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「弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術」立岩真也 [それでもどっこい生きてます]

「「負け組み」の哲学」と同様、負け負け系のイメージで買ったら、バリバリ骨太の本でした。
しかも、厳密骨太。

障害者の自立運動のことを軸にすえつつ、安楽死や介護のことについて、実際に対象となる障害者や老人はどんなことを考えたり、思ってたりするのか、誰のための介護や安楽死なのか、自己決定といわれるものは本当はどれだけ自己で決定できているのか等など、ものすごく粘り強く考えています。

多分、こうやって説明してしまうと、障害者をめぐって「平等」「やさしさ」「人権」というキーワードでよく連想するような偽善的な内容の本なのか?と思われると思いますが、はっきり違います。

誤解なく説明するのは、多分この本を読んでもらうしかないのですが、たとえば、障害者を持っている人が「決定能力がない」と一方的に決め付けられ介護を押し付けられることとか、「つらいので早く楽になりたい」と安楽死を希望した人は実は自分が「無能」であることに絶えられないから死を選んでいる場合があり、それは「能力がなければ生きている資格は無い」というメッセージが支配的な世の中だから安楽死を選ばされているだけなのではないか、とか、そういったことが書いてあります。

もうとにかく、
「障害者が住み良い社会について、私達もかんがえなくてはいけませんね」
とか、
「老人はやはり家族の下で安心して暖かい介護を受けることを望んでいます」
とか、
そういう、「どの歴史上の人物の言葉ですか?」といいたくなるような、自分の言葉ではない言葉、いっけん「正しく」「良い」こととされる言葉のウソくささとホントくささを、丁寧に分けて考えることを本の中で粘り強く続けています。

まぁ、正直文章がくどいです。
「あ、ここが話しの落としどころかな?」と思った瞬間に、それを肯定したまま、逆方向に話が進んでいきます。息継ぎなしで遠泳してるみたい。
読者に安直な結論を与えない(確かにそんなものは無い)点が、ちょっと橋本治の文章に似てるかも。
んで、もしかすると、橋本治よりくどいかも。

世の中をただ受け入れるのでもなく、絶望するのではなく、ひっくり返すのでもなく、何があり、何が無いのか、自分が何が必要だと感じていて、何が過剰でいらないと感じているのか、そういういったことを、ひとつひとつ冷静に仕分けして、何かにつなげて行こう、そういう静かな強い意志を感じます。

とても読みこなせたとは思いませんが、こういうバカ粘りする本はとても好きです。


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