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緑の雲のように ラクウショウ [gillman*s park]

緑の雲のように ラクウショウ


 ラクウショウの素晴らしい緑色が戻ってきた。前にも一度話したように、この公園の基本的景観はこのラクウショウメタセコイアそれにシダレヤナギの三つの樹木によって作られている。もちろん他の木々もそれぞれ重要な役割を担っているが、公園全体としての季節感はこの三種類の木によって演出されている。この三種類の木は季節の移り変わりで変化する葉によってその表情を変えてゆく。加えて、これからは、年とともに成長してゆく若いの木がこの公園の景観に花としての彩を添えてゆくことになると思う。

 色の波のように足早に通り過ぎてゆく花々の賑やかな美しさに比べて、葉の美しさは派手さこそないが、時間と共に心に染み入る美しさを持っている。ことにこのラクウショウの葉は鳥の羽のように繊細で、その葉が秋から冬にかけて鮮やかな緑色からキジの羽のような褐色に姿を変えてゆくのを一年かけて見てきたが、そのすばらしさに心を打たれた。そして今は緑の季節だ。ふんわりと緑の雲のようにラウショウの枝が公園を覆っている。

                  

 今日公園で今年初めてチョウトンボを見ました。池のほうへ行くとシオカラトンボが尻尾で盛んに水面を叩く産卵行動をしていました。池の反対側では真っ赤なトンボも見かけました。素早く飛び去ったのでアキアカネショウジョウトンボか分かりませんでしたが、もう夏は確実にそこまで来ていますね。
<ちょっと、おふざけ>
気がつきました? 上の写真の中央の小さな人影
クローズアップすると「非常口」の標識の人物のようです
偶然ですが…
 

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雨に負けぬ花 [gillman*s park]

雨に負けぬ花 Flowers never bend with the rainfall


 今日は朝から雨が降っていた。雨が降っていたので、公園に行った。雨が降っているのにではなくて、雨が降っていたので…。公園では睡蓮が咲き始めている。夏の早い朝、白い光を浴びて一斉にほころぶ睡蓮の花もすがすがしくて好きだが、雨の中に妖艶に咲く睡蓮もまたいい。

 空から降ってくる雨を、両手の掌を広げて受け止めているような睡蓮の花。確かモネの睡蓮の池の絵も、雨に煙る池にかかるシダレヤナギと水面に浮かぶ睡蓮の花の姿を写し取っていた。雨はしのつくというほどではないが、それでも時折は風に吹き寄せられた雨が、水面に無数の輪を描いてゆく。風に乗って吹き付けてくる雨に打たれて、そのたびに睡蓮の花が震えている。

 雨に負けぬ花。雨に耐えて、というより雨がその魅力を引き立ててくれる花がある。この睡蓮もそうだし、紫陽花も雨が良く似合う。そういえば白い菖蒲も雨に映えていた。どの花も雨が汚れを落としてその花の色を純化してくれたように輝きを放っている。人は冬になると、春を想い、春になると想いを夏にはせる。いつも、その先にある何かを待ち望んでいる。でも花は今この季節を、この場所で精一杯に生きている。


               
このアルバムの中にボール・サイモンの歌う『雨に負けぬ花』(Flowers never bend with the rainfall)が入っていますね。彼の歌う曲の中でも好きな曲のひとつです。

 
Paul Simon 
The Paul Simon Songbook 

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鈍色の水面に カルガモ [gillman*s park]

鈍色の水面に カルガモ

   
    
    ■かるの水尾(みお) ひろがりて傘 重くなる  村沢夏風

 梅雨らしい天気が続いている。やがてやってくる灼熱の夏に備えて、命の力を蓄えるように生き物はひっそりとその体に水の精気を吸い込んでいる。どんよりとした空の下で公園も静まり返っている。静かに流れてゆく公園の時間の中でカルガモの子供たちの声だけが響いている。

 よく見ると、そこここにカルガモの親子が団体で水面に浮かんでいる。親鳥は水面を滑るように静かに進んでゆくが、カルガモの子供たちはそれに遅れまいとお尻を振りながら全力で泳いでいる。鈍色の空を映した墨絵のような水面の上をカルガモの親子が滑ってゆく。水面をじっと見つめていると、色のないはずの水面に刹那、虹色が浮かび上がる時がある。

 一瞬、目がくらむような夏の光が脳裏をよぎった。真っ白な光が頭の中にパッと広がり幻覚を見たような気がした。去年の夏、この池に来て初めて目にした光景。キラキラと輝く水面の近くに虹色の翅をした無数のチョウトンボの群れが舞っていた。まるで夢の中の光景のように脳裏に焼き付いている。
…やがて雷がなるとまた夏がやってくる。

                 
 
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 [gillman*s park]




今日はどんよりと
曇って
今にも雨が降って
来そうだ

いつもは
見慣れた道が

なんか
違う世界への
入り口みたいに
誘いかけている

 

      

 

 


でも、午後には…

日の光が戻ってきて
道の向こうには、いつもの
緑溢れる世界がありました
                   


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数字 [新隠居主義]

数字

   
 ぼくはずっと数字の世界で生きてきた。とかとか数字で表現されたものがいろいろなものの価値やその存在意義をも決定する非情な世界だ。それはある意味では誰にでも分かりやすく、一見公平に見える世界だ。ぼくは文科系の大学を出たから数字は余り得意ではなかったし、好きでもなかった。

 しかし会社に入ってその世界で生きてゆくには数字に強くなることが不可欠であることが分かった。上司は「数字は正直だ。嘘をつかない。」と教えてくれた。まだパソコンもない時代だったし、電卓も一桁一万円という高価なものだった。それでもぼくは給料をはたいて当時最先端のプログラム電卓を買った。次第に数字と言うものの面白さに気がつくようになっていったが、同時に確かに数字は嘘をつかないが、数字を好んで使う人間にあまり信用できない種類の人間が多いことにも気がついた。そして自分がそういう人間になってゆくような恐怖感をいつも感じていた。

 「改革」が叫ばれると、企業の中でも全てを計量化したり、数値化する動きが急速に浸透し、それが社会全体にもあっという間に広がってゆき気がつくと、世の中には数字が溢れ返っていた。デジタル化の波と数値化の波は並行して押し寄せ世の中を大きく変えつつある。変化を見つめる人々の視線は限りなく短期に傾き、デジタル的に表示される数値は人々の目を限りなく瑣末な差へと向けさせてゆく。経営者は日々、刻々と変わる株価や円相場に追われ、サラリーマンは自分の評価に追われ、政治家は支持率に、マスコミは視聴率に…

 嘘をつかないはずの数字が、いつの間にか都合のいい道具として使われたり、人々を苦しめたり、凶器にすらなっている状況が増えているような気がする。本来、真実を語るためのものであった数字は、油断をすると数字自体が目的と化すことで人間に復讐することがある。数字を駆使していたつもりが、数字に踊らされている人間になっていることに多くの人たちが気づいていない。

 そのうち「あなたは今、何パーセントくらい幸せですか」とか「あなたは去年より何ポイントくらい幸せになりましたか?」なんてアンケートが来るかもしれない。しかし幸せは数値化することはできないのだ。ほんとうに大切なもの、それは数字では表せないものだ。

                   
 
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