お玉稲荷(日本橋北部) [江戸の風情]
お玉が池跡地界隈は、幕末の頃には、佐久間象山「象山書院」、東条一堂「瑤池塾」、大窪詩佛「詩聖堂」、千葉周作「玄武館」、磯又右衛門の柔術道場(天神真楊流)といった文武が学べる場所で、それらを学ぶ者達で賑わったと言われる。
お玉が池は、江戸初期の湿地帯であった頃、埋め立て開発で生まれた池で、不忍池よりも広い池だったというが、幕末の頃には埋め立てられて、ほぼ無くなっていたという。
名は、神田松枝町のお玉が、池に身を投げたという古事から付いたとされる。
現在お玉が池を偲ぶものは、お玉稲荷だけである。
桜ノ池(お玉が池と呼ばれる前は、こう言われた)に身を投げたお玉の霊を鎮める為に建てられたといわれるお玉稲荷。 鳥居は、石造りの鹿島鳥居。 | |
お玉が池種痘所跡の石碑と説明板。 |
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2007-05-08 00:14
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