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日本国憲法の誕生    [history]

                                 

 

 

日本国憲法は昭和21年(1946年)11月3日に公布され、昭和22年(1947年)5月3日に施行された。公布の翌年、施行から3ヶ月後の8月2日、文部省は中学1年用の社会科の教科書『あたらしい憲法のはなし』を発行した。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97-%E7%AB%A5%E8%A9%B1%E5%B1%8B%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4887470150

http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

口語体で新憲法の内容をやさしく子どもたちに説明している。全体の構成は次のとおりである。


        目次
一  憲法…………………………………………
二  民主主義とは………………………………
三  國際平和主義………………………………
四  主権在民主義………………………………
五  天皇陛下……………………………………
六  戰爭の放棄…………………………………
七  基本的人権…………………………………
八  國会…………………………………………
九  政党…………………………………………
十  内閣…………………………………………
十一 司法…………………………………………
十二 財政…………………………………………
十三 地方自治……………………………………
十四 改正…………………………………………
十五 最高法規……………………………………


第六章「戦争の放棄」の内容はつぎのようである:

六 戦争の放棄

 みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
  そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
  もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
  みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。』

##

敗戦直後からの憲法改正への動きはつぎのようである(小学館『日本の歴史』第31巻、戦後改革、執筆者=大江志乃夫、p136~)。

昭和20年10月に成立した幣原内閣には憲法改正の積極的な意志はなかった。昭和20年10月11日にマッカーサーから憲法の自由主義化を示唆されると、憲法改正は国務であり、内閣の責任であることを閣議で決定した。しかし憲法担当の松本丞治国務相(丞は正確には<蒸>の草冠を取ったモノ、以下同じ)は、「成算はなにもなく、ただ調査だけをすることだ。(中略)この内閣だけでは調査は完了しないかもしれない」と語り、改憲をサボタージュする方針を明らかにした。しかし、日本の民主化を要求する連合軍の要求は厳しさを加え、天皇の戦争責任を問う国際世論も硬化しつつあった。

 

新憲法の草案は、帝国憲法の全文改正という形式をとって6月20日、第一次吉田内閣の手で議会に提出された。この間、幣原内閣の手で、政府草案の「要綱」はなお精密化と部分的修正ののち、片かな文語体から平がな口語体に改められ、枢密院にかけられた。松本丞治国務相は「国民の至高なる意志というけれど、政治的な意味をあらわしているのであって、主権の所在に変更を加えるものではない」と説明し、主権在民を否定している。

吉田内閣の憲法担当国務相は金森徳次郎であった。憲法審議で一番問題にされたのは、国体は変わったかどうかということであった。金森国務相は、この問題について1365回も答弁に立った。彼は「日本の国体は天皇と国民との心の奥において深い結びつきをもっており、いわば天皇は国民の憧れの中心である」という立場をとり、国体はかわらないという印象を与えようとした。吉田首相にしてから、昭和天皇自身が退位の意図を示したのにかかわらず、国会で「天皇の退位を口にするものは非国民であります」などとトンデモ答弁をしている。

金森徳次郎は「『国体』という言葉は、本来は法律上の言葉でなく、単純な学問上の用語であったにとどまるけれども、それが治安維持法が制定される際に、法律用語に採り入れられて、国体の変更を企てる者を厳罰に付する旨の規定ができた」とし、「天皇主権が国体の実体であるということを固定させて考え、即ち治安維持法に使った『国体』の意味をそのまま用いて議論を進めるならば、我々は国体を変格せられたりといって正しいのである」といっている。天皇機関説論者の金森国務相は、法令でない教育勅語の「国体」論を法解釈の手段としては認めない結果、当時の国体護持論とは治安維持法体制護持論のことであり、新憲法はこの治安維持体制としての「国体」を変革したものであると主張している。あいまいな表現でのこの治安維持体制としての「国体」を温存しようとこころみた国体護持勢力の意図は、「日本国憲法は、主権が国民に存することを認めなければならない」との極東委員会の決定を考慮して、議会審議過程で修正され、主権在民が(やっとのことで)明文化された。

