SSブログ

いいかげんなこと書くな人のこと言えないけど [雑感]

昨日の清水幾太郎『倫理学ノート』
表紙の反対側のISBNとか値段とかが書いてあるところ、の
概要というか、どんな本なのかの紹介の文章について、
補足。

ムアはともかくとしてケインズやロレンスが、20世紀前半以降の英語圏の倫理学の伝統を、<代表>しているはずがない。

酷い話だ。
これを書いた講談社の人間(あるいは外注か、その辺の出版の機微には通じていないが)は本書を少しも読んでいないと思われる。
第一章として、「ケインズ・ロレンス・ムア」という章があるが、
それはムアの評価を巡って、経済学者であるケインズが発言をすることになった機縁にロレンスの存在があったということ、
すなわち、

ラッセルとケインズらとともにロレンスも一度だけ食事をともにする機会があった。
そのときロレンスの目に映った、ケインズたちの醸し出すヴィクトリア時代風の精神的貴族としての閉鎖的な空気(ラッセルらは必至にロレンスを会話に引き込もうとしていたのだが)に、
ロレンスが激しい嫌悪を抱いたというエピソードが後年、
ケインズをして、第一次大戦前の精神史の捉えなおしへと促した。

~~みたいな感じで、ムアの著書がどうのこうのっていう話になっていく章なんだけど、
それがどうして、「ケインズ・ロレンス・ムアが倫理学を代表する」ことになるのか、どう読んだらそんな解釈と要約が可能なのか問いたい。


ケインズ・ロレンス・ムアの三つ組というか、彼らの時代背景といったような抽象的な何かが20世紀の倫理学を特徴付けるのだとか、この三人に象徴されるナントカの刻印を現代倫理学は受けているのだとかいう話なのだと、
仮に、
仮にそうだとしても、

「ケインズ・ロレンス・ムアたちに代表される20世紀前半以来の英語圏倫理学の伝統……。その欺瞞に異を唱える著者は、メタ倫理学や新厚生経済学の不毛を断罪し、自然の弁証法を通して〈新しい時代の功利主義〉を提唱する」

こんな表現はすべきでない。
ケインズやロレンスが倫理学の重鎮であるかのような誤った印象を与える。


ちなみに、ロレンスの『黙示録論―現代人は愛しうるか―』は超面白い。

黙示録論

黙示録論

  • 作者: D・H ロレンス
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2004/12/09
  • メディア: 文庫

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0