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「MOZART!」(6/12) [中川晃教]

2005/6/12 17:00 1階19列28番 中川版 アマデ:高橋愛子ちゃん

11日の感想と被るところがありますが…12日観劇後の感想です。
『いつどこで何をやっていても僕の頭の中、
体中で音楽の心臓がドクドクと脈を打っています。
触発されて発色したら、あとはシンプルに音となり言葉となり溢れ出る』

はい、アッキーのサイト プライベートページから去年の夏の言葉でした。
これって「僕こそ音楽」に通じますね。
♪僕は役者じゃない 芝居はできない
  ありのままなんだ  このままのぼくを愛してほしい
  メジャーとマイナーコードにメロディーも~
  ぼくは語ろう 感じる全てを音に乗せ~♪
  
アッキーは感じたものを音にして言葉にして歌ってる。
そして多くの人の魂を揺さぶるんでしょうね。
NHK「ふれあい広場」に出演した時にこのようなことを言ってました。

「僕は言葉と声を大事にしてる。いくら 歌詞が綺麗でもだめなんだ、
いくら美しくてもだめ。どう言葉を声にして伝えるかを僕は大事にしてる」
って言ったことは本当なんだな、と思いました。

だから人の歌も自分の歌にしてしまう?
今度は、12日夜アッキーヴォルフ&高橋愛子ちゃんアマデを見てからの感想です。
私はファンの欲目もあるかもしれないのですが
11日夜アッキー>12日夜アッキー>5日、11日ヨッシー>初日アッキーなんですね。

12日アッキーM!は 終わった瞬間に歓声が沸き起こり、指笛やブラボーコールがあちこちと。
役者紹介カーテンコールが終わって幕が閉じられると
次々お客は手拍子をしながらスタンディングしていき、次に幕が上がるまでに、
総立ちになりました。
また幕が降りると あちこちから歓声が。
え?千秋楽?みたいな感じでしたよ。

「モーツアルト!」にすっかりはまった自分がいます。
もちろん歌も大好きだし。
考えれば考えるほど深いな。と。

二人ともここまで違ったヴォルフになるとは。表現も歌もどっちもすごいし、面白い。
どちらも ちゃんと自分でヴォルフを確立させていて。
それが最後まで揺るぎがなくって。どっちもヴォルフなんですよね!
どっちが正しいとか じゃなくって。

同じ台詞、同じ歌なのに、最初からキャラクターが違うんですよね。
で、どちらともその作り上げたキャラクターに幕が終るまでぶれがなくて揺るぎがなくって。

でも歌はやっぱりアッキーですわ。
アッキーは歌手としての活動のとき、人の歌も自分の歌にしてしまうなと
いつも観ていて思うんだけど、SHIROHでも今回のM!でも
自分の歌にしてしまうという武器があるなぁ、と思いました。
歌ならば、どんな色にも染められるというか。

そして、二日連続観てアッキーは自分の歌(歌手として)も
そうだけどお芝居にしても本当に感情が動くままに表現している、
二度と同じ表現がないんだと思いました。

アッキーM!を観てるとヨッシーM!では薄く見えるものが 
ズトンと胸に入り込んでくるんです。
アッキーの回になると、ヨッシーの回に見えなかった、届かなかったものが
胸に入り込んで、泣けてしまうんです。
それは、「家族」。
決してヨッシーの演技がどうとかじゃなくって、私がアッキーファンだからていうとかじゃなくって
キャラクターの作り方の差だとおもいます。
逆にヨッシーはアッキーより、他のところに固執してるんで
アッキーヴォルフを観ていても、ヨッシーから感じてたことが薄くみえるかもしれないですね。
それは、「才能を認められたい」という部分なのですが。

でも、私はこのお芝居のなかで父、姉、男爵夫人の歌からも表現されている父、姉のヴォルフに対する思い、そして、ヴォルフの父への愛情がアッキーの方からよく伝わってきたんですよね。
だから泣けちゃう。

ヨッシーヴォルフの方に共鳴する人もいれば
アッキーのヴォルフの方に共鳴する人もいると思うんですよね。
あと アッキーの時はアマデがわかりやすいというか存在が気になるんですよ。
でもヨッシーの場合はアマデの存在が入ってこないのですよね。なんでだろ?