現在の日本国憲法を形作っている源流は4つある。

1 主流は、マッカーサー・ノートの三原則と、これにもとづき、日本の民間私案をも参考にしながら起草された総司令部(GHQ)案である。

2 これに、日本政府の手が加えられて、憲法改正草案要綱が作成される。この段階で、第2の流れである幣原内閣の考えが合流する。

3 議会での審議段階で各党や国民諸階層の要求、つまり第3の流れが加わる。この流れは、GHQ草案や政府草案の段階にもとりいれられている。

4 第四の流れは、極東委員会(21年3月設立)決議の形をとった国際世論。主として議会審議の過程で採用された。

幣原首相が(その主観的意図としては)、天皇の地位を救う代償として軍備全廃を提案し、これがマッカーサーの賛成を得てマッカーサー・ノートに盛り込まれた可能性は強い(大江志乃夫)。「占領軍の終戦処理からくる徹底的な非軍事化政策のあらわれとしての反軍国主義的改革が、天皇制の温存とひきかえに、憲法改革に取り入れられ、現代憲法としても世界の中できわめて特色ある第九条の規範がつくられた」(渡辺洋三)。『毎日新聞』(昭和21年5月27日)の世論調査では、70%が戦争放棄条項に賛成しており、国民から圧倒的支持を得ていた。 

##

憲法草案の戦争放棄条項についての世論調査結果@昭和21年5月27日:

●戦争放棄条項  必要                       1495人(69.8%)

     草案通りでよい                        1117(55.9%)

     自衛権をみとめるべき                     278(13.9%)

●戦争放棄条項  不要                         568(28.4%)

     自衛権を放棄する必要はない                 101(5.1%)

     条約による国際保障をとりつけよ                72(3.6%)

     国民的宣誓とすれば十分                     13(0.7%)

     その他

●いずれでもない                               37(1.9%)

##

                                    

                                  

       帝国議会における憲法審議@1946

 

 

政府案が完成した昭和21年6月、国会でその内容の審議が始まった。これに先立ち法制局は「憲法改正草案に関する想定問答」を作成した。その一部を紹介する。

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/118shoshi.html

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/118/118_002r.html

「9条が国連憲章と矛盾するのではないか。将来、国連加入するときこの憲法では不都合ではないか(つまり、一定の軍備をもつことを国連憲章もようきゅうしているのではないか)」

。。という懸念(想定質問)に対する政府側回答(想定)は次のようである:

『。。。わが国は第九条第一項の示すように、永久に戦争を放棄することを国是とし、第九条はこの国是を鮮明にしたものでありますから、。。(略)。。この基本的立場を堅持し、むしろ、国際連合憲章自身に対しても批判的な態度をとり、連合加盟各国といえども将来はわが国に追随し軍備無き平和国家となるべきものであり、国際連合の究極の目的もこの理想の達成にあることを思い、この見地に立って国際連合を指導するの態度をとるべきものと考えることもできるのであります』

つまり、国連に対して、日本国憲法の不戦の誓いを、<押しつけよう> としているのである。なんと高邁で、確信に満ちた考え方だろう。

昭和26年9月5日、サンフランシスコ講和会議で、日本の独立を認められたのに対し、吉田全権が平和条約受諾演説を行ったが、吉田はこの『  』内のことを述べるべきであった。(そうではなく、吉田茂は講和会議当日の午後、サンフランシスコの米軍下士官会議室で、アチソン米国国務長官との間で日米安全保障条約の調印を行った。講和後の日本は、軍事面では米国に<下士官>として待遇されることになったのである。) そうすれば、連合国代表に不戦を憲法で誓約したニッポンの、深い印象を与えたろう。 今からでも遅くはないのだが。 日本の首相が、半世紀前の我らの先輩の考え方で通すことにした、それはこういうものである、と 半世紀前に示した覚悟を国際連合総会演説で示せば、日本もパアプウじゃなかったんだ、と見直されるだろう。

日本国憲法はGHQに押しつけられたという側面は確実にある。しかし、<押しつけ>がなかったらどのような改正がなされたか?いや、そもそも政府は改正をサボタージュしようとさえしたのである(明治憲法をそのまま維持)。上記のように松本丞治国務相を頭とする「憲法問題調査委員会」の試案は「第一条 日本国は君主国とす」にはじまる、明治憲法の焼き直し、というお粗末さであり、2月にGHQとの間で行われた憲法検討会でも、男女平等さえ認めまいとする有様であったのだ。

