問ばかり。それも納得するまで訊くことを止めません。それこそ、聞き分けのない小さな子どもの様。こんなことから、シェイクスピアですっかり大人びたつもりになっていた僕は、この本の上辺の易しさに惑わされて、きっと、子どもっぽいと本だと軽く考えてしまったのですね。そして、記憶に残っていたのはエンディングだけ。それも何となくです。飛行士の「僕」が離れないよ、と云っていたのに、最後には王子がふっと消えてしまったと云う場面だけでした。王子が消えてしまった、そのことがぼんやりと、悲しい別れとして記憶に残っているだけで、詳しい内容は殆ど覚えていないのです。実のところ、そんなに心に深く残る作品とは思えなかった、と云うのが、この作品を読んだ少年「僕」の率直な気持ちでした。

 しかし、今回読み返してみて、それは無理も無かっただろうと今更ながらに納得しました。
 確かにこの物語は子どもに向けて平易な文体で綴られていますが、内容はサン=テグジュペリが大人になって実際に経験した社会での孤独や無常を示唆的に語っているものなのです。決して大人であろうとも一読して作者の云わんとするところが即座に掴める簡単な内容ではありません。ましてや、幼い王子と同じ視点で物語を追った小学生の僕には、幾ら噛み砕いた文章だとは云っても、それを自分と照らし合わせて咀嚼する術や経験など、まだ到底持ち合わせていなかったのですから。

 それは、王子が自分の星に咲いた美しい花に寄せた様々な思いにしても同じこと。自らが美しいことを鼻に掛けた我が儘なバラを、愛しつつも疎ましく思い、次第に思いやる気持ちは薄れ、花の元から去って旅立って行く。愛するという、生まれて初めて湧いた感情自体に馴染めずに戸惑う王子と同じく、幼い僕も本当に人を愛したことなど、まだ有るはずもなく。僕はサン=テグジュペリがこの本を通じて伝えようとしていたことに対し、理解はおろか、思いを馳せることすら出来ていなかったと云う分けです。





 それに何故気が付いたかと云えば、今回のTV番組でサン=テグジュペリとコンセイロが、互いに相手を激しく求め合いつつも、深く愛すればこそ、傷つけ合い、すれ違った二人だったと知ったから。「星の王子さま」はそんな彼等の経験を経て、サン=テグジュペリ自身が探し続けた一番大切なものを見つけた末に、その一番大切なものである愛しい妻に捧げた物語だったと聞かされたからなのです。王子が愛し、悩まされた我が儘な美しい一輪のバラは妻のコンセイロであって、王子は妻との関係に迷っていたサン=テグジュペリ本人の投影なんだと、やっと気付いたのです。飛行士の「僕」も、王子もサン=テグジュペリ自身に他ならないのだ、と。

 そう思い至ると、やっと合点が行く箇所にも気付きました。「僕」のデッサン1号です。そう、象を飲み込んだうわばみの絵。他の誰が見ても帽子にしか見えないあの絵を、一目見て「ぼく、うわばみに飲まれているゾウなんか、いやだよ。」と王子が云ったのは、子どもだから、純真だから理解出来たのではなく、「僕」も王子も同一人物だからなのです。ただ、方やかつての子ども=大人で、方や子どもそのものなだけ。物語上ではこの部分以外に二人が重ねられて語られることは、(少なくとも僕には)無かったように思われますが、二人ともがサン=テグジュペリその人だったのです。
(※じゃ、何故に王子なの?と云う疑問にもTV番組は簡単に答をくれました。サン=テグジュペリは貴族の出身。本当の「小公子」だったから、なのです。ちなみに彼の育った「家」ってのはサン・モーリス・ド・レマン城って伯母上の居城)

 そう考えると、王子の小さな星はサン=テグジュペリの「心」そのものだったのかも知れません。“けんのんなバオバブ”の種は、彼の心に潜む不安や心配のこと。芽を出したバオバブを自ら気に掛けずとも摘み取れる様に、サンテグジュペリの心には、それを余さず食べてくれる羊が必要だったのです。だって、バオバブが大きく育つと、王子の住まいのような小さな星はやがてその根で割られてしまうのですから。

 逆に考えれば、サン=テグジュペリは常に何かしら不安の種を抱えていて、それを気にせず居ようと努めることは、コンセイロのことさえも考えない様にすることだと、自分でもちゃんと分かっていたのでしょう。だからこそ、羊をコントロールする必要を感じていたのです。王子が愛する一輪のバラだけは食べてしまわないように、コンセイロのことさえも気に掛けることを忘れて(若しくは、もうこれ以上気に掛けたくないと)摘み取ってしまわない様に、羊に口輪が必要だったのです。散々すれ違いはしたけれど、ふたりの間には共に過ごした時間が培った、どんなに細くなっても切れなかった「絆」がちゃんと残っていた。それを断ち切らないように、守る手立てが、まさか羊に口輪で表現されているだなんて、子どもに気付けと云う方が無理な話ですよね。





