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ある独裁者の影 Ⅱ 三人の男 [新隠居主義]

ある独裁者の影 Ⅱ 三人の男

        
 この写真をレンツおばさんがいつ撮影したかはよく覚えていないが、少なくとも1933年もしくは1934年以前のものだと思う。まず1934年以前だろうと思われるのはオープンカーの上でナチス式の敬礼をしているヒトラーの回りを固めているのがSA(ナチス党突撃隊)の人間であることが制服から分かるが、1934年以降はSA幹部はヒトラーに粛清されてSS(ナチス親衛隊)が固めているのが普通ではないかと思う。

 また、1933年にはヒトラーは首相に就任し、翌年には大統領を兼任して「総統」に就任したので暗殺を恐れて、オープンカーの後ろ側にある窓からのどかに演説を見物するなどの行為はさせないはずである。

 部分拡大

 今回、写真をスキャナーで高密度で取り込み拡大してみたところ当時のナチス党の重要人物と思われる人物が写っていることがわかった。それは最前列に並んでいる幹部と思しき人物のうち四角で囲った二人である。どちらもその容貌には忘れられない特徴がある。それぞれ右側の写真は公にされた資料からとった顔写真だ。比べてみると極めて似ている。  

     
A)Gregor Strasser グレゴール・シュトラッサー…政権獲得前のナチス
党第二の実力者で、「ナチス左派」と呼ばれる同党左派の流れを代表する人物、第一の実力者はヒトラーの盟友といわれたエルンスト・レームである

    
B)Heinrich Himmler  ハインリッヒ・ヒムラー…後のナチス親衛隊全国指導者、ゲシュタポを含むナチス時代の警察機構の最高責任者でホロコーストの推進者と言われる人物

 この二人が浮かび上がってきた。ヒトラーの前列の立ち位置から言ってこの時点ではシュトラッサーの方が党内の地位は上で、ヒムラーはまだ右端の位置に立っている。ヒトラーも総統になってからは帽子を被っている写真が多いが、このときは被っていない。当時の党幹部が並んでいるようなので、さらに仔細に分析すれば他の人物も特定できるかも知れない。シュトラッサーの右となりにいる大柄な人物はドイツ国防軍の軍服を着、ヘルメットを被っているようにも見えるが、これは誰だろうか。

三人の男
 この写真ではヒトラーシュトラッサーヒムラーの三人が一同に会している(写真の人物がそうであればだが…)。この後、三人の運命は大きく変わっていった。ヒトラーは共産党、社会民主党や労働組合などの国内の反対派勢力を一掃したが、レームの率いるSA(ナチス党突撃隊)は失業者などを取り込み250万人にも膨れ上がって、もはやヒトラーの統率が効かなくなっていた。レームヒトラーのことを「おまえ」と呼び、ドイツ国防軍に取って代わる勢力になろうと画策していた。

 ヒトラーはついに意を決して、1934年6月30日の夜に一斉に突撃隊の粛清を断行した。「長いナイフの夜」と呼ばれる事件だ。レームは親衛隊に捕らえられ自決を迫られたが、拒否し結局銃殺された。この事件の前にシュトラッサーレームヒトラーを排除しようと持ちかけたが、レームはあくまでもヒトラーの友情を信じていたと言うくだりが三島由紀夫の戯曲「わが友ヒトラー」に出てくるが史実ではないらしい。
この長いナイフの夜に乗じてシュトラッサーも裁判にかけられることなく銃殺されてしまった。長いナイフの夜は7月2日までつづき200人以上が殺害されたと推定される。

 この粛清を実行したのはおもにSS(ナチス親衛隊)であった。その親衛隊のトップがヒムラーだった。彼はかつてシュトラッサーの秘書のような仕事もしていたが、この分岐点に立ってヒトラーにつくことを選んだ。この事件以降、ヒトラーの身辺警護はヒムラーの統括するナチス親衛隊の任務となった。突撃隊の一組織に過ぎなかった親衛隊は、ヒトラー個人に忠誠を誓う暴力組織として強大な権力を持つこととなった。