現在、日本国憲法はGHQに<押しつけられた>、という理由で改正をもくろむ連中がやっていることは強行採決につぐ強行採決。しかし、近代憲法は、英国、仏国、米国などの歴史を少し学べば明らかなように、各国が革命により血をもって獲得した<押しつけ>の成果なのである。国王や貴族、守旧階級に対して権力の制限を設定するのであるから彼らが抵抗勢力となり、国民自身にとっても旧い常識を改めるのだから精神的な葛藤が湧くのは何ら不思議はない。新しい制度を導入する場合、抵抗勢力が存在するのは当たり前のことだ。それを強権=暴力で抑え込むか、あるいは、戦争・飢餓(日本では終戦以後も数十万人の餓死者が発生した)による国民の疲労・厭戦・反省により獲得するか、個別の歴史状況による。すなわち、1945年に日本で発生した事態は、無血による革命なのである(戦争による大量の兵隊、市民の死と財産の喪失を伴ったが)。平和主義(不戦の誓い)は理想を宣言しているのであり、これを現実に(政治外交の稚拙により)戦争の危険があるからといって撤回すべきでないのは、米国やフランスの人権宣言に述べた人間はすべて生まれながらにして平等、という内容が、現実に奴隷や不平等が存在するからといって、撤回すべきでないのと同断である。人民主権、人権、平和(不戦)の現在では当たり前とおもわれる原理は人類が長年の歴史を経て獲得したものである。ということは、言い替えれば生まれ来る個人も共同体や自身による学習や教育を怠ると一代にして、その頭脳や常識は、数百年前、数千年前の無権利、強権、戦争状態に舞い戻る、ということである。

さらにいうなら、ここに名前が出てくる、半世紀前に憲法を議論している人びとは、戦争責任の一端を有すると思う。国民のすべてが戦争責任を何らかの形で有する。かれらは、その責任を深く反省して、不戦の誓いの印として不戦を誓う憲法を作成したのである。

万が一、憲法第9条を改訂する場合であっても、米国の憲法と同様に、旧憲法条文を削除するのではなく、旧憲法はそのまま残し、これに 改憲部分をアメンドメントとして追補する形にスベキである。こうすれば、われわれの先人が半世紀前に作成した高邁な憲法と、その半世紀後に国民の多数が賛成した恥ずべき改訂内容が、そのまま歴史として残ることになる。我々の子孫が日本国憲法の歴史を学ぶことができ、 われわれの先輩にも優れた人びとと、劣等の人びと、いろんなのがいたのだということを示すことができる。

わたしは、劣等の部類に入いるのは真っ平ご免である。

将来、国連憲章が日本国憲法の<旧第九条 不戦条項>を採用しよう、という時代が必ずくるだろう(そうしないと人類は滅亡である)。 そのときには、日本も、再々度、アメンドメント追補するのだろうか?さらにいうなら、ここに不戦条項を受け入れた半世紀前の国民や議員らは、戦争責任の一端を有すると私は思う。当時の国民のすべてが戦争責任を何らかの形で有するのだ。かれらは、その責任を深く反省して、不戦の誓いの印として不戦を誓う憲法を作成したことを忘れるべきでない。さらに、歴史的には第九条は第一条とパッケージで新憲法に取り入れられたのだが、この歴史的経緯にかかわらず、第九条不戦条項を廃棄する場合、第一条天皇条項の廃棄は必須となる。第九条を堅持したままでも民主化と、シビリアン・コントロールの徹底のため、マッカーサーと国体護持派により<押しつけられた> 第一条 天皇条項は 早晩、廃棄すべきものである。

 日本国憲法はGHQに押しつけられたのか?政府にとっては押しつけられた、のである。政府には明治憲法の国体(天皇統治)を維持することしか頭になかったのであるから。来るべき時代の主権者たる国民にとっては待ちに待ったものであり歓迎されたのである。政府の能力が国民の要求から遠く離反しているのであれば、たとえ外国軍であっても用できるものは何でも利用して、自己の要求を実現するのは当然のことである。敗戦前から戦後にかけて、日本国政府と国民とは憲法により実現すべき内容(統治の主権、戦争、基本的人権)に天と地ほどの差ができていた、ということである(GHQの内部も一枚岩ではなかった)。もちろんこれは、戦争の結果ではなく、これこそが戦争の原因でもあった。日本国憲法成立の法理を説明するに<八月革命説>が妥当とみなされるのは当然のことである。

