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『フリーター漂流』 あるいは エンゲルスのこと        書評 [history]

5月10日付け毎日新聞によると、2004年の自殺者も3万人を超え、これで98年から連続8年連続して3万人を超えることが確実になってきた、ということだ。(厚生労働省と警察庁では自殺の定義が異なるという。厚労省の値は警察より限定的であり、毎年1000人から2000人の差がある、と)。

自殺者統計。年齢別にみると高齢者が多く、職業別に見ると無職者が圧倒的に多い。
http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm

自殺者数統計は、失業率統計とは異なり、その影響は累積的である。男性の自殺が女性より多いから、家計収入の多くを負担している世帯主が自殺した場合も多いだろう。すると、その影響は家族全員あるいは親族にまで及ぶ。学校を中退しなければならない、職の身に付いていない主婦が働きに出なければならなくなる等々。自殺者一人の800倍の潜在的自殺者がある、という話もある。原因が個人の器質のみでなく、個人を取り巻く社会にその原因があるのならば、潜在的自殺者(自殺予備軍)はかなり多数になると考えるのが自然である。自殺者が出れば残された家族の経済と、心と、その後の生活に(おそらく、一生)大きな影響を与える。むしろ後者が重要かも知れない。自殺、という区分はどうなっているのだろうか?潜在的自殺願望者は病気になっても自立的に回復の努力をしない。そのため、病死と自殺の判別できぬ多い場合が多いと聞く。実際、私も仮に自殺したいときに重病にかかれば、自律的な回復努力などしないだろう。

上記毎日新聞に野田正彰のコメントがある:「自殺者の増大は格差社会の影響が大きい。勝ち組は弱者へのいたわりがなくなり、負け組とされる人たちは挫折感を強く感じさせられている。競争に勝つため、子供のころから相手に弱点を見せられず、本音が話せなくなり、人と人とのつながりが薄れている」

一冊の本がある。『フリーター漂流』松宮健一著、旬報社刊行、2006年2月。
著者はNHK記者。書名の番組に使用したインタビュに、追加インタビュを加えた本である。200ページのペライ本だ。10分で読めるが、内容は重い。

抜粋してみよう。
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p70
給料日になって給料明細を見た瞬間、今井さん(25歳)の顔色が変わった。
総支給額は15万円ほど。そこから社会保険や夫婦二人分の寮費、さらに病気で早退した罰金まで引かれていた。
手取りの給料は7万円ほど。残業があった前の月よりも8万円ほどダウンしていた。今井さんは呆然と空を仰いでいた。
今井さん夫婦は、将来の出産や育児に備えて積み立てを始めるつもりだった。
7万円足らずでは、1ヶ月分の生活費にも足りない

p92
「請負業者は、若者が半年間、がんばって働いてお金を貯めるところです。技能を身につけようとする人には不向きな場所です。」(製造業社員から)

p93
「身につまされる思いでした。私はある電子部品の工場に派遣というかたちで勤務しておりますけれど、番組のすべてが私や私の周辺のスタッフの境遇にオーバーラップし、涙が止まりませんでした」(26歳、フリーター)
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著者は「おわりに」で、コメントをつけている。
「おとなたちは「フリーターはいけない」と否定的に論じる一方で、正社員の採用数を減らし、フリーターを雇い続けてきた。国もこうした企業の動きを本気で止めようとはせず、フリーターを企業に供給するシステムだけが合法的に整えられてきた。この矛盾が若者達を追いつめてきた。」
「経済大国として享受している豊かさを取り崩してまで、若者たちを育てる場所を社会の中につくらなければ、根本的な問題の解決にはつながらない。」

豊かさを取り崩す? フリーターを低賃金で働かせたことによって生み出された 「豊かさ」といおうか? マスコミや識者は「格差問題」という。 そのむかし、おなじことを「搾取」といい、「貧困」ないし「窮乏」といった。 好きなときに解雇できるフリーターを採用すれば、企業の人件費は減るし各種手当て、保険費用の支払いは不要になる。その分、製品コストも下げられ、競争力もつく。しかし、いったい誰が製品を買うのか?結婚もできない、子供を産めないフリーターが増大する。親の介護もできない、自分たちの介護をやってくれる家族もいないし、費用もない。そういう国の未来を、誰か責任をもって、ケアしているのだろうか?もっとも安易な方法で目先の利潤だけを追う企業達、マクロの生活水準の帰趨を監視せず、企業のいいなりになっている政府。大量のフリーターが存在する時代の最低賃金規制は、当然見直して企業に正規雇用を確保するよう圧力を掛け、競争力は売り上げ増によりつけさせるべきである。労働者の負担による安易な利潤確保と政府の無策は日本を滅ぼす。軍事費に何兆円も捨てるような余裕は日本にはないのだ。

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160年前の英国で労働者にインタビュを行って、労働者問題に関する著作を書いたのは若きエンゲルスである。その本の前書き。

「                     イングランドの労働者階級へ

労働者諸君!