アッキーファンだから、アッキーばかり観ていたいのに、
愛子ちゃんアマデでもともよちゃんアマデでも アマデが気になって気になって。
また、その逆の人もいるかもしれないですね。
アッキーのときは、アマデが心の中にいるように見えて、
ヨッシーの時は、アマデがちょっと距離を置いてヴォルフを観ているように感じます。

いろんな場面でこの二人の違いが出てくるんですよ。
同じ台詞なのに。
特に父とか姉とか妻とかに対する気持ちの向け方が。
何を一番大事にしてるか、という重点の置き方が
二人、違うように見えるんです。
だから面白い。

一緒に稽古をしていて よく左右されず
これだけ違うヴォルフをつくりあげたなぁ、と感心しています。
どちらのヴォルフも人間性に終始、ぶれがないんですよね。

さっきは こうだったのに、今はこんな言動になってるとか
一人の人間に対しての矛盾がないから感心しちゃいます。
それにあわせる共演者も大変かも!
アッキーM!を観てると父姉にもすっかり感情移入なんですよ。
ヨッシーM!では、あまり感じなかったのに…
この家族の姿がビンビン伝わって…知らない間に泣けてしまいました。
一幕目「星から降る金」から私と友達ははすすり泣き。
またその「星から降る金」のシーンが元になり、
「終りのない音楽」でも、「残酷な人生」でも泣くし、
二人とも親子のそういうのに弱いのですよ。

幕間には友達と話していたら、思いが込み上げて喋りながら泣いてしまう始末でした。

「だ、だいじょうぶですか、○○さん…」と友達をちょっと困らせてしまいました
アッキーヴォルフは、 家族を愛してる、だけどいつかは親から離れて独り立ちをしていかない時が
くる。大人になろうとしている、自分の生き方を見つけようとするありのままの僕を見て観てほしい
と願うヴォルフを全般を通じ感じました…
「僕こそ音楽」「何故愛さないの…」でもこのような思いが歌われてます。
(でも、彼には、父への悔悟が待ってました)
一幕目が終わったとき、友達が「これは家族のドラマがテーマちゃうの?って思うくらいやわー」って言って私もウンウンとうなずいたのですね。

父姉が出てくるとパブロフの犬のように涙が出ちゃう私と友達なのでした。
友達にそのことをメールで伝えたら「小池さんが プログラムでこのM!は家族を軸にした・・・と言ってるもんね」とお返事が来たんですね。
私はまだプログラムを観てなかったんで 
おおお!そうだったのかーと 納得が出来ました。
またある友達は アッキーヴォルフは犬みたいで、
ヨッシーヴォルフは猫みたいと表現されていましたね。

・赤いコート
ここはこれまでアッキー2回ヨッシー2回観てきて前回の感想にも書いたけど、
アッキーのほうがこの最初の場面で家族像をつかみやすいなあ…と。
まず、レオポルト父が息子をかわいがってる気持ちが伝わるんですよね。
父が、ヨッシーヴォルフの鼻をつままないけどアッキーヴォルフの鼻をつまむシーンも
その理由の一つ。
これは見た目の身長のことも関係するんだろうな。
アッキーヴォルフがやんちゃで父姉の愛を受けて育ってきたことも
このシーンを通じて伝わってくるの。なんかあったかいのよ。

・私ほどお前を愛するものはいない
「才能を埋もれさせたくない、芸術家は自由でなければいけない」
…とヴォルフは言う。
でも、父は息子が心配だから、ここにいてほしい。お前を守れるものは私以外に居ないと。

