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鎮魂の光 [▼研究実況 Now!]

前回の記事で向かった先はこちら。

         おお、見えた。

毎年12月、阪神淡路大震災の犠牲者へのレクイエムと、
神戸復興への思いをのせた光の彫刻。


           神戸ルミナリエ。

ルミナリエは鎮魂の光。あの地震からもう11年か。。。
…当時私は京都にいました。また地震の数年前には神戸にすんでいました。
大変複雑な思いで、神戸や京都を往復していたことを覚えています。


           光の回廊。

…当時は私は大学院生でした。地震の調査のようなことをテーマに研究している矢先の
大地震でしたが、想像力が欠如していて、発生当日はテレビを見ていただけでした。
翌日以降、先生が調査に行くのにくっついていきました。研究所も人手が足りなかったの
です。地震の調査を通じて何か貢献しよう、と思い何度も神戸入りしましたが、結局は
「自分はこの地震に対してなにができるのか」「なにを残せるのか?」といったところに
は頭も体もついていっていなかったと思います。


        回廊の先にある光の寺院。

”神戸の友達も大勢被災しているのに、なんと無力で情けないことか…”
”いっそ自分も被災したほうが、災いを共感できるのではないか…”
などと考えたこともありました。


         光の寺院にたどりつく。

…あとで知りましたが、あの地震では後輩が亡くなりました。なじみだった飲み屋も、よ
く買い物に行った店もなくなってしまいました。あるはずのものがなくなる悲しさ。いや、
私の失ったものなんてまだましなのでしょう。


         ダブルルミナリエ。
       ビルに反射してるだけですけど。

…とそんなことを考えながら歩いてました。あれから11年、いやもうすぐ12年、
今もまだ地震の調査らしきものに関わっている身です。
あのときからすこしでも自分は成長したでしょうか?
あの地震以来、なんとか一矢報いたいと思いつつ、いまだ果たせていません。
長い道のりです。

つづく。

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神戸ルミナリエのページはこちら。
http://www.kobe-luminarie.jp/
過去のルミナリエも見れます。随分デザイン変わってるんですね。


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コメント 9

阿頼王

MANTAさんへ
綺麗ですねルミナリエ。
わたしも神戸に住んでいますから、あの震災に遭って、一時期、嫁の実家にマスオさん生活してました。
あの時は、地震だとは思いませんでしたね。なんか爆弾でも落ちてきたのかと思いました。
うちはそれ程被害受けなかったですけど、死者6436名の命が一瞬にして失われてしまいましたよね。その事を想い出すたびに、胸が震えるような悲しみが込み上げてきます。
彼らの分まで精一杯頑張っているだろうかと思うと、自分の事だけで精一杯の自分が居て…でも、そうして毎日生きていくしかないのでしょうね。政府の初動がもう少し早ければ、救われた命もたくさんあったでしょう。わたしたちは、あの時の記憶を忘れてはいけないのでしょうね。そして、語り継いで行かなければならないのでしょうね。もしも、どこかで同じような災害が起こった時には、少しでも多くの被災者を救えるように…。
by 阿頼王 (2006-12-19 22:38) 

ちゃめ

 なんだ。
 神戸に来てたんだ。
 反射ルミナリエがいいね。

 神戸はすっかり変わったよ。
 良い方向に変わっているのか?
 悪い方向に向かっているのか?
 それは判らないけど、街が変るという事は、そこで人々が生きている証拠でもある。

 神戸が「東京化」するのは、見ていて残念だけど、この街には震災を乗り越えた人たちが住んでいるんだ。
 つまり、喪失を克服する事によって、他のどんな都市よりも逞しく、生命の意味を深く知る人たちが居るってことさ。
 テレビで見て疑似体験したんじゃなくて、実際にあの修羅場を絶望を味わって、あの地獄で涙を流した人たちが、今の神戸を作っているんだ。
 だから、神戸はもっと素敵な街になる。
 僕はそう信じている。
by ちゃめ (2006-12-20 12:39) 

inuesgk_blog

やっぱりきれいですね。

実は去年まで神戸に住んでました。
ルミナリエもほぼ毎年行ってました。あれからもう12年ですか…。
震災の時はまだ小学生でした。

それこそ始まった当初はほんとに哀悼ムードのイベントでしたが、だんだん遠くからも人が集まるようになったり、神戸の人自体が入れ替わったりして、最近は明るいムードになってきているように思います。