 大戦末期にはヒムラーはアメリカ・イギリスと講和をし共同して共産ロシアと戦おうと画策したが、ヒトラーの知るところとなり全ての地位を剥奪された。結局彼は終戦時に変装して捕虜収容所に潜り込んだが発覚し、奥歯に仕込んでいた青酸カリを飲んで自決した。ヒトラー自身はよく知られているようにベルリン陥落を前に市内の防空壕でエヴァ・ブラウンと自決した。こうして、この写真に収められている三人は三様の形で歴史の舞台から消えていった。時代のめぐり合わせであろうか。

 * ある独裁者の影 アドルフ・ヒトラー

               

 戯曲「わが友ヒットラー」


『わが友ヒットラー』覚書   三島由紀夫
… さて、『わが友ヒットラー』は、アラン・バロックの『アドルフ・ヒットラー』を読むうちに、一九三四年のレーム事件に甚だ興味をおぼえ、この本を材料にして組み立てた芝居である。粛清すぐ前に、ヒットラーはそれぞれレームシュトラッサーに別々に会っているが、この芝居のように、レームシュトラッサーが、所もあろうに首相官邸で会って、大声で政権転覆を論じたというような史実はない。ないけれども、あの当時、この二人がこっそり会ったことはありえたような気が私にはする。又、ヒットラーとレームの友情を強調する「アドルスト鼠」の挿話ももちろん私の創作である。しかし粛清後ヒットラーが不眠症にかかり、心労の果てにやつれたというのは実話のようで、まだ「人間的な」ヒットラーがヒットラーの中に生きていた時期の物語である。

 国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬというのは、政治的鉄則であるように思われる。そして一時的に中道政治を装って、国民を安心させて、一気にベルト・コンベア一に載せてしまうのである。何事にも無計画的、行きあたりばったりな日本は、左翼弾圧からはじめて、昭和十一年の二・二六事件の処刑にいたるまで、極左極右を斬るのにほぼ十年を要した。それをヒットラーは一夜でやってのけたのである。是非善悪はともかくヒットラーの政治的天才をこの事件はよく証明している。

 レームに私はもっとも感情移入をして、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた。センチメンタルな一面を持つドイツ人と、日本人との一種の共通点をレームに感じた。アラン・バロックも、死にいたるまでヒットラーを疑わなかったレームのお人好しぶりに呆れている。
 シュトラッサーは実際は酒豪で豪快な大男だったが、レームとの対照上、又、日本の現代の観客で彼を知る人の少ないことを計算に入れて、思い切って性格を改変した。

  ずいぶんいろんな人に、「お前はそんなにヒットラーが好きなのか」ときかれたが、ヒットラーの芝居を書いたからとて、ヒットラーが好きになる義理はあるまい。正直のところ、私はヒットラーという人物には怖ろしい興味を感ずるが、好きかきらいかときかれれば、きらいと答える他はない。ヒットラーは政治的天才であったが、英雄ではなかった。英雄というものに必須な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けていた。ヒットラーは、二十世紀そのもののように暗い。

(劇団浪漫劇場プログラム・昭和四十四年一月より)

*最近ドイツ映画「ヒトラー最後の12日間」が公開されて話題になりました。話題になった一つの理由は戦後ドイツ映画が初めてヒトラーを人間として描いたことにあるようです。もちろんヒトラーとて人間であることには違いはありませんが、それが彼の行為をいささかでも肯定する要素を含んでいるのであれば極めて遺憾なことと言わざるをえません。

 人間的であるということは、悪魔的であり同時に美をも愛する生き物であるということに気がつかされたのは、当時東ドイツ領のブーヘンバルトにあったナチスの強制収容所を訪れた時のことでした。その時のことはまた別の機会に書いてみたいと思います。

 ヒトラーに反抗した人々のことについても以前少し触れてみましたのでご興味があれば覗いてみてください。


 **写真の姿から言うと充分にシュトラッサーなのですが、彼はこの年の初めにスキー事故にあい入院しているので、まだ活動していない可能性もありますが、微妙なところです。シルエット的に言うとそれ以外では可能性のあるのは当時の管区長である禿げ頭のCarl Roever位でしょうか。



ことしも7月20日がまたやってくる




[この写真の撮影時期について]

 その後もこの写真の撮影時期を調べていましたが、最近ドイツの某ホームページでこの写真が撮られた前後数分に撮影されたと思われる写真を発見しました。

 それは1931年5月5日に北ドイツのオルデンブルクで17日の州議会選挙に向けて開かれたナチスの党大会に際してヒトラーをはじめとするナチス幹部がプェルデマルクト広場で5000人のナチス突撃隊(SA)の行進を観閲した時の写真でした。