「僕だって…パパを神様の次に愛してる」というヴォルフの気持ちと
「お前を守れるものは私以外にいない」というパパの気持ち。
父のことを理解しつつも旅立とうとするヴォルフ気持ちがすれ違う…。
辛いけど大好きな場面です。
「心に鉄を閉じ込めて」(M9)も父が息子を心配して歌ってる。
「傷つきやすく信じやすく胸を痛ませる」。
「甘い誘惑信じるな。言葉に気をつけ謙虚に振舞え。」とかいって。

11日夜アッキーもそうだったんだけど、 12日アッキーも最初の
「星から降る金」の音楽を耳にしながら、 その親子を観ていると
自然にわけもなく涙があふれ出てきました。
この場面は台詞も何も無いのに。

ヨッシーのは 全体的に父のことを愛してるんだなぁ、という表情よりも、
自分が一番で才能を認められたいから、
親や大司教の支配から逃げたいから出ていくみたいな感じがとても強くあって。

アッキーのほうは、「星から降る金」で 支配から逃れたい、才能を認められたいというよりは
ヴォルフは、父が自分を心配している気持ちもわかる…父のことが好き…
だけどいつまでも同じ親子関係では自分も大人になれない、
いつから親から離れていかないといけない…
今はそのときが来た…っていうヴォルフが私の目には映ったのですね。

 (あの父を見つめるまなざしがとても切ないのです。パパは好きだよ。だけど僕も自分一人の力で立ちたいんだ。パパ分かって、という目)

ヨッシ版をー二回観たけどヨッシーからはあまり伝わって来なかったところなんです。
ヨッシーのは、そういう気持ちもあるんだろうけど
才能を認められたいから出ていくみたいな感じ。

アッキーのほうは、才能を認められたいというよりは自分を試していきたい、
一人立ちする時が来たから旅立つ感じがしました。
だから「星から降る金」に込められているメッセージを聞きながら
アッキー版であの親子を観てしまうと泣けてきちゃったんだろうな、と。
でも、どっちもヴォルフとしてしっかりと作ってるなぁと思いました。
======
と思ってたら、月刊ミュージカルに、まさに納得できる二人のレオポルト論があって、その言葉どおりのヴォルフが二人存在してるなぁ、と思いました。
アッキー「親の愛とは、自分の想像をはるかに超えて大きく、
その中に居られたからこそ、自分でいられたんだと自分の父と話をして感じた。
でも、段々子供は成長し、多くの人との出会いの中で必ずしも親との関係が変わらないままで生きていられなくなり、そこに自分の生き方が生まれる。だからといって親子の縁は切れない。
ヴォルフガングは、自分の意思をわかってほしいんだけど、
父親は心配なんですよね。本当の父子関係を踏まえて、
レオポルトはヴォルフを悩ませる存在じゃなく、愛してくれる存在なんだということを思って演じていきたい」

ヨッシー「絶対的な存在であり、ヴォルフの基盤。だから反発したいわけではないし。
嫌いにもなれないけど、このままだと才能が発揮できない。
お父さんに認めてもらいたい気持ちが大きいだけに
このままだと才能が発揮できないという思いで気持ちが分裂する」

・「星から降る金」
この歌を聞きながらアッキーモーツアルトの家族を見ていると
本当に父が息子を守りたい気持ち、「父のことが好き、だけど僕のの旅立つときが来た。」と
いうヴォルフの気持ちが台詞がなくても、切なくなるくらい伝わってくるんですよ。
親のことが好きだけど、離れていくことを決意するヴォルフの気持ちが…

この歌が終わると、
父に「お前はここに居るんだ。借金もまだ残ってる」と言われ
「ザルツブルクなんか大嫌いだ!もし僕が旅立ったら…」と言うヴォルフ。
そして父の「私ほどお前を愛するものはいない」(リプライズ)で
また父の息子を心配する気持ちが歌われ、
『時がきたら~僕はでてゆく』のあたり、
アッキーヴォルフも、父を切ない感じで見てるんです。

