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師の恩 出水節子先生 [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

邦楽について
 NHKFM放送で邦楽を聞いていた時、鼓(つづみ)奏者の話が印象強かった。

 「鼓には楽譜があります。これがそれです。今からこのとおりに、打ってみます。
     (ここで演奏?があった)
こうすると、実につまらないものでしょう?」

 鼓奏者は、楽譜だけでは演奏にならないことを、示したかったのだろう。以下は私の解釈。
 左手で肩へ鼓を載せる。左指の微妙な握り加減で皮の張りを調整する。右手の微妙な打ち加減。これら微妙なは、楽譜に載らない。
 この 微妙な を表現したであろう、様々な口伝。そして何よりも大切なこと。心を技術に載せること。
 総じて、呼吸、氣、胆力としか表現の仕方がなくなるのでしょう。こうして初めて、楽譜が演奏に進化するのだと思います。

書道について
 書道にも手本がある。しかし、それを読みきれない。それを読み解いてくれる出水節子先生がなければ、どうにもならない。

 表面では一動作に見えるものであっても、三動作を使って書いている。軸と筆は立っていなければならないが、こんな場面ではこう傾斜してもよい。などなど、微妙。師はそれを実演してくださる。
 私が手本をどのようにひっくり繰り返しても、自分の力で読み切ることはできない。

 私が書いている。正面に向かい合わせで師が座っている。
私が筆を進めると、師の身体が揺れ動く、力が入るのが伝わってくる。御本人は、筆を手に書いている私に、なりきっているのだ。

 ーここで呼吸、躍動感を入れろ!ここは早く!ー
 こうして無言で、伝えてくれるのだ。伝えようとする情熱が肉迫する。指導者の惜しみない愛情、このやりとりの中にこそある。

 私が筆を置くと、師は言った。
「もうちょとね、自分の心を現すのよ…」

 何年経っても、受ける注意は同じ。こうして手本が、書に進化するのだと思います。

 ここでいう手本と書が、武においては型と技に対応する。型が技に進化する、師の導きと己の努力の合致が大切。

師のお宅で二人きりの稽古

武も書も、稽古の面白さ。
 技術を超えた、氣と胆力と動作の三位一致の世界があること。そしてそれを生身で伝えられ、またそれを伝えていく。これ、稽古の面白さ。

武も書も、師のある有り難さ。
 この師の代理は、この師しかない。自分の持てる力と、師の持てる知見との距離が、あまりに遠いから。
 縁あって出会う。努力あって出会いの意味を深める。

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