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「悲しい人達」 その⑭ 「繋ぐもの」 [ショートストーリー]


写真  野幌森林公園 2007年8月

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以下はフィクションです。
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朝、厨房入口から施設に入る。
着替えてマスクに白い帽子を被り厨房へ・・。
たくさん焼きあがった朝食用の目玉焼きをチェック。
形の歪なものや黄身が端によったものを早朝勤務職員の朝食用にはねていきます。
朝食の目玉焼きの形でその日のお年寄りの気分が変わるということに気付いたのはこの仕事について半年目。
形の歪な目玉焼きを前にして悲しそうにじっとしているお婆ちゃんを見てはっと気が付きました。
「このお婆ちゃんは目玉焼きの形が歪なのが悲しいんだわ。」
そうしてこの仕事の本当の意味が解った気がしました。
丸い鉄の輪を置いて中に卵を落とし焼く簡単な方法もあるのだけれど、そうして焼いたものはお年寄りにとっては目玉焼きではないと思うので施設長との相談の結果、そういう方法は使わないことにしました。

7年前の35歳の時に離婚しました。
高校時代の同級生の夫のだらしなさにはほとほと愛想をつかして・・・。
女に金に酒にだらしなく、しまいには暴力を奮う始末。夫の親でさえ抑えられはしませんでした。
小学生になりたての子供をつれて札幌から郷里の湖の麓の今は亡き父母が住んでいた町に戻りました。
夫やその親や親戚のいる、札幌を離れたいという一心でした。ほかに暮らす町など思いつかなかったのです。
とりあえずはどうやって子供を食べさせてゆくかが問題。
短大を出てから取得した管理栄養士の免許書を胸に不安を抱えて職安へ向ったのを覚えています。
大した職歴もないのでまともな職に就けるのだろうかと思ったのだけれども・・・。
でも、管理栄養士の免許のお陰で、苦労なく地元の医療法人が経営する老人施設に正職員として就職ができました。亡き母親の「これからは女でも一人で生活を支えられるよう資格をとりなさい。」という言葉が子供との生活を繋ぎとめました。

むしろ苦労はそこからで入所しているお年寄りの食事を考えるという職の難しさにはそれからずっと悩んでいます。

トレイにセットし終わった朝食をチェック。
一つの定食メニューを入所者の病状、咀嚼機能、好みに合わせて個別のメニューに展開します。
そのメニューのとおりにトレイに食事がセットされているかのチェックです。
おかずを細かく刻んだ「刻み食」、ペースト状にしたもの、ごはんが半粥、三分粥などの粥に変わったもの、塩分を抑えたもの、使用禁止の食材を抜いたもの、同じように見えてそれぞれ異なるのです。
このメニュー展開の多さに最初のころは自信をなくしそうになりました。
もしここでセットを間違えると命を繋ぐための食事が反対に命を危険にさらす事になってしまいます。
一番緊張する時です。

朝食の配膳が済み、食事時間が終わり、暫くすると下膳されてきます。
一人一人の残食をチェック。
どの程度食べてくれたのだろうか。残したものは何だろうか。
何よりも最近、残食が多くなってきた人については念入りにチェックします。
たった一口でもいい、何とか食べてほしいと願う人も何人もいます。
この施設で食事を口にしなくなるということはお別れの時が近づいているということでもあるのでそれは嫌だという意識でチェック。
やがて個人的に最近気になる一人の人のお膳を見ることになります。
お粥をどうにか一口、二口というところでした。
細かく刻んだ魚や野菜はほとんど手がついていないようです。
「この人に会いに行かなくては」と思いました。

口から栄養がとれなくなると一気に体力が衰え、顔の表情も無くなってしまいます。
せめてそうなる前に好きなものを食べさせて上げたい・・。そういう思いでいつも残食が急激に多くなった人には会って食べたい物、食べたい味付けを聞きに行くことにしています。
大量調理というやり方では個々人の好みも叶えられるものも少ないので・・せめてそういう時だけは望みを叶えてあげたい・・・
そうしたことで食欲が一時的にしろ少し改善したりもするのです。
でも、この人には特別の思いがあります。
だんだんと居室が近づいてくるほど、心が震えます。

部屋に入るとベッドの脇にお見舞いに来ていた旦那さんが椅子に座っていました。
「佐々木さん。栄養士です。」
と言うと旦那さんが「いつもお世話になってまして・・。」と挨拶をします。
そこでマスクと帽子を取って「お加減はいかがですか。」と、問いかけると・・・
ご主人が目を丸くして「あっ・・」
私は、奥さんに顔を近づけ、「お久しぶりです。お義母さん。」
大きく心が震えます。