観ていて、胸が痛くなりました。

それが後の「終わりの無い音楽」で
ヴォルフを心配する「永久に大人になられない子供がいるかしら」に
つながってきて涙涙しました。

1幕最後、大司教のところで、
アッキーヴォルフはコロに「くそくらえ!」と言ったあと「 俺は自由だ~♪」と歌い切るけど
あれは大司教から受けてきた支配からの自由も意味するけど
子供から大人になるステップにある自由も意味してるように
アッキーのこれまでの表現から受け取られました。

で、あの箱を手に取った時に、まだ自分は自由がないことを思いだし
「影を逃れて」に入り苦悩と叫びのなかへ。

1幕終わった時に、このお芝居は家族を描きつつヴォルフの自由への、
そして大人への旅立ちがテーマと思ったのでした。

で、そんな家族の気持ちに入り込んで1幕が終わったのでした。
だから、2幕目もそんな視点で見入ってしまったんですよ。

2幕目の姉と父がミニアマデを前に歌う歌「プリンスは出ていった」にも泣けてきちゃうし…
また、フィガロの結婚の後のカーテンコール…
ヨッシーは父の前で自分の才能を認められたいからあんなに大きな表現、
アッキーは才能を認められたいんじゃなくて
独り立ちする自分を見てほしいから、観客の前で大きくはしゃぐ必要はないのかな?と。
アッキーが普段お芝居やライブでお客様に感謝を表す感じに見えました。

・ブルク劇場
「フィガロの結婚」を観ていた父が男爵夫人に
「私は満足できません。
確かに天才をこの手で育てたけど、
おごりたかぶり才能と金を浪費している自覚さえない…」
と嘆く。

男爵夫人が「そんなに彼を責めないで
ひとりでやってゆけることを認められたいのよ
父であるあなたに~」と
言う歌にウンウン!と頷く私がいました。

そう、アッキーヴォルフは「星金」の場面で、
パパは好き、だけど親から離れて独り立ちするときが来たんだ 
だから出て行く。僕がどうなるか見ていてほしい」というように感じ取れたので…
男爵夫人の言葉にウンウン!となったわけです。
才能を認められたくて出て行くのではなく…。

ほんとうにここにお互い愛してるのに
分かり合えない二人が存在することがストンと伝わってくるんですよね。
父「コロレド様に嘘をついてここウィーンまでやってきたのは
私無しで息子は自分の進むべき道を見失うとわかっていたから」と本当に息子が心配。
ヴォルフは階段から降りてきて
「パパにも聞こえるでしょう
僕の名前呼んでる
コロレドに聞かせてやりたい
家を出たのは、これであなたもわかってくれる」という。

アッキーは、自分が父や大司教がいなくても自分は大丈夫ということをわかってほしいからこう言う。

ヨッシーの場合は 同じ台詞でもこの歌は
「僕の才能は認められたんだ。才能が開花されたんだ、自分の1人の力で」という感じに聞こえました。

でも、父は「お前の名声は一人で築きあげたいものじゃない、
お前の曲は複雑だ、どうして俺の言うことが聞けないんだ!」と言われた時
ヨッシーはどうして自分の才能を認めてくれないんだという反抗、
アッキーは一人立ちしていこうとしてる自分をわかってほしいと悲しい目なのです。あの目にやられました。

そして続けてこう言う。 「感謝していまーす♪」の言葉は、1幕目から、
アッキーヴォルフを観ていたら、あぁ。本当に父を愛してるんだなっていうのがずっと根底に流れてるから一つのドラマとして
ストンと入ってきました。
そのあと「わたしほどお前を愛するものはいない」(リプライズ)で
父は「私以外に守れるものは誰もいない」と言う。
ヴォルフは、父にたしなまれ、走って出て行くところではアッキーヴォルフに寂しさが残りました。

