電気うさぎ 1999 QALL [神田さん]
創作です。
電気うさぎ
QALL
ある夏の夕暮れ時、幼なじみのセナと歩いていたときのことでした。
そのときの状況をも少し詳細に申し上げますと、私たちは手をつないで、とくべつ花が咲いているわけでもない、ただ背の短い青い草がいちめん生えているだけの野原を、ただなにとなく歩いていたのでした。何かの帰りというわけでもなく、荷物も何も持っていなかったように思います。
不意に私の手の中でセナのつないでいる手が変に動いたので、私はセナの見ているほうに注意を向けました。―そのとき私たちはだんだん赤くなってゆく青い野原の中で立ち止まっているもっと青い二つの点でした―すると最初はやはりいちめん青い草だけだったものが、よく目をこらしますと、だんだん青色の中に白い点がぽつんぽつんと文字通り点在しているのが見えてきました。
「あ、野うさぎだ」
と、私はその中の一等はっきり白く見えたものを指さして言いました。
「違うよ。野うさぎは茶色だよ」
と、セナがすぐあとに言いました。
「じゃあ、ただのうさぎだ」
と、私もすぐに言いました。
「違うんだな。あれは電気うさぎだよ」
と、セナがまたすぐ言いました。
セナはそれから別々の点を次々指さして、
「あれは野うさぎだね。あっ、あれも、あれもそうだ。他のはみんなそうだ」
と、言いました。
そしてセナは私が最初に指さした一等はっきり白い点を指さして、
「でも、あれは電気うさぎだよ」
と、またまた言いました。
私は黙ってそれを見ていたのですが、セナが何を言っているのかわからない、という顔をしていたのでしょう。
「ほら、耳の先が少し黒っぽくなっているでしょ。間違いないよ。電気うさぎだ。珍しいなあ。あっ、こっち向いたよ」
と、セナが言いました。
けれどもやっぱり私には何のことだかわかりません。
「見えないよ。セナ」
と、私は言いました。
それはあまり遠かったものですから、私には、それまでの経験に照らし合わせて、その白いものがようやくうさぎだとわかる程度だったのです。
「捕まえよう」
と、セナが言いました。
セナはもうずんずん進みました。手をつないでいましたので、私は引っ張られるような形でよろよろ進みました。
「無理だよ。きっとみんな逃げてしまうよ。走ってもだめだよ」
と、言いながらも私の足は仕方なしにセナについていきました。そうしないと転んでしまうからです。
セナはずんずんずんずん進みます。私のほうはしゃべったりしたものですから、よろよろよろよろになりました。
そしてとうとう手がほどけて、私は転んでしまいました。すぐにセナを目で追いますと、セナはいちだんと速さを増していて、すっかり赤くなった野原の中を、まるで鉄砲玉のように一直線に走っていました。
私は立ち上がってセナを追っかけました。そんなことはもうなれっこでしたので、べつだんうらみに思ったりはしませんがそれでもやっぱり悲しいことに変わりはないので、涙がじわ~っと出てきました。
セナを見失っては困るので、その涙をぬぐいますと、セナが今度はジグザグに走っているのが見えました。わあわあわあ、と叫んでいるのも聞こえました。野うさぎはみんな逃げました。するとセナはまた一直線に走り出しました。今までと同じ方向です。
私は泣くのも忘れて走りました。セナがこのまま野原の赤色の中の小さな青い点になってしまったら……そして、そのまま真っ暗になってしまったら……。
私は走ることに集中しました。ただ黙ってセナを追いかけたのです。仮に大声を出したとしても、こういうときのセナにはまるで聞こえないのです。セナのほうはわあわあわあと叫んでいますので、セナの一番の速さからはいくぶん遅いはずです。私は追いつけるかもしれないと思いました。それから、あっと思いました。セナが野原に倒れこんだように見えたのです。
「セナぁ~、セナぁ~」
と、自然に声が出てきました。涙もまたじわ~っと出てきました。
セナはなかなか立ち上がりません。それは追いかけている私にとっては幸いなことでしたが、反対にセナの身が心配になってきて、