諸君(イングランドの労働者たち)にわたしは一冊の著作をささげる。そのなかでわたしは諸君の状態、諸君の苦悩と闘争、諸君の希望と展望を、我がドイツの同胞の前にありのままに描き出そう試みた。わたしは長らく諸君のあいだでくらしてきたので、諸君のくらしむきについてはいささかの知識を持っている。諸君の暮らし向きを知ろうと、わたしは細心の注意を払った。入手できる限り、様々な公式、非公式の文章をわたしは調べた。だがそれだけで満足したわけではない。私の主題についてのたんなる抽象的知識以上のものを私は求めていた。わたしは諸君を自宅に尋ね、諸君の日常生活を観察し、諸君の状態や苦しみについて諸君と語り合いたかったのであり、また諸君を抑圧する者の社会的・政治的権力にたいする諸君の闘争を、わたしは目の当たりに見たかった。わたしは実際にそのようにした。中産階級とのつきあいや宴会、彼らのポートワインやシャンペンをやめて、ただの労働者との交際に、わたしは自分の余暇をほとんどもっぱらあてた。そのような行動を取ったことをわたしは喜び、かつ誇りとしている。

(略)

彼ら(中産階級)の利害は諸君の利害とは正反対である。彼らがつねに逆のことを主張して、諸君の運命に心底からの共感をいだいている、と諸君に信じ込ませようとしてはいるのだが。彼らの行動が彼らの嘘を証明している。中産階級の狙いは – 言葉ではどういおうとも – 労働の生産物を売ることができる限りは諸君の労働で私服をこやし、こうした間接的な人肉売買から利益を上げることができなくなるやいなや、諸君を餓死にゆだねることにほかならないのだ、という事実の証拠を、わたしは十二分に集めたつもりである。諸君にたいする口先だけの善意を証明するために、彼らがなにをなしたというのであろう。諸君の苦しみに対して、少しでもまともな注意を払ったことが一度でもあったであろうか。6つほどの調査委員会の経費を支払う以上のことを、彼らは行ったであろうか。委員会の膨大な報告書は、内務省の書棚の紙くずの山の間で永遠に眠ったまま埋もれる運命にある。

(略)

私の英語は純正なものではないかもしれないが、平明な英語だと見てくれるものと思う。イングランドでは – ついでにいうならばフランスでも – 労働者は一人として私を外国人あつかいしなかった。結局のところ大きな利己心にほかならない国民的偏見や国民的自負に諸君がとらわれていないことを知って、わたしは大変うれしく思った。

(略)

諸君が人間であり、自分たちの利益と全人類の利益とが同一であることを承知している、人類という大きくて普遍的な家族の一員であることを私は知った。そしてそのような者として、この「単一不可分の」人類という一家族の一員として、最強の意味での人間として、そのような者として、わたしは、そしてまた大陸の他の多くの者たちも、あらゆる方向での諸君の進歩を歓迎し、また諸君の迅速な成功を希望する。
(略)」  

以上、フリードリッヒ・エンゲルス著 『イギリスにおける労働者階級の状態』の前書き(岩波文庫)から。

エンゲルスは、22歳で父親の経営するマンチェスターの工場にオランダからもどり、当時、世界の木綿工場の一大拠点であったこの都市で資本主義の現実をまのあたりにした。彼は事務所で勤務するかたわら、そののち彼の妻となる、アイルランドの紡績女工、メアリ・バーンズとともに、マンチェスターの各地を歩き、労働者の家を訪ね、貧困の支配する彼らの日常生活についての知識を深めていった。彼はこのような個人的な観察や交際を通じて、「イングランドのプロレタリアートとその努力、その苦しみと喜び」を知ったのだ。

『イギリスにおける労働者階級の状態』は1844-45年にエンゲルスの故郷プロイセン、バルメンで執筆され、1845年ライプチヒで出版された。エンゲルスはこのとき25歳であった。資本主義の実態を知ったエンゲルスが、資本主義の内部構造の分析を開始するのはこのころである。

1844年の8月、エンゲルスはフランスを迂回して郷里バルメンに帰ったが、彼が、パリのマルクスを訪れ管鮑の交わりを結んだのはこの折りである。両者は驚くほど意見が一致していることを発見し意気投合した。

当時エンゲルスは工場主を父とする一私人でありなんら公職には就いていない。 いま、このとき、毎年だまっていても6000万円の俸給があるニッポン国の国会議員、や厚生官僚らのうち、何人がフリーター問題(搾取、窮乏問題)を、自分らが解くべき問題、あるいは、ニッポンの大問題、として真剣に考えているだろうか? 首相や馬鹿な評論家はフリーター問題を「格差」問題と考えている。資本主義経済で格差ができるのは当たり前、これを恨まないような人間になれ、と説教をするのだ。格差を問題にしているのじゃないのだよ。絶対的窮乏なんだよ。現在生きるため、かつかつの給与しか与えず、年金や税金はしっかりふんだくっては、預金などできるわけもない、すなわち、結婚もできない、もちろん、子供ももてない。つまり、日本の次世代がなくなる、ということだ。現在の国民の幸不幸を考えない人間に、次世代、次々世代のシアワセを考えられる想像力がないのは当然のことか。人口が大幅に減る、ということの<政治的意味>が分かっていないこの国の政治家には絶望するしかない。それでいて、いませっせと<愛国心>法案なるものを審議しているというのだ。ブラックジョーク、である。国民の税金で養われ、憲法に謳う<文化的生活>を国民に提供の義務がある公人でありながら、究極の<私人=エゴ人間>たちである。失せろ。(private <= priv (奪う)。公務を離れることをいにしえの西欧では Priveと言ったらしい。)

エンゲルスの頭脳と行動力と、資産のない我が身を恨みたい。

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記載に当たり、岩波文庫『イギリスにおける労働者階級の状態』と 廣松渉著作集第9巻を参考にした。

関連記事:
https://www.so-net.ne.jp/blog/entry/edit/2006-03-19-3

 ブルジョアジと貧民 (岩波文庫から)


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