・「何故愛せないの」
その後 ヴォルフは 「今度こそ喜んでもらえると思ってたのに」と寂しそうなのね。
(アッキー初演のサントラはちょっとすねた言い方だったけど、再演の言い方が好き)
「何故愛さないの」を寂しそうに歌うの。(サントラと歌の表情が違うなぁ。私は再演のほうが好き)

♪ 確かに僕は無責任 パパの言うとおり
(中略)
でも答えてほしい 何故愛せないの
このままの僕を 何故愛せないの
僕を~♪
… 何故愛せないの♪の前の言葉、
「せっかく喜んでもらえると思ったのに」
アッキーヴォルフは本当にピュアな気持ちとして映りました。すごい寂しそうなんですよ。

それは、何度も言うように、アッキーヴォルフの父に対する思いが全編伝わってくるから 
より、そのように私の目に映るのかもしれないのですが。
(ここの部分ヨッシーはどうだったのか、もう一度観たい!)
ここらへん、お互い 愛してるのに…
うまく分かり合えない二人の姿が浮き彫りにされるんですよね。

父「息子を守りたい」 
ヴォルフ「自分のありのままを観ていて欲しい。僕も大人になるんだから」みたいな。

そして分かり合えなかったことに落胆し、
コンスの元へ帰る。

・「乾杯、ヴォルフガング」
「遅くなってごめん」 これ、初演CDより今回のほうが好き。
より優しさが伝わる。本当に申し訳なさそうなんです。

このとき、コンスに「乾杯?それともキス?」と聞かれ、
ヨッシーヴォルフは後ろから彼女を抱きしめてベッドへ。
アッキーヴォルフは彼女の向きを直し、キスをしベッドへ。
で Mさんと話してたのは、
ヨッシーヴォルフは、この時、抱くのは極論を言えば、
自分を慰めてくれる女性だったら別にコンスじゃなくても良かった?なんていう解釈も
とれるわけで、と大胆発言。
でも、アッキーヴォルフは、自分よりまず相手を思いやってキスをする。
(この間(ま)は土曜の方がゆっくりと確かめてたから好きなんだけど)

・「父への悔悟~モーツアルトの混乱~星から降る金(リプライズ)」
お互い分かり合える時がくると思ってたのに、分かり合えないまま、
父が亡くなった。父への悔悟の念そして崩壊・混乱。
だけど、男爵夫人は「星から降る金」(リプライズ)で
「大人になるということは
倒れた後立ち上がること
音楽に身を捧げるなら 全ての鎖から断ち切るの」とヴォルフに語るの。

ヴォルフはそれを聞き
「大人なった男は自分の足で歩かなくてはいけない」とつぶやく。
そして外の空気を吸ってくると部屋にコンスを残し出て行くヴォルフ。(せつな~!)
「待って」というコンスタンツェの声を聞き、立ち止まるし。

それが、また市民が自由と独立を求めるフランス革命という国の情勢と
ヴォルフの置かれた立場が見事に重なる。

○ラスト
アッキーヴォルフ… 才能が無ければ父と分かり合えたし、
自由になれたと思う悔悟の思いがとても強い。
邪魔をしたのは才能だ。
才能から逃れたら自分は自由になれる、
自由になるためにアマデを殺そうとするヴォルフがいたと思います。

だから、最後の「影を逃れて」のラストの歌詞
「影から逃れて自由になりたいーーーー」というのに繋がってるように思えました。
あのフェイクはいつ聴いても叫び、嗚咽のように感じます
そうそう、11日のほうがレクイエム書くまでの構想してる表情が深くて
「曲が浮かんだ!」とペンを走らせる始めるところが
分かりやすかったです。
そしてペンが止まって死のにおいがを感じたときに、
目の焦点が合わなかったり、
あの笑みがあったりで すごかったです。

