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岸田秀の押しつけ憲法論、あるいは、反=押しつけ憲法論 [history]

                                                                                     

2007年6月14日朝日新聞朝刊文化欄に岸田秀(心理学者)の短文『安倍改憲は「自主」なのか』  米に従属する現状、直視を』 を掲載している。 現実のニッポンは第二次大戦敗北後、米国の属国状態であることは誰しも認めるところだが、その現実を認めることをせず、憲法を改正すれば属国状態から抜け出せると自己幻想にひたり、その実質は一層の対米従属をもたらす。これをうすうす感づいていながら感づかない振りをしているだけ。岸田は、ニホンの隷属的状態を直視して、この現状を認識した上でそのなかで最善の国益を考えるべきであるという。現状で改憲すれば、これまで以上の押しつけ憲法になることはあきらか、という。

「さきの日米戦争において。。。(日米の)両陣営とも狂気に陥ったとしか見えないが、日本側の「狂気」にはそれなりの理由があった。破れれば日本が米に隷属する属国になることが火を見るより明らかで、それだけは断じて避けたいと必死にあがいていたのである。しかし日本は徹底抗戦をあきらめて降伏を選んだ。恐れたとおり日本は米に従属する属国になった。」

「わたし(岸田)はかねて日本の歴史を、外的自己を崇拝する卑屈な「外的自己」と、外国を憎悪し軽蔑する誇大妄想的な「内的自己」との葛藤、交代、妥協などの歴史として説明してきているが、日米戦争の敗北に際して日本は、戦争中には猖獗(しょうけつ)を極めていた内的自己を抑圧し、もっぱら外的自己で対米関係を維持する道を選んだ。

そして、内的自己が日本の不可欠の一部であることを否認し、この戦争は日本国民が気の狂った軍国主義者に騙され強制されたに過ぎず、日米の友好関係こそ本来の日本の正しいあり方であるとした。

もちろん、これは自己欺瞞であった。

この自己欺瞞によれば、憲法第9条は米に押しつけられたのではなく、日本国民の希求したものであった。

(略)

しかし、内的自己は抑圧されただけであって、消滅したわけではない。日本のあちこちに米軍の基地があり、日本がその占領下にあること、日本の外交政策はほとんど米に決定されていること、経済や金融や犯罪捜査の面でも米の意向に逆らえないこと、要するに、日本が米に隷属する属国であることは否定しようのない事実であり、抑圧された内的自己の自尊心はつねに傷つき疼いている。」

「しかし、今度の安倍政権の動きはタチが悪い。

今の憲法は押しつけ憲法で、第九条は二度と日本が米に戦争を仕掛けないようにするためであったから、この条項を改定し自主憲法を制定するというのが、安倍首相の意見である。

それはあたかも内的自己の立場を尊重し、日本国民の自尊心を回復するためのようだ。しかし、日本が米の属国であるという現状においては、事実上、米の許容する限度内での改憲しかできない。

今の第九条の歯止めを外せば自衛隊員は米が勝手に決めた戦争で世界のどこかの最前線に送られる消耗品になりかねないし、このように米に好都合な改憲は米の要請である疑いが濃い。今の憲法が押しつけ憲法であることは確かだが、現状で改憲すれば、これまで以上の押しつけ憲法になることは明らかである。

このことを隠蔽して、あたかも自主憲法をめざしていくかのように説くのは卑劣な嘘でしかない。

現状では、日本は米の属国として隷属的に生きていくほかはない。この現状を認識した上で、そのなかでの最善の国益を考えるべきである。この現状だって永久不変ではないから、いつかは変わる。その日を待って辛抱強く臥薪嘗胆の日々を送るしかない。

やむを得ない隷属的な政策を「対等」とか「自主」とかの言葉でごまかして、日本の従属的立場から目を逸らすべきではない。

そのような自己欺瞞こそが、そこから抜け出すためにはどうすべきかという道を見えなくさせ、必要以上に隷属的になっているのにその自覚を麻痺させ、結果的に歯屈辱的隷属を永続させるのである」