スクリーンショット 2015-07-06 13.53.41.jpg

 この写真の撮影者については述べられていませんでしたが、ナチス要人達の立ち位置、ヒトラーの背後の建物からパレードを見物している人たちの位置の変化などからみて二枚の写真は撮られた時間、撮った位置が極めて近いということが分かります。

 写真を撮ったレンツおばさんもこの撮影者のすぐ近くに居てこの行進を見守っていたのだと思うと不思議な気持ちになります。今では既知の歴史の出来事として頭に入っている事柄が、時代と言う大きなうねりの中に身を置いて眼前の出来事として目撃した時、脳裏に浮かんでくるのは、果たして今思っていることと同じことでしょうか。

 また、関連した記事、写真から見るとシュトラッサーと思われていた禿げ頭の人物は管区長で後の州首相にもなったCarl Roeverの可能性が高くなりました。またもう一人の男もヒムラーかどうかは確認できませんでした。 (6.July 2015)

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コメント 13

Silvermac

かつては、ヒットラー生存説もありましたね。私は1933年生まれですから、ナチスと共に生きたわけですね。
by Silvermac (2006-03-28 22:14) 

しかし当時熱狂した市民がいたことも確かなんですよね。
by (2006-03-28 22:22) 

くみみん

こんばんは。ヒットラーは若い頃芸術家を目指していたそうですね。
何が、彼を独裁者にしてしまったのでしょう??時代でしょうか?
周りの人たちでしょうか?それとも、なるべくしてなったのでしょうか?
もし、この人が芸術家になっていたら…、時代は変わっていたのかしら?
by くみみん (2006-03-28 23:05) 

gillman

ヒトラーは若いとき芸術家を目指してウィーンで極貧の生活をしていました。その体験と第一次大戦の体験が彼のベースになっていると思います。また彼はドイツ人ではなくオーストリア人ですから、そんなことも影響しているかもしれません。時代が彼を作り、その彼がまた時代を作ったのだと思います。
by gillman (2006-03-28 23:24) 

albireo

ヒトラーもまた、時代の子だったということですね・・・。
でも、日本でも、また過剰な民族主義的な思考をする人間が、増えて来ているような感じもします・・・。
やはり、過去からしっかり学ぶ必要があるのだろうと思います。
by albireo (2006-03-29 01:40) 

おはようございます。
ヒトラーが時代を作ったのか、ただ周りの空気に流されたのか。多くの場合
民衆を含めて時代に逆らえないし流される。中枢にいると思っていたら脇役になっている。ヒトラーだって人間だったんだ。
歴史って分かるようで分からない。その国その国の歴史の捉え方があって、それでいいと思う。わたくしって事なかれ主義なのかもしれない(><)
by (2006-03-29 05:31) 

tm-photo

おはようございます。
大変興味深くよまさせてもらいました。
by tm-photo (2006-03-29 07:13) 

mippimama

おはようございます。
増々貴重なお写真ですね。
やっぱりヒットラーの時代に生まれてなくて良かった^^;
by mippimama (2006-03-29 09:24) 

としぽ

大変興味深く拝見させてもらいました。撮影年の検証で歴史的に有名な
人が出てくるなんて凄いですね。(戦争を肯定するつもりは有りませんが)
by としぽ (2006-03-29 17:04) 

kan

続きの記事もよませていただきます。
by kan (2006-03-29 18:52) 

coco030705

こんばんは。
ヒットラーは怖いです。悪魔だと思っています。
ナチスの時代を振り返ると、人間って怖いなあと
つくづく思います。第2のヒットラーが出現しないことを
祈るばかりです。
by coco030705 (2006-03-29 21:50) 

Rucci

歴史とだけに触れていると、実在した現実を忘れそうになることがえてしてあります。
ヒトラーも また生きた人間なのだ と、あらためて実感をさせられました。
by Rucci (2006-03-29 23:01) 

花IKADA

少女だったころに、アンネの日記を何度も読み返しては心を痛めていた記憶があります(_ _。)・・・
by 花IKADA (2006-03-30 14:57) 

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