でも怖さといえば、今日のほうが大きかったです。
ペンを走らせてる顔・・・あの取り憑かれ度は。
スラスラ書いてしまうのが 却って怖いの。
何をそんなに急いでる!何から逃げているの?と
言わせんばかりの、顔に怖さがあったし、ペンの走りがありました。

アッキーのあの白い顔がどんどん白くなるような、
涙目の顔がこびりついてます。
ペンを持つ手ががくがく震えてましたよね。
アッキー・・・・観ていて怖い。取り憑かれたように。

ヨッシーの場合も1幕最後の「影を逃れて」で
アマデを殺そうとするところで、才能から逃れたいという 姿がとても伝わってきます。

ヨッシーヴォルフの最後の死は、自由を求めてというより、
1幕目から自分には才能がある、才能を埋もれせたくない、
父に認めてもらいたいというヴォルフとして伝わってくるので、
自分の才能に自信がある、だけど、なんで自分はこの曲が書けないんだ!という
瞬間的な苦悩から死ぬように思いました。

ヨッシーのは、悩みながら書くので、そこまでの怖さはなかったんです。
その代わり、曲を書くのにとても苦悩している姿が観ていてつらくなる。
その苦悩から解放してあげたくなるような表情が続く。
ヨッシーの回のラストも同じく壮絶で、怖いというより、観ていて辛かったですが全く違うラスト!
初演サントラアッキー版と再演ヨッシー版の最後の「僕こそ…」と歌うところ、
振り絞って言っていて、聞いてるだけで辛くなってしまうんだけど
再演アッキーは、サントラほどじゃなくって 
はっきりと[僕こそ…」とと言うのですね。
何か狙いはあるのかな?次、観る時どうなってるか、楽しみです。

二日連続観てアッキーは自分の歌(歌手として)もそうだけど
本当に感情が動くままに表現している、二度と同じ表現がないんだと思いました。
そういう風に感じる役者さんは他にもいるんだけど…
コンスに言う「帰ってくれ」は土曜夜と違いまして、どちらかというとヨッシーみたいな言い方で
突き放すような言い方でした。

土曜夜は、悲しく優しく「帰ってくれ」だったんです。
私は土曜夜の言い方に、どきっとしたので、今日はどんな言い方をするのかなと思ったら
その直前の「曲を書かなくちゃいけないんだ」が
言いたくないのに言わなくちゃいけない…というすまない気持ちがあって、
顔がつらそうで、ガクガクしてるんです。
で気持ちふっきって「帰ってくれ」になっていたんです。

アッキーの場合は言い方が変わっても気持ちは、
「仕事があるから~今はだめ、ごめん。」なのよね。
ヨッシーの場合は、自分や才能が大事で妻や家族は二の次って
感じだから、「曲を書かなくちゃいけないんだ、帰ってくれ」の言い方がきついんですよね。
アッキー、ヨッシーともに父が亡くなってから
前半と同じ顔じゃなくなっちゃうところがすごいなと思いました。

アッキーも今回の役に対して、
こんな人物にしようとか演技プランはあるハズなんだけど、「演技はいらない」って感じなの。
SHIROHの後半も、「おい、入りすぎ!まだあと何ステージもあるのに・・・」なんて思ったのですが、そういえば、ライブでも「気持ち入りすぎ!」と思うほど全部魂入ってるしなぁと思って納得。

もう1回、ヨッシーヴォルフの父姉への思い、コンスへの思い、
ウィーンへ旅立つ理由、ペンを刺す理由などを確かめたい。

ヨッシーがこのとき、あのとき、どんな言い方、表情をしていたのか
もう1回観て確かめたい。
ヨッシーのときは、2回観ても父への思いが反発としてしか観てとれなくって。
家族関係があまり伝わってこなかったし。
それは、ヨッシーヴォルフが家族よりも自分が大事になってるからというのもあると思うんですけど。
でも、それもヴォルフなんですよね。

