「東京ファイティングキッズ・リターン」内田樹・平川克美 [それでもどっこい生きてます]
久々のウチダさんの本。(なぜかウチダさんは、他の著者みたいに内田樹って書くことに抵抗があるんですよね。なんでだろ)
一時、集中的にウチダ本を読んでいたことがあって、やや食傷気味になってしまい敬遠していたのでした。
やー、久々に読むとやっぱりいいですね。ウチダさんの本は、
この本は、平川克美さんとの共著ですが、ものすごい量のお手玉を二人でやっているような感じです。もしくは二人縄跳びか。
ゴールがない会話、安易な回収なんてしない会話。
こうやって、本の紹介を書くことを不能にするやりとりの数々。(もちろん言い訳です)
読み返せばいくつかピックアップしたい発言もありますが、多分、そんな細かいことを取り上げても、この本の魅力を伝えることはできないです。
それでも一つだけあげるとすると、こんなウチダさんの一言は、とても奥深いものだと思います。
(前略)ことばを道具にして功利的に使用したことのある人間は誰でも経験的にわかることがあります。それは「ことばを道具にする人間」は必ず「ことばによって道具化される」という逆転です。
まったく、その通りだと思う訳です。
以前書いた、【議論をすることは良いことですか?】で言いたかったことも、議論をしかけてくる相手が「ことばを道具として使ってくる」ことの悲しさ、先の無さだったのかも知れません。
もちろん、自分自身も議論に参加することで「ことばを道具として使って」しまうことになる訳で、そのお互いに先の無いことばの消費が嫌だし、ことばはそんなことをする為にあるのじゃないと強く思うわけです。自分のblogをそんなやりとりの場にしたくない。
お互いに言葉を贈りあうこと。
その行為や時間そのもの。
その当たり前の奇跡を恐れないこと。
先回りして言葉を封じてしまわないこと。
この本を読んでいて、またblogを書いていても、そんなことを思うのでした。
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