僕も今はもう神戸を遠く離れてしまいましたが、そっと祈りを捧げるとしましょう。
by inuesgk_blog (2006-12-20 17:12) 

MANTA

- コメントありがとうございます。> 神戸に住まれたことのある皆様
みなさんかつての神戸、地震の時の神戸、いまの神戸、
それぞれの神戸に思いをはせている様子がわかります。
ルミナリエがあるおかげで、忘れてしまうようなことも、忘れてしまいたいことも、また思い出させてくれる。同時にルミナリエの賑わいに新しい神戸を感じる。よいイベントだと思います。
by MANTA (2006-12-21 06:02) 

MANTA

「この街には震災を乗り越えた人たちが住んでいるんだ。」
私には胸に残る一文です。> ちゃめさん
いまの世の中、自分の住んでいる町を愛し、よくしたいと思う人はどれくらいいるのでしょうか?日本人は度重なる災害にめげず、町を愛し、破壊から立ち直ることで「日本」を作ってきたように思います。神戸はいまもっとも「日本」らしい町なのかも知れません。

今回は別件で家内と関西に来たのですが、別件キャンセルのため
急遽ルミナリエを見に行くことになりました。泊まりも実は大阪。もうちょっとゆっくり関西をぶらぶらしたいのですが、まもなく調査航海。はぁ、いそがしいなぁ。
by MANTA (2006-12-21 06:10) 

honyapin-turedure

ルミナリエも一時は資金難等の理由で止めるという話になったけど、地元の人々の希望でずっと続けることになったと記憶しています。すごくキレイなんだけど、この催しの始まりを知ってからはそれだけじゃなくて、すこし切ない気持ちにもなります。
今じゃすごい人出だから、気軽に行こかという風には行かなくなりましたが(^^;)ずっとこの灯をともし続けて欲しいと願っています。


前回の記事のコメント、ボケちゃいました(^^;)ここの始めにちゃんと書いてあったのにネ。うっわー、すごい人!
by honyapin-turedure (2006-12-21 16:22) 

竜

そうか、MANTAさんって震災の当時大学院生ということは実は私と同年代のようですね。もっと年上の方と思っていました。もしかしたら宇治の防災研あたりですれ違っていたかも?

当時、私は北海道にいて、たまたま1月17日は早朝の列車で遠くに行く用事があり、5時半起きで車に乗って駅に向かっていました。車のラジオをつけていたら6時前に臨時ニュースで「淡路島震源でM7.2、深さ20km」との報道。「げっ、ほとんど明石と神戸の直下じゃないか」とぞっとしましたが、お昼のテレビ映像を見たら自分の想像をはるかに上回る被害。

その後、2週間ほど経ってから私も観測の手伝いで伊丹や川西あたりにお邪魔し、最後の日に芦屋へ。報道では絶対にわからなかったことは、路面がでこぼこで歩くのが大変だったこと。今でもはっきり覚えています。
by 竜 (2006-12-22 00:00) 

maururu

私、被災者です。当時は論文を書いていました。
私もルミナリエ、写真撮ったんですよ。
毎年、複雑な思いで、眺めています。

御訪問ありがとうございます。
by maururu (2006-12-23 12:42) 

MANTA

- ルミナリエ、確かに資金難のようですね > ほにゃぴんさん
ただその理由は結構複雑そうです。次の記事でちょっと触れますね。

- 竜さんとはいまも幕張ですれ違ってるんでしょうね。
当時の調査でよく覚えているのは、神戸で泊まったとき。寝床で耳をすますと、とても小さく低い音が聞こえるのです。あれは余震の音だったのか…

- ルミナリエの記事も拝見しました >  くりぼうさん
論文って卒論や修論だったんですか?私の知人は大学にツルハシを
借りに行ったそうです。崩れた自宅アパートから卒論の原稿を掘り出す
ために。話を聞いて、私も当時その大変さに気が遠くなりました。
by MANTA (2006-12-24 10:13) 

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