同じ台詞なのに同じ役なのに
こうも伝わり方が違うんだ!と驚いた次第です。

どっちもヴォルフで正解は無いだろうし、
どっちのヴォルフもヴォルフでいい!て感じです。

ただ、歌はアッキーの方が気持ちが伝わってくる。
ヨッシーは演技とあわせて伝わってくるんだけど
アッキーは目を閉じていても感情が伝わってくる感じがします。

また、悲哀が伝わるのはアッキーなんですよね。なんでも自分の歌としちゃうし。
Mさんがおっしゃってたことなのですが「ヨッシーは大きく動いて歌う。
アッキーは目を閉じていても歌の感情が伝わってくる。
だから演技は要らない。
そしてヨッシーは劇場の大きさを考えて全体的に大きな演技をする。
舞台を広く使ってるというか。同じ歌でも、動く範囲がヨッシーのほうが大きいですよ。
アッキーは繊細な表現方法だから、近くで観ないといけないけど、歌で気持ちを遠くまで
届けているのはアッキーだろうなぁ、」ということを土曜夜2階でご覧になったとき
感じたそうです。

最後の「影を逃れて」での高音 AH~~は
ヴォルフの叫び・嗚咽に聞こえてきて、いつもあれで泣けてしまいます。

あとヨッシーの歌い方はクラシックが入っていて、
このドラマの中でこの歌い方しちゃうと、綺麗になってしまってるが所々あるような・・・(小声)

「残酷な人生」とか「僕こそ音楽」、「影を逃れて」はヨッシーも
アッキーも甲乙つけがたいくらいいいなと思うんですけど
「なぜ愛さないの」は歌声だけだったら
アッキーの方が情感ある声として響いてきたりするんです。
ヨッシーの場合は、この歌については、平べったさが気になってしまうんです。

アッキーは歌手としての活動のとき、人の歌も自分の歌にしてしまうなと
いつも観ていて思うんだけど、SHIROHでも今回のM!でも自分の歌にしてしまうという武器があるなぁ、と思いました。

最後に、これまで書いていた2人のヴォルフの表現の違い…
「帰ってくれ」とか 「乾杯それともキス」の場面でのハグの仕方とか、
外の空気を吸ってくる場面、ラストのレクイエム以外で

ダブルヴォルフの比較点

○女性とじゃれあってたところ、父に見つかる。

ヨッシーヴォルフは はだけたシャツを綺麗に直す
・・・父の前では優等生でいたい?アッキーは、シャツを直さずに、ずっと父と話をする。
  姉ナンネールに直してもらう。
  優しいナンネールお姉さん。
(千秋楽は男爵夫人が出てくる直前に、自分でシャツを直そうとしてナンネール姉さんが手伝ってあげてた)

○初めてウェーバー家に行き、コンスと出会うところ。
アロィージアを紹介され、歌を聴いては、「ファンタジック」と言ったり、
「聞きたいことがたくさんある」と言ったりするんだけど、
アッキーは、最初からコンスをチラチラ、気にしてる。
友達に言われて気づきました。
アロィージアに赤いものに繋がれて別のところに行く時、
ヨッシーはホイホイとついていくけど、
アッキーは、「あーー連れて行かれちゃうよぉ」とちょっとコンスの方を見てるんですよね。

ヨッシーは、インタビューで出会ったときからコンスが好きって言ってるんですよ。
気になってるんだけど、男性としての本能でアロィージアの方に行ってしまったのかな?

で、アッキーは、プラター公園で、
コンス母に「ロィージアは?」って聞いて、有名な音楽家と結婚したと聞かされても
落胆は、ちっともなくって、ただの挨拶として聞いてるように聞こえました。
ヨッシーはどんなんだったかな?