 

         

City of Hiroshima & Tokyo, Sept/1945

 

                

 

 

参考資料

1 岩田行雄編著 『検証・憲法第九条の誕生』 
http://himawari823.no-blog.jp/unchiku/2007/02/post_a05a.html 

2 大江志乃夫 『戦後変革』 小学館・日本の歴史31

3 『占領時代』 集英社・図説昭和の歴史9
 

関連記事:

佐藤優、山川均の護憲論、天皇制  http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-04-15-1

岸田秀の押しつけ憲法論(あるいは反押しつけ憲法論)
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-06-14-1


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おさふね

こんばんは お久しぶりです。
日本国憲法に関して国が行ってきたことの、私なりの認識ですが…
遠い異国から来た綺麗な美しいお嬢さんを、犯し、辱め、嬲り者にして殺そうとしている、というのが今の認識です。
これで当時の学生時代に法学が嫌になって文学、民俗学へ逃げてしまいましたが(笑)
まあ、普通の品格を持つ人間がすることではないですね。
山田風太郎の「警視庁草紙」の影のご隠居の最後近くの台詞が思い出されます。
「日本は西洋のために変えさせられた。まあ、無理無体に女にさせられた娘のようなものじゃ。が、そこで急に手のつけられないあばずれになろうとしておる―というのがわしの見解でもある。ふお、ふお」
「川路さん、しかしな、権謀によってそういう間に合いの国を作っても―目的のために手段を選ばず、たとえ富国の強兵を作っても―これをゴウリンに失する時は差うに千里をもってす―言っておくが、そりゃ長い目で見て、やっぱりいつの日か、必ず日本に取り返しをつかぬ大不幸をもたらしますぞ(略)」
by おさふね (2007-05-16 22:26) 

古井戸

おもいかえせば、白村江の大敗北からおかしくなったのかも知れんですね。ペリー提督に強姦されたときから、1945年までは一直線、いわゆる大東亜戦争肯定論。

デモ何か憲法は必要なわけで。45年に押しつけられた、といわれる9条(と天皇)は、米国や世界にとっては邪魔者なわけです。ということは、これをニッポンが世界に押しつければいい、ということになります。

最悪、自衛軍を明記してもヨイが、天皇制廃棄が前提である、と、私は考えます。

風太郎さんは皇国少年(青年)でしたね。あの当時は大部分そうだったが。
by 古井戸 (2007-05-16 23:41) 

海外逃亡者

日本国憲法は、GHQがUS Constitutionの一部、特にDeclaration of IndependenceやJohn Lockeの思想を借りて、モチーフにしたものを和文訳して取り込んだもので、当時の日本政府や、戦時中の日本の思想を未だに支持するグループの多くには、あからさまな押し付けに見えるのでしょう。

こういう人たちは、戦時中、日本国民に対して「軍国主義を押し付けてきた」
というふうにとらえることはないのでしょうね。戦時中、平和主義や反戦を唱える国民を非国民呼ばわりして、弾圧してきたことなど関しては、貝のように口を閉ざしていますし。このような行為を正当化してきた反動政府やその支持者(天皇も含む)に対する罪は、戦後、一切問われてこなかったことは非常に遺憾ですね。謝罪の言葉すら聞いたことがありません。

天皇制廃棄に関しては、意見が分かれるところです。廃棄賛成の大きな理由は、政府や財閥などが、戦争や軍国主義などの独裁的思想を、国民に押し付け、正当化するための手段として、都合よく利用してきたことです。本多勝一が天皇制に対して強い批判をしていますよね。これに対して反対派の多くは、戦時中の日本の戦争行為を正当化し、天皇制に対する批判的な意見を受け入れない、批判派をはじめから敵対視するという、非常に心の狭い人達で固まっていますね。72年に雑誌"諸君!"で本多と激しい論争をした山本七平などがいい例です。

私は天皇制に関しては、特に廃棄賛成でも反対でもありません。しかし、廃棄が最良だったかどうかは、多少議論の余地があると感じます。というのは、天皇制は、戦後、政治的役割(特に軍国主義や独裁主義)から確実に分離されていますし、今後も一切政治的道具に利用されないことが保証されるのであれば、存続する理由はいちおう通ると考えられるからです。それでも不十分であれば、天皇制(の腐敗)が国民の自由や生活にどれだけ弊害を与えてきたか、戦争や軍国主義以外の側面からも分析・判断する必要があります。勿論、天皇制が戦争や軍国主義に利用されてきた事実だけでも、十分腐敗していると感じられますけどね。
by 海外逃亡者 (2007-05-24 07:48) 