 本当に大切なものって何だろう?。

 無垢な頃の自分と向き合うことで、純粋にそれを見つめ直したサン=テグジュペリ。だけど、大人の彼=飛行士の「僕」は、せっかく出会えた大切な友達と別れの時を迎えます。砂漠の中での夢が覚めるように、飛行機の修理が終わって現実社会に戻れると分かったその時に、王子も去って行くのです。「僕」はまた大人達の中へ還って行かなくてはならなかったです。

 ところで、唯一ぼんやりとでも覚えていたはずのエンディング。金色のヘビにお願いして、魂だけ、王子の星へと戻してもらうだなんて、こんなにも淋しい終わり方でしたっけ?。そう思うってことは、あの頃の僕はきっと、この最後もきちんと理解出来ていなかったのかも知れません。ひょっとして、僕が子どもの頃に読んだオリジナルは文章が難しかったのかな?。

 そう考えて、新訳を読んだすぐ後に、岩波少年文庫の内藤濯訳のものも続けて読み直してみました。何しろ初版が1953年のものなんですから、確かにところどころ時代掛かった表現もあるにはあるけれど、でも、それほど難解とも云えません。やっぱり、僕がきちんと自分で文意を理解していなかったんでしょう。書かれている表面的なことだけ読み取った気になって、更に深いところに作者の意図が滲まされているだなんて、思いも寄らなかったのなかったのでしょうね。どうしたって、11、12の子どもだもんね・・・(苦笑)。

 そしてもうひとつ、読後に気付いたこと。

 この年齢になって、物語はようやく自分なりに咀嚼出来るようになったみたいですが、初めてこの本を読んでから、もう30年近くが経つというのに、僕は自分にとっての「本当に大切なもの」を、残念ながら未だ見つけられていないのだと、改めて気付かされました。

 悲しいけど、僕はなまけものだから、僕の星にはバオバブの木ばかりが大きく育ち過ぎちゃったのかも知れないなぁ。

 こんなふうにね。



星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

  • 作者: サン=テグジュペリ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/03
  • メディア: 単行本

星の王子さま

星の王子さま

  • 作者: アントワーヌ・ド サン=テグジュペリ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 文庫


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TaekoLovesParis

この間、てんとうむしさんが、箱根にある「星の王子様ミュジアム」訪問記
をブログに書いていらした過去記事を読んで、行ってみたいな、でもイメージ違うかな、と思っていたところでした。

映画にもなりましたよね。
結構きれいな映像でした。バオバブの木がぐんぐん成長するシーンをどうやって撮影するのか当時はわからなかったです。

この本の良さは、挿絵がかわいいということもあると思います。

奥さんとの年月がこの本の下敷きになっていたんですか。
奥さんがわがままなバラだったとは気づきませんでした。たしかもっと
後の方で、キツネに会って、「大切なことは目に見えない」と言われ、
わがままだけど、自分が一生懸命世話をしたバラの美しさに気づくけど、
それは、奥さんのことだったんですね。
奥さんだけに限らず、人を長い間たくさん愛すると、いろいろ見えてくるものがありますね。

yk2さんは中学生の頃にシェークスピアやヘッセだったんですね。道理で
文章を書く下地がしっかりできていらっしゃる。

「星の王子さま」は、高校のとき、家庭教師の人から「いい本だから読んでごらん」とプレゼントされました。その後、「フランス語の学校で読まされて(もちろん挫折)、さらに家庭教師をした時英語版をテキストに使い、とお世話になった思い出深い本です。
by TaekoLovesParis (2007-03-07 01:56) 