○コンス母がお金をせびりに来たとき
ヨッシーは気持ちがコンス母に向かってる。「渡すお金はない、帰ってくれ!」という気持ちが全面。
アッキーは 妻コンスが大事。カーデガンを羽織るのを手伝ってあげるんですよね。
(25日、26日は、それが観られず残念)で 妻を守ろうとする。

○「ありのままのあなた」
アッキーはスカートめくり。
ヨッシーは、台みたいなところからコンスに飛びつこうとする。

○市民がヴォルフの真似をするとき
アッキーは市民に対して背中を斜めにして、聞いている。
ヨッシーは、市民の方を向いてその真似を見ている。

○シカネーダが芝居ができるひと?だか芝居をやりたい人?と聞かれたときに、
アッキーはみんなに背中を向けて立っていて周りの様子を見てから小さく手を挙げる
(だけど25日、26日は、周りの様子を見ないで早めに挙手してた)
ヨッシーは、みんなの方を向いて、はいはーい!と直ぐに手を挙げる。
ヴォルフの性格が出てるなぁ、と思いました。

○『フィガロの結婚』公演後の客席への挨拶
ヨッシーははしゃぐ!ジャンプしたり。父親に自分の才能が評価されたのをアピールしたい?!
アッキーは、ほぼ、普段の自分と変わらない。

○嘘をつくのは嫌だー♪
ヴォルフの一面をのぞく言葉。
アッキーヴォルフの好きな言葉の一つです。
ピュアなアッキーヴォルフにぴったり。
ヨッシーのはどんなんだったか確かめたいな~。

○父に怒られて帰宅。
「乾杯それともキス」の場面で抱きしめる時、ヨッシーは後ろからハグ、そしてベッドへ
(僕を慰めてくれよぉ、という自分の気持ちが強い?!
極論言えば慰めてくれるならばコンスじゃなくても誰でも抱きしめた?みたいな感じ。)
アッキーはコンスの体を自分にむき直し、
そしてキスしてベッドへ。
相手への気遣いを感じる。

スカートめくり、やカーデガンを着させてあげる時もそうだけど、
女心くすぐられます。
実際でも優しいのだろうなぁ~(うらやましい)

○MOZARTの幕をアマデから怖い顔して奪う…
その後、ピアノの上に不気味な感じで大事に広げるのはアッキー。
ヨッシーとは少し違う感じだったと思うから確かめたいですね。

○死んだところ。
Mさんに言われて気づいたけど、ヨッシー版は、アマデもヴォルフが同じ方向に体が流れている。
アッキー版は、アマデとヴォルフがクロスしている。
この差はなんだろうか?

ほーんと、同じ脚本なのに、こんなにも違うキャラなんて!

そうそう、ファンサイトの掲示板にも書いてあったのですけれども、
シカネーダ登場の時「私が誰だかご存知か?」って
所でアッキーが客席に向かって「誰か知ってる?」って初日は聞いてた。

シカネーダたちと踊るところのアッキーヴォルフってキュートで大好きなんですよ。
人なっつこい犬みたいで!?!(おいおい、アッキーを犬にしちゃうなよぉ!)

初日観たとき もうかわいぃーーーー!と心でつぶやいておりました。
ステッキを振り回して踊るシカネーダに対して、
そのステッキがほしくてたまらない!

スティックを取ろうとする仕草が「ちょっと僕にもさわらせてよぉ!」ってていたずらっぽい!
「行く行く!」と同じくらいツボ!

「やんちゃだけど、お金なんて持ってないけど
他にも大事なものを持ってる
純粋なこのままの貴方が好き~♪」
だったけ(by コンス)
そんな少年のようなヴォルフが私のツボです。

アッキーの地のピュアさが、ヴォルフのピュアなところと重なるんだよなぁ。
(それだけに、ラストのあの表情との落差が 激しいのです)

ヨッシーもかわいいんだけど!ヨッシーのは アッキーヴォルフより、もう少し大人な感じ。
それはアッキーが小さいのも関係してる?(また体格にもってくる?)

私は、ヨッシーヴォルフについてまだ理解不足なので
ヨッシーをまだどこかの会場で見たいと思っています。


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