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開高健「ロビンソンの末裔」/北海道/DANESE [本/雑誌/文筆家]

一昨日の寿司プロジェクトの後片付けは意外に大変だった。おまけに天ぷらまで揚げたものだから掃除なども予想外に時間がかかり、その勢いで布巾の洗濯までしてしまったりして、気がついたら朝の6時。それから慌てて寝て目が覚めるともう11時だ。稲荷寿司の残りを食べてから仕事に取りかかる。仕事と言っても取材の準備と連絡です。それから他のフェローと少し話をして、あっという間に夜。夜ご飯はキムチ鍋の残りと稲荷寿司の油揚げの残りを使ってうどんをつくった。なかなかうまい。さらに今日の朝は砂糖しょう油で炊いた椎茸の残りとタマネギ、油揚げを卵でとじてキツネ丼をつくって食べた。これもおいしい。

昨日の夜は予定していた用事がなくなり、就寝までの時間つぶしに手元にあった本をなんとなく読んでいた。何度か読んだ本なのに、読み始めると止まらなくなり、またもかなり夜更かしをしてしまう始末に。読んだ本は開高健の「ロビンソンの末裔」新潮文庫版だ。第二次大戦の敗戦直前、戦争で疲弊した東京を捨てて北海道に入植した人々のノンフィクション的小説。もちろん単純に東京を捨てたわけではなくて、国(東京都)が提示した好条件を連ねた入植募集要項(ほとんどウソ)による無責任な開拓計画に乗せられたわけだ。佐伯彰一の後書きを読むと、この小説に書かれている苛酷極まる開拓逸話はメディアではほとんど伝えられていないらしい。北海道の自然との苦闘や生きる過酷さは東京育ちの元都職員家族の目を通して語られている。開高健30歳の時の作品だ。

ぼくは北海道育ちで、小学校の社会の授業では「私たちの北海道」というサブリーダーを使い北海道の歴史や地理を学ぶのだが、この小説のような話は教わることはなかったと思う。ぼくが高校まで過ごした空知地方の小さな町は、石狩川のほとりの肥沃な平野にある北海道でももっとも早く開墾された町の一つだった。背後に深山があり手前には大きな川があるため人の出入りを管理しやすく、そのため明治時代には「北の蛍」の舞台にもなった樺戸監獄が設けられ、囚人の役務によって道路などの生活基盤が造られたと学校で学んだ。厳しい開墾作業のために何人もの囚人が命を落としたというから、開拓者の北海道の自然との苦闘については何となく知ってはいたものの、そんな過酷な開拓がつい60年前まで行われていた話を「ロビンソンの末裔」で読み本当に驚いた。戦後の札幌市内にも戦地からの引揚者や被災者たちが、橋のたもとでバラック生活を送っていたという話は父から聞いたことがある。命知らずで向こう見ずな人が多かったためか、当時は「サムライ部落」と呼ばれていたという話だ。特攻隊帰りの愚連隊もいたらしい。戦後、樺太からの引揚者が暮らした樺太長屋という名前も子どもの頃聞いた記憶がある。「ロビンソンの末裔」で書かれている時代はそれとほぼ同じだと思う。そんな時代からたった60年しか経っていない。とにかく読み始めたら本を閉じることができなくなり最後まで一気に読んだ。少し前までの北海道は本当に貧して、誰もが厳しい生活を送っていたのだ。子ども時代の記憶を遡ると、周囲には貧しさとの苦闘の痕跡がたくさん残っていたような思い出もよみがえる。

ロビンソンの末裔

ロビンソンの末裔

  • 作者: 開高 健
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1964/02
  • メディア: 文庫


ロビンソンの末裔

ロビンソンの末裔

  • 作者: 開高 健
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1992/02
  • メディア: 単行本