古井戸

最後から行きます。
>天皇制は、戦後、政治的役割(特に軍国主義や独裁主義)から確実に分離されていますし、今後も一切政治的道具に利用されないことが保証されるのであれば、存続する理由はいちおう通ると考えられるからです

分離などされていませんよ。 分離とはどういう事か? 憲法に公的に存在しなくなることです。形式的にでも存在している限り、佐藤優らのように主張を存在し続けます(1945年の敗戦によっても国体は護持された、ニッポンは立憲君主国である)。佐藤優については記事をご覧下さい。
渡辺京二の論文を紹介していますが天皇制は明治にでっち上げられたものでいまだに呪縛されている連中がいます。早晩消えて無くなる、と渡辺京二は楽観視していますが、呼ぶ声があるかぎり(自衛隊、幹部や保守議員)がいるかぎり精神的に復活するでしょう。明治時代からそのようなものでした。実権はないのに利用し続けたわけです。官僚や政治屋、軍人が。そのために下らぬ戦争で、失わなくてよい生命財産を喪ってきたのです。
憲法から抹消して、民営化すべきでしょう(茶道や華道とおなじ)。天皇家の私事です。

押しつけは、文字通り、そうですよ。GHQ(民政局)で作成に当たった連中は日本のだれより(ニッポンの当時の憲法学者はみんな 国体論者ですよ。ニッポンには当時、憲法作成などできる人間などだれもいなかったのです。戦前の日本帝国憲法を字面を代えただけでそのまま提出するしか能がなかった。日本国憲法など もじどおり人間憲章、といってもいいものです。現時点から見て消し込むような内容は書かれていません(追加する文言はあるでしょうが)。それほど人類の理想・目標が書かれていると思います。世界で最も優れた憲法(もちろん米国憲法より)、と当時のGHQ担当者が2000年頃日本の国会で証言しています。ニッポンはこの憲法をもつことにより独立することを承認されたのだからこの憲法を国連や海外の国々に押しつければいいのです。押しつけるべき内容を持っています。
by 古井戸 (2007-05-24 08:18) 

海外逃亡者

誤解のないように申し上げておきます。「分離」といったのは、現在の天皇制は、日本の政治には一切関与しないという状態を表わしたものです。おっしゃるように、憲法上抹消する=公的に存在しなくなるという意味とは全然違います。ただ、形式的に存在しているだけに、将来、日本政府や官僚が、憲法改正して、都合よく利用する可能性は...。確かに否定できないですね。

私個人の印象では、天皇制を擁護する人間の多くは、非常にうさん臭い、耳障りな連中という感じですね。例えば山本七平。本多との"諸君!"論争の中では、ユダヤ人の偽名を使って、余りにもばかばかしい論理を羅列してます。彼の記事を読んでてものすごく疲れました。こんな人を真のユダヤ人が見たら、たまったものではありません。

ところで、天皇(特に裕仁天皇)個人は、伝統的にこうした政府や官僚のたくらみを見抜けないひど頭が悪かったのですかね?それとも、彼等の行為を歓迎していたとか?いずれにせよ、日本の象徴とされるのですから、正直言ってあきれます。
by 海外逃亡者 (2007-05-25 02:10) 

古井戸

7,8年前に見つけた本(自衛隊幹部の栗栖が書いた)に、ハッキリと天皇制の効用がかいてあります。シビリアンコントロールをカモフラージュするにもってこいの道具です。つまり、渡辺京二がいうように天皇は利用しつくされるのです。

天皇個人は見抜けなかったのではなく、ハッキリ言えば諦めたのだと思います。たとえば真珠湾のその後なにが待っているか、など不都合な事実や推測は天皇まで届かなかったでしょう。2/26事件や日支事変などでは陸軍や内閣に口出ししたが、口出しが限度でしょう。明治維新が武士階級だけの内乱で発生し、そのご武士階級=官僚による支配構造が現在まで続いています。天皇は体制安定のためのカモフラージュであることは変わりません。

この点、渡辺京二は天皇の戦後における役割を軽視しすぎていると思います。
by 古井戸 (2007-05-25 08:39) 