シェリー

こんにちは。とっても素敵なお話で、感動しました。
『星の王子さま』私も実は内容をよく覚えていません。
子供のころ本で読んだんだったか、テレビのアニメで見たのだったか・・・
でも、王子さまがちょっぴりワガママな薔薇を大切にしていたことは
何故かとても覚えています。でも物語にそんなに深い背景があったのですね。
>本当に大切なものって何だろう?
私もまだはっきりと見つけられてないかもしれません・・・
若い時には「私は一人で生きていける!」なんて強がってたこともあったけれど(笑)
「無くして初めて大切さに気がつく」なんてよく言われますよね。
「目に見えない大切なものや幸せ」を大切に想える心がほしいなと最近よく想います。
純粋な王子さまの気持ちに大人の飛行士の気持ち
そして王子さまがいなくなったときのワガママな薔薇の気持ち
色々な経験を経て、傷ついたり、傷つけたり、失敗したり
その末に一番大切なものをみつけたサン=テグジュペリさんの想いを
改めてじっくり読んでみたいなと、とても想いました。
本当に大切なものを、時間がかかってもいいから
いつか見つけられたら素敵ですよね☆
by シェリー (2007-03-07 12:58) 

yk2

hikokiさん、plotさん、ご訪問&niceありがとうございました。
by yk2 (2007-03-07 23:08) 

yk2

taekoさん、こんばんは。
映画になってたの、知らなかったです。アニメじゃなくって?。

サン=テグジュペリの挿絵は今にして思うと味わい深いけど、子どもの頃は何だかへたくそな絵だな~なんて印象だったですよ(笑)。

奥さん=コンスエロとのエピソードはなかなかドラマチックなもので、興味深かったです。でもね、奥さんを我が儘なバラに仕立ててますが、どっちかと云うと散々ワガママ云って駄々を捏ねたのはサン=テグジュペリの方だったのかも知れません。例えばね、初めて出逢ったパーティの夜、誰もが目を奪われるような美しい未亡人のコンスエロを何とか誘い出して自分の飛行機に乗せ、何度も宙返りをして脅かして、キスしてくれないならこのまま海に墜ちてしまいます、って泣いた・・・と云うハナシです。しょーもないでしょ?(苦笑)。

家庭教師で教材にしてたなんて、taekoさんにとっても「星の王子さま」は結構思い出深い本だったんですね。

僕はもっと早くに読み直しておけば良かったかなぁ、と後悔してます。どうしてキツネとは別れなきゃいけなかったの?など、今でも心の中にはクエスチョン・マークがた~くさん残ってます。1日で読めちゃうから、また読んでみようっと。
by yk2 (2007-03-07 23:30) 

yk2

シェリーさん、こんばんは。
アニメ、僕もちょっとだけ見たような記憶があるんですが、原作に無いオリジナルのエピソードが結構たくさん含まれていたらしいですね。要は絵だけが「星の王子さま」ってコト?で、それはちょっと違うんじゃないの~って気もしますが・・・(苦笑)。

本当に大切なもの。シェリーさんもまだ見つけてませんか?。

難しいよね。
でも、やっぱりいつかは「ああ、見つかったよ」って、思いたいですよね。

でも、なくしてから「ああ、もしかしたら、あれだったのかもしれないな・・・」なんて思うパターンかも、僕の場合は・・・(苦笑)。

子どもの時に読んだイメージだけで判断してたら、今読むとシェリーさんも全然違った印象を受けると思いますよ。それにいろんな新訳本も出てるから、言葉遣いでもかなり違った印象を受けるかも知れません。僕が読んだ石井洋二郎さんの新訳は割とオーソドックスな方みたいです。オリジナルのイメージを大事にしてる人には、あんまり言葉遣いが違っちゃうのも困りもの、でしょうが。
by yk2 (2007-03-07 23:57) 

manbou

> 昨年末、NHKで「星の王子さま こころの旅~サン=テグジュペリ 愛の軌跡」と云う番組が放映された

こんな番組があったんですね~。私も知ってたら見たのになぁ。

でも、箱根のミュージアムに行くと、なかなか充実したテグジュペリの資料が見られます。
フランス風ハリボテ建築には、閉口しちゃいますけど。
(てんとうむしさん、行かれたんですね。あとで拝見しよう♪)

「星の王子様」の挿絵って、あまりあのお話にふさわしくない気がするんですよね。(たしかに味わいのある、すてきなイラストだけど)
お話に入り込むのを邪魔するほどイメージが強すぎて、一人歩きしちゃってるから。
本来、子どもの本として分類すべきではない物語なのに、あの挿絵のせいで(yk2さんがさんざん書かれてるように、まだ理解もできない)子どもの読み物だって思われてるのは残念です。

ほんとうに大切なもの・・・って、なんでしょうね。
私は、同じ場所に留まらず、旅をして(新しい世界に飛び込んで)、最後に振り返ったときに、見つかるものかなぁ・・・なんて、思うのです。
by manbou (2007-03-08 10:15) 

yk2

Manbouさん、こんばんは。

>こんな番組があったんですね~。私も知ってたら見たのになぁ。

もうひとつ、NHKでは2月にも「星の王子さま」関連の放送があったみたいなんだけど、そっちは見逃しちゃいました。ハイ・ビジョンやBSで再放送があるかも知れないから、とチェックしてみましたが、今のところどちらも再放送予定がないみたい。