ぼくは開高健の小説は一冊残らず全部読んでいる。「ロビンソンの末裔」を読むのも3回目くらい。ただ、エッセイはあまり好きではないので少ししか読んでいない。開高健の小説は、人気小説家にありがちな書き急いでいる感じがまったくない。絶筆となった「珠玉」だけはどことなく急いでいる感じがして、自分の死期を悟っているようで悲しかった。以前、開高健とよく旅を共にしたという元広告代理店の方に会った時、「あなたが開高先生にそっくりで驚いた」と言われたことがある。その頃はヒゲもなかったし、眼鏡をかけて鍔付きのフェルト帽を冠っていたので、今思えば確かに似ていたかも知れない。その頃はまだ開高健の小説はほとんど読んでいなかった。
昨年末、東京を発つ前に蔵書をほとんど処分し、どの本をドイツに持っていくか考え小説を4冊だけ選んだ。その中の一冊が「ロビンソンの末裔」。あとは「ガリヴァー旅行記」「遠い声 遠い部屋」「ナボコフの一ダース」。この他、漱石が絶賛した、中勘助の「銀の匙」はガールフレンドから借りていた本なので持ってきた。選ぶ際にいろいろ迷ったのかと言うと、実際にはほとんど考えず、荷物にならない文庫本の中からささっと選んで箱に詰め込んだように思う。今思えば夏目漱石の小説を何か一冊と、森鴎外訳の「吟遊詩人」を持ってくれば良かった。デュッセルドルフに行くことがあればそこで見つけられると思う。




ミラノの阿部雅世さんから、写真家でダネーゼ DANESEの設立者の一人でもあるジャクリーン・ヴォドツ Jacqueline Vodoz が亡くなったというメールが届いた。追悼展が5月26日から6月30日までミラノのダネーゼ財団で開かれる。ジャクリーンがブルーノ・ダネーゼ Burno Danese とともに伝説の会社ダネーゼ DANESEをミラノに築いたのは1957年のこと。未来派の美術家でもあったブルーノ・ムナーリ Burno Munari を始めとするイタリアの偉人クリエーターとともに素晴らしい製品や本をつくり出した会社だった。当時のイタリアは世界有数の工業国で、戦後の復興と発展は目覚ましく「イタリアの奇跡」と呼ばれていた。ダネーゼは「工業」の力による大量生産を目の当たりにして、その力を借りれば「美術作品」もまったく同質のクオリティで大量に生産することができると考えた。美術品は一部の富裕層だけが手にできるワンオフの限定品だった。が、工業により美術品の大衆化という理想を押し進めることができる(そんなダネーゼの製品はインダストリアルアート Industrial art と呼ばれた)……しかしそんな工業化社会の未来を夢みていたのはダネーゼのようなイタリアの一部の思想家や企業家だけで、他の工業国では実用品をいかに安価に早く大量生産し、薄利多売で外貨を稼ぐことに躍起になっていた。工業とデザインも「経済」の奴隷になったわけだ。それによって持つ者と持たざる者の差はなくなったけれど、さらなる大量消費を導くために大量廃棄を促し、捨てられることを前提とした粗悪な工業製品が市場に溢れ、それが現代の大問題となっているのは周知の通り。こうした大量生産大量消費(大量廃棄)経済は、ついには「工業の良心」とも言えるダネーゼまでも有象無象の経済の仕組みに巻き込んでしまい、1991年に同社は事実上消滅する。現在はダネーゼの商標だけが残っている。しかし、商標を手に入れた資本家はダネーゼの精神までは受け継げなかったのか。新「ダネーゼ」の名の下で新たに開発された製品を見ると、ダネーゼなのかカルテルなのかドリアデなのか見分けがつかずその行方に一抹の不安は隠せない。故ジャクリーン女史はそんな現状に無念だっただろうか。それとも達観していたのだろうか。ブルーノ・ダネーゼにムナーリを紹介したのも美術写真家であったジャクリーン女史だった。理想と志で荒々しく回っていた60〜70年代ミラノデザインの大きなギアをつないだ「事件」のような人物だ。事件は終わり、こうしてデザインの良心の灯がまた一つ消えてしまった。これを機会に「工業」の正しい使い方を考えてみるのもいい。幸いなことに過去の素晴らしい製品の一部は現在も製造されていて日本でも購入することはできる。日本ではクワノトレーディングが取り扱っている。
http://www.kuwano-trading.com/