##

岸田秀は33年生まれ。この短文を一読するだけで生まれた年代は争えないな、とつくづく思う。私は、戦後、昭和23年生まれの団塊世代である。岸田との違いは、ひとことでいえば国家の呪縛などなーーんにもない、ということ。憲法が押しつけ、というが、別のブログ記事のべたようにそもそも、憲法が押しつけであってなぜ問題なのか?歴史的に見ても近代憲法の骨子をなす、「国民主権」「基本的人権」は何百年という支配階級(国王、封建領主、教会など)との闘争で得られたひとつの思想である(短期的に言えば、普遍思想とみなされた)。日本国憲法は、枢軸国がすべて敗れた歴史的エアポケット期間に米国政府の若手研究者(役人)が、再出発するニッポンに与えたプレゼントであるが、当時の近代憲法常識から比較しても、新規性のない当たり前のことが書いてあるに過ぎない。それより、GHQが日本政府に預けた新憲法の草案作成作業、その答えとして出した日本案があまりに酷すぎた。旧明治憲法の字句を変えた程度のシロモノなのである。そもそも、憲法を誰が文字として表現したか(日本人学者であれ米国の政府役人であれ)、がなぜそれほど問題なのか?重要なのは何が書いてあるか、である。細かな字句をもんだいにしなければこの憲法は世界の現状のどの国の憲法より優れていることはまちがいあるまい。平和主義=不戦・軍備不保持、が時の政権(日米)に不都合になっている、というだけを問題にしているのだ。しかし、この平和主義を謳った憲法によりニッポンは国際社会に復帰したのであり、世界の各国は日本がこの憲法により国家を運営することを担保したのである。平和主義をはずしたら、今後の世界はどうなるか?高度技術を兵器に適用し軍備拡張がどんどん進だけである。これを抑える力は働きようがない。英独仏は革命を経験し、その過程ですぐれた人権思想をとりこんだ憲章・憲法を制定しこれは、世界各国の人権思想主義者や国家運営者の基準となった。米国は創立以来、人間はすべて平等という思想を掲げたが現実においては長く奴隷制を継続し続けた。米国は、奴隷制が現実にあることをもって、米国憲法に奴隷制承認条項を追補したか?それはできないことなのだ。誰しも奴隷として生まれるのではないことは、誰にも分かっている普遍思想なのである。それと同じく、平和・不戦、武器を作らず持たず、使用せず、も普遍思想なのである。現実の情勢がソレを一時的に許さないからといって憲法を変えるなど、自己欺瞞的行為にしかすぎない。歴史に対する恥知らずの行為である。

岸田秀は心理学者なのであるから、憲法も心理学者として解釈して欲しいモノである。そもそも人間は誰でも、生まれてきたとき国家を選べない。親も家族も選べない。当然、憲法なども選べない。名前だって選べない。親の押しつけである。憲法も社会の諸制度(教育、政治、納税、労働、移住、人権なども法律で枠を決められる)も、押しつけであり、個人は憲法を含めた諸制度を、生まれて、教育を受けたある時期に知ることになり、これに背くと生きていけないと覚るのである。戦前を生きた人間にとって、明治革命実行者が作成した天皇制度など、押しつけ以外のなにものでもなかったろう。<押しつけ>かどうかは憲法に限らず、制度にとってはどうでもよいことなのだ(いわば、すべてが原理的にも、歴史的にも、事実としても押しつけなのである)。岸田やその他の論者は、<押しつけ>に拘泥しすぎている。(以下コメント欄に。。。) 

 

 しかし、憲法を含めた制度が押しつけであることと、規定する内容が押しつけ的(非民主的)であることは、まったく別である。押しつけ憲法反対論者が、現状のニッポンの基地や政策がほとんど米軍・政府の押しつけであり、日本国民や政府の自由になっていないことを、非難しないのは滑稽千万である。いや、政府は日本国民の側にではなく、米国政府の出先として機能している。山口県岩国市民が沖縄からの基地移転に反対の意思表示をしたとたん、防衛省が握っている特別補助金を山口市に与えない、という挙に出た、という出来事が先日あった。日本国民は米軍の意を組んだ政府の政策により、自分の払った税金さえ自由に使えないのである。こういう政府が、憲法を押しつけ、といっているのだから笑止。

http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0703_2.htm

安倍の叔父、岸信介は天皇機関論者である。岸信介は、新憲法の骨格というべき平和主義や民主主義の諸原則は認めていた。しかしそれでも、彼においては、国家の基本法が他国から<押しつけられた>こと自体が問題なのであり、それこそが民族の自立を阻害するというのだ。岸信介が巣鴨刑務所から出所し、政治に登場したとき、彼は国の独立を仕上げとは、まず第一に、憲法改正と等価であった。しかし、岸が憲法改正に執心したのは自分を刑務所にたたきこんだGHQのマッカーサー憎し、だけではなく、この目標をかかげることで保守党諸派閥を束ねる、という意図があったという(安倍も同じだろう)。わけても、岸は、戦力保持を拒む第九条の改正を強調した。日本敗戦と米国の対日占領の後遺症を根絶する方法はこの<憲法改正>をおいてほかにない、という。個人都合による憲法改正、なのである。コマッタちゃん一族、というしかない。