「セナぁ~、セナぁ~」
と、また叫びました。
けれどもセナは応えてくれません。こちらに背を向けて、じっとうずくまっているのです。
「セナぁ~、セナぁ~」
私はついにセナに追いつきました。それから涙をぬぐって、あっと思いました。セナは見事に電気うさぎを捕まえていたのです。
うさぎはセナの膝の間でぶるぶるぶるぶる震えていました。
そしてセナはというと、うさぎの両方の耳を片耳ずつ、それぞれ右手と左手で捕まえていまして、
「うい~、これは脳にくるねえ」
ですとか、
「いやいや、これはセキズイにきくなあ。いいあんばいだ」
などと言いながら、ときどき髪の毛を逆立たせたりしているのです。
「うい~、こいつは堪らん」
うさぎはぶるんぶるんぶるんっと震えました。
「いやはや、まったく、よくできたもんだ。感心するやら、あきれるやらだ。こんな妙ちきりんな……いや、不思議な生き物が存在するなんて。こいつには本当に毎度のことながら驚かされるな。不思議でしようがないや。でも、こうしてその恩恵に与れて……天にものぼる気持ちとはよく言ったものだ。ありがたや、ありがたや」
うさぎはぶるっと震えました。
「おや、なんだい、もうへばったのか。まったく、ほめるとだめになる」
セナはうさぎの耳を捕まえている右手と左手とにギュッと力を入れたようでした。
うさぎはぶるるるっぶるるるっと震えました。
「おうおう、やればできる。やればできる」
けれどもそれきり、ぶるっ、もしくはせいぜい、ぶるるっ、がせいいっぱいでまったく低調な様子になりました。
「暗くなるから―」
私が言いかけると、セナは、
「若葉マークは触っちゃいけない」
と、怒ったように言いました。
「見てくれは可愛いが甘く見るのはとんだ間違いだ。自然界の恐ろしさを忘れるなよ」
などと言います。
「暗くなるから……」
と、私は言いました。続けて、
「かわいそうだよ」
と、心の中で言いました。
そのとき、うさぎがぶるるるるるっと震えました。
「うわっ」
セナはうさぎを放り出して、ごろごろごろっと野原の上を転がりました。そして私が、
「どうしたの、大丈夫」
と言う間もあらばこそ、すぐ立ち上がると、うさぎを抱きかかえて、駆け出しました。
「火がついた。火がついた」
と、たいへん慌てた様子です。
あとで知ったことですが、電気うさぎの耳が黒いのは、自分の電流によって焦げるからだそうです。その耳から、セナは、火が出たと言っているのです。
そのまま、目の前の小川にどぼんと飛び込みました。
セナは首の後ろをつかんで、哀れなうさぎを水に押し付けます。その様がいかにも乱暴でとても見ていられなくて、私は思わず、
「やめなよ、かわいそうだよ」
と、今度は大声で言ってやりました。そして私も川に入りました。
その瞬間―、セナと小川と私との間に電気が走ったのでした。
「うさぎは逃げたよ」
私が目を覚ましたのに気がつくとセナはそう言いました。
「セナ、帰ろう」
私は立ち上がってそう言いました。
辺りはもう真っ暗になっていました。それに二人ともびしょ濡れです。
セナが私の手をとって、お月様の下を二人で歩きます。私はもう、ただなにとなく、という感じではありません。
セナのつないでいる手から、じーんと温かい電気が伝わってきて、なんだか胸が不思議にどかどかします。
私はセナに、家に着くまで、
「今度は手を離さないでよ」
とお願いしました。
私はそのとき胸がいっぱいで、頭はからっぽで、母に叱られることなど少しも考えていませんでした。
了
出版社の人に絵がついたら絵本として出してみてもいいと言われました。
荒木飛呂彦先生にテレパシーでお願いしたら、
「僕の力では君の世界を表現しきれない」
と断られました。
人生、悲しみの泉はどこに湧き出すかわかりません。
さようなら。
神田さんにTB追加です。
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