しかし良いニュースもある。阿部雅世さんがベルリンの大学から素晴らしい条件で客員教授に迎えられるという話だ。阿部さんは、無意味な徒党を組まず、欲にまみれたバカげたデザイン政治からも距離をおき、理想に怯まず誠実にデザインやワークショップを手掛けてきたデザイナー・建築家だ。イタリア人デザイナーの多くが浮ついたデザインセレブリティを争う不毛な時代に、ミラノの「デザインの良心」をしっかりと受け継ぐ人の一人だと思う。トンチと皮肉が支配的な昨今のデザイン界で、素材を喜ばせ人を幸せにする直球勝負の仕事ぶりはとても気持ちが良い。こういうデザイナーがちゃんと評価されるのは本当に素晴らしいことだ。ドイツの国立大学の教授というのは、デザイン研究・開発を本当に必要としている人がそれに専念できるように保障されることで、一部の人々が欲しがるような名誉職ではない。古き良き教養主義が残るドイツならではの人選だと思った。

もう一つグッドニュース。パキスタンからソリチュードに来ていたアーティストのAyaz Jokhioが茨城県守谷市にあるアーティストインレジデンス「ARCUS PROJECT」の招聘作家に選ばれた。今年の年末には日本で彼の作品が公開されることになる。ぼくはAyazの作品が本当に好きなのでこれも嬉しいニュースだった。
http://www.arcus-project.com/


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コメント 4

なっぺ

開高健・・・私は最初に読んだのが「フィッシュ・オン」で、釣り好きではないのに、その文章には入り込んだ記憶があります。それから「食卓は笑う」を読んで・・・そこで止まっていました。「ロビンソンの末裔」読んでみようかな。

そう、先日の橋場さんの日記をきっかけに、佐高信の「手紙の書き方」を読んでみました。私の夫が佐高信さん好きで、本棚に全て著書は揃っていたのですが、手にとって読んだことはなかったのです。でも、この本は私が持っていた彼のイメージと違って、読みやすく共感できる内容でした!
「あぁ、あらゆるイメージって、こうやって自分が勝手に作り出しているんだなぁ。物事の一部だけを見て拒絶しているものって、他にもたくさんあるな」と思ったところです(反省)。
by なっぺ (2005-05-21 18:14) 

hsba

開高健は確かにエッセイも軽妙な語り口で人気がありますが、小説の筆運びはエッセイとはまったく違います。ぼくはやっぱり小説のほうが好きです。当たり外れがありませんよ。
実は佐高信さんの他の本はほとんど読んだ事がないんですよ。佐高さんは典型的な差は左派文化人と目されがちですが、「手紙の書き方」を読むととてもリベラルでまっとうな人だということが分かります。進歩的文化人と称された故・久野収氏を敬愛するだけのことはあると思いました。
by hsba (2005-05-22 02:02) 

たけし

Jacqueline Vodoz氏が亡くなられたんですね・・・
mixiの書き込みで知りました。

橋場さんとマーリ氏の写真を撮ったものです。

ダネーゼの仕事は編集だった、といった内容を以前に雑誌で読んで、
一切製品の広告は出さず、美術館や雑誌にプロジェクトの完成に至るまでをリポートしていただけで、本当にプロダクトのクオリティを信頼していたのだな、と思ったことことをこの記事を読んで思い出しました。

そして、私は行っていないのですが、周りから聞く新ダネーゼの評判を聞くにつけ、ドムスの最新号の表紙がスタルクのガンの照明だったことや、「もう一度、はじめから始めなければならない」と言うエンツォ・マーリ氏のことばに込められた意味について考えてしまいました。


それにしても、キツネ丼、おいしそう・・・
by たけし (2005-05-23 00:41) 

hsba

たけしさん、ミラノではいろいろお世話になりました。
スタルクの照明の評価は微妙ですね。ヘラルドトリビューン誌上ではかなり冷ややかな採り上げ方でした。ああいう解釈が必要なデザインとか、先回りトンチ合戦みたいなデザインは20世紀に置き去りにして欲しかったですね。アタマが良くないと分からないデザインなんかももう結構と言う感じです。モダンデザインから約100年が経って、当初の目的は果たし、これからデザインは何のために必要なのか、誰が必要としているのかをもう一度真面目に考える時代ではないかと思っています。しかし20世紀のコスメティックデザインで骨抜きにされたぼくたちは、まさに「もう一度、はじめから始めなければならない」わけで、結果的に遠回りになってしまった。とても時間がかかることだと思います。だからぼくたちは次の100年のために考えましょう。前のブログにも書きましたが、問題解決のための答えはすべて始まりの中にあるような気がしています。
by hsba (2005-05-23 02:23) 

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