僕が今回この番組観たの、Manbouさんのとこで「夜間飛行」のこと、少し書いてあった時があったでしょ?。あれで久し振りにサン=テグジュペリが気になったんですよ。Manbouさんのblogのお陰で、いつか「星の王子さま」も読み直さなきゃ、ってあれ以来、気持ちの底にずっと在ったのです。ちょっと悲しい記事だったから、余計印象深かったのかな。

この本の挿絵は、どうしてもサン=テグジュペリ本人が描かなくてはいけないものだったんじゃないかなぁ?。うわばみの絵のエピソードは、きっと本当に彼が子ども時代に描いた経験がベースなのでは?と僕は思うようになりました。それに、飛行士の「僕」にリアリティ持たせなきゃいけないんだから、上手なプロの絵描きさんじゃダメなんですよ、きっと(笑)。

>ほんとうに大切なもの・・・って、なんでしょうね。

きつねは、“apprivoise”=馴染み、だとか“絆”だって教えてくれてたよね。
きっと、そんなに“とくべつなもの”じゃないんだよね。でも、それがなかなか手に入らない。地理学者さんが云ってたとおり、消えちゃうものは、“儚い”んだよねぇ・・・。
by yk2 (2007-03-09 00:57) 

manbou

> Manbouさんのとこで「夜間飛行」のこと、少し書いてあった時があったでしょ?

無理矢理頑張って書いて、気持ちを消化しようとして・・・
でもyk2さんに、無理しなくていいってコメントもらって嬉しかったんですよね。
改めてあのときは、ありがとう。

あ、ちなみにベースになってたのは「人間の土地」のほうでした。

> でも、それがなかなか手に入らない。

・・・と思ってるだけ・・・でしょ。
固定観念、既成概念、そんなものが邪魔をする。
心の目で見てみると・・・
by manbou (2007-03-09 07:00) 

yk2

Manbouさん :

>あ、ちなみにベースになってたのは「人間の土地」のほうでした。

あ、すみません(汗)。「人間の土地」は読んでません。今回の番組で人間「サン=テグジュペリ」に興味が湧いたので本屋さんに行ったら早速買っておこうっと。

>・・・と思ってるだけ・・・でしょ。

固定概念とか、既成概念云々の前に、本人が強く心から望まないと見付けられないと思うんだな。そうじゃないと、きっと目の前に「本当に大切なもの」が在っても、分からないままだと思うのです。でも、今の僕は心から欲してそれを探しているかと言えばそうでもない。ここのところ、もう抜け殻みたいなもんなのです。残念ながら・・・(苦笑)。
by yk2 (2007-03-10 10:00) 

manbou

ぬ、抜け殻・・・(笑)
そんな寂しいコト言わないでくださいな。
せめて「ちょっと休憩中」とか、ね。
きっと、私を含めてyk2さんを応援している人は、信じてると思いますよ。
(まだ見つかっていないのなら)いつか、必ず見つけられるって。
諦めちゃ、ダメ~!
by manbou (2007-03-10 10:31) 

バニラ

3/6の記事を今、目にする偶然を考えていました。
実はこんな風に自分のトゲトゲで人も 自分も傷ついたばかりで
なんだか、わたしのためにyk2さんが書いておいてくれたもののような
気がして一気に読んでしまいました。
わたしは、どうなんだろう。本当にたいせつなものに気づきながら
気づかないふりをしているのかも...
by バニラ (2007-03-11 09:45) 

yk2

Manbouさん、ありがとー。
「休憩中」が長過ぎるのかもね~(苦笑)。
by yk2 (2007-03-11 12:45) 

yk2

バニラさん、こんにちは。
何か悲しい出来事でもありましたか?。

バラのたった4つのとげは、時には相手に突き刺さって痛みを与えてしまうこともあるかも知れないけど、てんとうむしさんの云うように、身の守りとして何かに掴まるためにも在るのだとしたら、バラが寄り添う対象の方は少しくらいの痛みは我慢しなくっちゃいけない、ってコトなのかもしれませんね(^^;。
by yk2 (2007-03-11 13:01) 

バニラ

う~ん、yk2さんの優しい言葉を誰かに聞かせてあげたい...
ありがとう。 身に染みます。
by バニラ (2007-03-11 15:33) 

yk2

バニラさん、でもね、そうは云っても、僕こそがそんな痛みに弱い最たる人間かもしれないですけどね(苦笑)。
by yk2 (2007-03-12 22:08) 

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