 

 

日本国憲法の誕生 憲法は押しつけであってはいけないか
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-05-13
佐藤優、山川均の護憲論、それに天皇制
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-04-15-1

 
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古井戸

so-netに記事原稿をアップしたのだがどういうワケか、後半がちょん切れてしまう。コメント欄に後半を掲載する(このトラブル回復次第このコメントは削除する)


### 記事本文に、以下の記事が続く。。。


しかし、憲法を含めた制度が押しつけであることと、規定する内容が押しつけ的(非民主的)であることは、まったく別である。押しつけ憲法反対論者が、現状のニッポンの基地や政策がほとんど米軍・政府の押しつけであり、日本国民や政府の自由になっていないことを、非難しないのは滑稽千万である。いや、政府は日本国民の側にではなく、米国政府の出先として機能している。山口県岩国市民が沖縄からの基地移転に反対の意思表示をしたとたん、防衛省が握っている特別補助金を山口市に与えない、という挙に出た、という出来事が先日あった。日本国民は米軍の意を組んだ政府の政策により、自分の払った税金さえ自由に使えないのである。こういう政府が、憲法を押しつけ、といっているのだから笑止。
http://www.gensuiki n.org/gnskn_nws/0703 _2.htm

##
安倍の叔父、岸信介は天皇機関論者である。岸信介は、新憲法の骨格というべき平和主義や民主主義の諸原則は認めていた。しかしそれでも、彼においては、国家の基本法が他国から<押しつけられた>こと自体が問題なのであり、それこそが民族の自立を阻害するというのだ。岸信介が巣鴨刑務所から出所し、政治に登場したとき、彼は国の独立を仕上げとは、まず第一に、憲法改正と等価であった。しかし、岸が憲法改正に執心したのは自分を刑務所にたたきこんだGHQのマッカーサー憎し、だけではなく、この目標をかかげることで保守党諸派閥を束ねる、という意図があったという(安倍も同じだろう)。わけても、岸は、戦力保持を拒む第九条の改正を強調した。日本敗戦と米国の対日占領の後遺症を根絶する方法はこの<憲法改正>をおいてほかにない、という。個人都合による憲法改正、なのである。コマッタちゃん一族、というしかない。

前文、それに第九条は、この平和憲法を前提として日本の独立を承認した世界各国と、米国に対して 押しつけ返すべき、戦略上の 玉、なのである。
by 古井戸 (2007-06-15 08:34) 

坪田

 こんにちは。
 先日は、コメントを頂いてありがとうございます(余りに遅い反応ですいません)。
 おっしゃるとおりだと思います。
 憲法規範を押し付けられた(常に押し付けられる)のは、権力であるという、立憲主義の常識は、必ずしも世間の常識ではないのが、残念ながら現実のようです。
 自民党の新憲法草案とりわけ9条改悪がアメリカの押し付けであることも、徐々に理解されつつありますが、残念ながらまだ一般的ではないと思います。
 結局のところ、押し付けであろうとなかろうと、問題は中身だと思いますが、そして、憲法を読めば、憲法がいかに素晴らしいかすぐに理解されると思うのですが、なかなか簡単にはいかないようです。
 9条がアジアを中心とする近隣諸国においてどのように評価されているのかを知り、その諸外国の人たちと連帯しようとする動きが活発になりつつありますが、こういう人たちの話を聞くと、「日本国憲法、今こそ旬」という思いで、元気が出ます。
by 坪田 (2007-07-06 12:50) 

古井戸

旬であろうと、なかろうと、北極星のように常に必要な規則があります。

戦争をするな、です。
by 古井戸 (2007-07-07 06:53) 

しこな

はじめまして。
最近シコシコ地味に読んでます。
北極星の返信に、とても感動しました。
無理せずこれからもガンバってくださいね。
朝から、突然の書き込み失礼致しました。
by しこな (2007-07-17 07:13) 

えんや

今沖縄にある米軍基地の移転が政界での一つの課題になってるが、なんと憲法に反する「軍」です。移転ではなく私は米軍に帰って貰いたいです。
by えんや (2009-12-28 19:55) 

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