元の亭主のご両親・・・。
お義母さんがこの地に戻られ半年前にこの施設に入られたことはその時に解っていました。
正直言ってちゃんと挨拶をする気持ちの整理がつかず、居室に立ち寄る時はマスクと白い帽子を確認したものです。わざわざ、担当を若い栄養士にしたりして・・。
慰謝料も満足に払わず、子供の養育費まで払わないと言い切った人。
その人のせいで、私達親子はどれだけ悲しくつらい思いをしたかわからない。
本質的には悪い人ではないと思いつつ、その人を育てた親までも憎いと思いました。

「お義母さん、解りますか。」
「・・・はい。」と力ない返事が帰ってきます。
「何か食べたいものはないですか。」
「・・・・・。」返事がありません。
「お義母さんから習った、野菜の煮付けを作ってきましょうね。柔らかく煮て食べやすいように小さく刻んできましょう。」
お義母さんは小さく頷きます。
お義父さんは「すまない。」とつぶやき涙を拭います。

厨房に戻っても心の震えは止まりません。
でも、自分の心に気合を入れ、プロの栄養士の自覚を無理やり目覚めさせ野菜の煮付けの調理をします。
今では、プロとしての自覚が自分を支えているのです。
義母から結婚した当時に「これだけは息子のために覚えてほしい」と教り受継いだ料理を作ります。
できるだけ丁寧に、食べやすいように・・
震える心を抑えながら作ります。
一つの命をなんとか繋ぐために・・・


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コメント 12

おはようございます^^
人の命にかかわるお仕事、気が抜けませんね。
by (2007-08-09 05:08) 

pistacci

深いですね。とてもとても。
by pistacci (2007-08-09 23:26) 

haru

○mimimomoさん、イリスさん、青い鳥さん
ごめんなさい。作成途中にアップしてしまったものを読んでいただいたりして。もし、よろしかったら、完成しましたのでもう一度呼んでください。
by haru (2007-08-10 08:48) 

haru

○pistacciさん
人生はこういう物語以上に深いですよねぇ。
そういう複雑さをどうやって表現しようかと思っています。
by haru (2007-08-10 10:29) 

どっぷり、読んじゃいました。^^
by (2007-08-10 11:22) 

むらさき

大変なお仕事と思います。
生活の糧にとどまらず、思いやりと自覚を持って
向かっておいでの姿に胸を打つものがあります。
偶然、ケアをされた方がお義母さんだったなんて・・・
心の中の葛藤を超えて、接していかれる様子、涙がこぼれます。
年代は違いますが我家の義母もひどい痴呆に冒され、朝になるまで
わめき散らして居た事もたびたびでした。両手で抱きかかえ、なだめながら
やっと朝を迎えたとき、義母の口を付いて出た言葉は「○○ちゃん ありがとね」と言う言葉でした。○○と言うのは私のことではなく、ふだん接する事もない義弟のお嫁さんの事でした。
奔放な彼女が義母にとって悩みの種だったのですが、その時は体中の力が抜けてしまいました。
その頃の私の心を救ってくれたのが介護士さんでした。
このショートストーリーを拝読させていただいて、その時の想いが蘇って来ました。
長い書き込みになってすみません。
本当に人生って、深いですね。 偶然の連続ですね。
by むらさき (2007-08-10 12:21) 

再びこんにちは^^
『事実は小説より奇なり』と言う言葉を昔聞きましたが、現実にこういうことが起こったとき、わたくしだったらまともに対応できるかどうか・・・
人間は綺麗な面ばかりではなく、むしろ醜い面のほうが多いような気もします。
by (2007-08-10 15:34) 

春香

 「許し」には、「痛みを引きずることをやめる」「痛みを与える人の支配下に二度と自分を置かない」という意味もあるそうですが、この話を読んでこの「許し」の意味が分かった気がしました。。。
by 春香 (2007-08-10 21:19) 

かよりん

人生って一寸先はどうなるか分かりませんね。
奥深い作品でした。
by かよりん (2007-08-10 23:26) 

haru

○むらさきさん
介護の難しさには本当に悩みますね。心や人格が壊れていく人を心で支えるというとっても残酷で困難なことを強いられます。何か支えや救いがないと・・。そういう気持ちも痛いほどわかります。

○mimimomoさん
現実に起こっていることのほうがどんなフィクションより複雑です。それに書き留めるということにも限界がありますね。

○夜波音さん
成る程、許しにはそういう理解が成り立ちますね。勉強になりました。

○かよりんさん
現実にこの程度の偶然は良く起こってますよね。将来のことは予測できません。
by haru (2007-08-11 22:08) 

masugi

女性が主人公って珍しいですね。
でも、いつものように、短い中に確かな
輝く核を持った、素晴らしい短編です~。
by masugi (2007-08-14 17:42) 

haru

○masugiさん
管理栄養士さんの仕事について世間一般的にはあまり認知されていないと思うのですが何人かのベテランの管理栄養士さんのお話を聞く機会があってその仕事の内容やご本人のプロ意識に驚きました。
そういうものを何とか表現いたくてこの話を作ってみました。
by haru (2007-08-15 10:07) 

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