がん娘

古井戸さん
この度は、本書『検証・憲法第九条の誕生』をお求めいただきまして
ありがとうございました。
参考資料としていただき、幸いです。
父・岩田行雄に代わり、お礼申し上げます。
少しずつですが、こちらに活動の記録をアップしています。
よろしければ、一度覗いてみて下さい。
http://kyujomagic.exblog.jp/
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
by がん娘 (2007-05-25 09:07) 

renqing

TBありがとうございました。
 「戦争責任」については、その内容を幾つかに分割する必要があると考えます。
1)戦争を起こした責任
 誰が? 大日本帝国の統治者(天皇、および大臣たち)
 誰に? 連合国(中国、朝鮮、欧米交戦国)
 何について? 戦争を自分からおこしたこと
2)戦争に負けた責任
 誰が? 大日本帝国陸海軍の最高統帥者(=天皇)
 誰に? 大日本帝国臣民(非戦闘員)、下士官以下の兵士
 何について へたくそな戦争指導でまけちゃったこと

煩わしいでしょうが、一つ記事をTBさせていただきました。
by renqing (2007-05-25 12:12) 

海外逃亡者

「戦争責任」に関する議論は、これまで頻繁になされてきています。

私の見解では、ポイントになるのは、「政府・統治者」と「一般市民」の区別です。戦争を起こし、侵略された国(中国・朝鮮・フィリピン・サイパンなど)の国民に多大な被害を与えた側。それは、天皇を絶対的君主として盲目的に崇めたて、軍国主義を浸透させ、国民を圧迫し続けてきた人物たち。つまり、大日本帝国の指導者とその幹部、さらに彼等を支持してきた組織(天皇制、特に皇室を下から直接支えている財閥や政府系企業、政府とつながりのある要人、知識人たち)です。

これに対して一般市民ですが、戦時中は盲目的に支持する以外他に選択肢はなかった(逆らえば、非国民呼ばわりされ、当然、弾圧・死刑にされます)のですから、南京大虐殺などを含めた一連の「侵略戦争に対する道義的責任」を課すことはフェアとはいえないでしょう。この責任は、本来は「一般市民」よりも上の階級に属するグループの起した行為によって生じたものですが、彼等はこれを、「日本が戦争に負けた責任」にすり替え、「一般市民」が謝罪することでなせる役割と勝手に解釈するという有様です。こんな連中が、自分たちの罪を、日本国民に弁明・謝罪せずに、過去に何度も中国や韓国などに形だけ謝罪し続けてきたことは、極めておこがましいといえます。

天皇制擁護者といい、右翼支持者といい、日本の恥をさらけ出し続けています。
by 海外逃亡者 (2007-05-27 03:40) 

古井戸

家永さんの論じ方を紹介してますが。

いずれにしても、明治憲法の下では無罪であった。。などと論じることは意味がありません。戦争責任の追及も(つまり東京裁判)も戦争の一部です。当時の情勢を考慮して公正な判断を。。などと求める方がどうかしている。戦後の規準で、問答無用、裁断すればいいのです。

もちろん、勝者側も同じ規準で処断することを要求するのは自由。連合国側の犯罪は問わないから、こっちの方も追及しないでね、というのは虫のよすぎ。
by 古井戸 (2007-05-27 12:44) 

海外逃亡者

家永氏の名前はよく知っています。私の考えは、どちらかというと、本多勝一氏の見解寄りです。おそらく、「戦争責任」に関しては、若干、解釈が異なると思いますが、基本線は大体同じと見ています。「政府」と「一般市民」の区別は、本多氏が「中国の旅」などで取り上げた、「階級」に対する認識から来ています。
by 海外逃亡者 (2007-05-27 15:11) 

古井戸

家永は、連合国側の戦争責任も問うています。さらに、戦後生まれなのに、なぜ戦前の<ニッポン>が犯した犯罪を背負わなければならないのか(賠償、など)という根本的な問題があり、これに家永なりの回答を与えています。

戦勝国も犯罪を犯したしこれは罰しなければならない、(日本側を無罪にしろ、というのではなく。パル判事のように)、というのであれば、イラク戦争で米国のブッシュを厳罰に処しなければならないし、フセインの名誉を回復しなければならない。
by 古井戸 (2007-05-27 16:11) 

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