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ワーグナー「ワルキューレ」バイロイト1980年 [オペラ映像]

この「ワルキューレ」(パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮、バイロイト音楽祭1980年収録 HMV)は何度も取り上げていますが、再び。1976年から1980年までの上演。最後の年の公演前に観客を入れずに特別上演してテレビ用に収録されたものです。

はじめて見たとき、この映像は衝撃的でした。何と言っても登場人物が物語のイメージそのものなのが驚きでした。オペラというものは、登場人物のイメージずれが当たり前のようだったからです。物語のイメージを裏切らないレベルの映像も皆無というわけではなかったのですが、これほど違和感がないどころか、音楽と完璧に調和して、聴覚的なものと視覚的なものが一体となって相乗効果をあげ、まさに物語の人物そのままに迫ってきたのは初めてでした。

「ジークムントの死の残酷さを測り知れないほど効果的なものにするには、彼をできるだけ感じ良く見せるべきだ」というのがシェローの考えだったということですが、映像でも、これは確かに成功していて、双子の兄妹、ジークムントとジークリンデにごく自然に感情移入し同情することができます。それはひいては、二幕はじめの夫婦喧嘩、父と娘の対話、そして三幕の重要な背景として意識され、これらの場面により深い感動をもたらします。

「ワルキューレ」のクライマックスは三幕だという意見には賛成しますが、双子の運命に同情できなければ、それは説得力を失いかねません。おそらくこの音楽劇に先入観なしに接する場合は特に三幕の父と娘の思いの切実さが薄まるのではないでしょうか。

演出が「ジークムントをできるだけ感じよく見せる」ことを意図していたというのはずっと後で知りましたが、他の映像を見るに、まるでちんぴらみたいなジークムントもいるのは、「ジークムントをできるだけ感じ悪く見せる」演出もあるわけだと納得したものです。


新演出初演時から、ホフマン演じるジークムントは大いに注目を集め、『シェローのジークムント』に対する熱狂の嵐は最後まで沈静化することはなかったということです。
 
「ほとんどヒステリー状態にまで高まった、この大喝采を受けたのはペーター・ホフマンだった。これは決して不当ではない。同じように感動的で夢中にさせるジークムントに出くわすためには、バイロイト音楽祭の歴史をおそらくはるかにさかのぼらなければならない。このジークムントは、演出家の配役実行のおかげで、ホフマンによって、血と肉から成る現実の、まさに映画的な、人を魅了する身体、死の場面で俳優の究極的可能性を発揮させた身体を得たのだった」(オルフェウス 1978年10月号)

 「ホフマンのジークムントは、これまでに見ることが出来たワーグナーの舞台で、最高にすばらしいもののひとつだ。愛の場面を演じるジークムントとジークリンデの自然さは、彼らのロマンチックな雰囲気を高めている。頭韻詩は自然な表現手段になっている。つまり、ひとつひとつの言葉が重要な意味を持つようになり、長く抑圧されてきたあらゆる感情が、言葉と音によって突然あらわになり、ついには情熱的な愛へと高揚する。第一幕は観客の叫び声のうちに終了した。ブリュンヒルデが死を告げに彼の前に現れるとき、このジークムントは、なんと男らしく、抑制が効いていることかと、だれもが唖然とした。そして、その後に、その場にいた人なら、誰一人決して忘れることはないであろう、短いけれども精神が集中する場面になる。すなわち、死の場面だ」(Der Merker 1979年 8月号)

ワーグナー:ワルキューレ
ピエール・ブーレーズ指揮
パトリス・シェロー演出
バイロイト音楽祭1980年

ジークムント:ペーター・ホフマン
フンディング:マッティ・サルミネン
ヴォータン:ドナルド・マッキンタイヤー
ジークリンデ:ジャニーヌ・アルトマイヤー
ブリュンヒルデ:ギネス・ショーンズ
フリッカ:ハンナ・シュヴァルツ
ワルキューレたち:カルメン・レッペル、カレン・ミドルトン、ガブリエル・シュナウト、マルガ・シムル、カーチャ・クラーク、ギドゥリン・キルブリュー、イルゼ・グラマツキ、エリザベス・グローサー

ペーター・ホフマンはこの演出に、二年目1977年の交通事故による休演を除いて、初年度から最後の年1980年まで毎年出演しました。初年度のジークリンデはハネローレ・ボーデでした。ちなみに、フリッカはエヴァ・ランドヴァー、ワルキューレたちもカーチャ・クラーク、イルゼ・グラマツキ、エリザベス・グローサー以外は映像とは違う歌手です。


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コメント 2

あるべりっひ

こんばんは。
年末に友人たちとFM放送に聞きいっていた”76年の感動的な『ワルキューレ』です。ひきつけれれた記憶がありますが、今実際に音として聞けないのが大変残念です。(エアチェックテープで”76年『神々の黄昏』第三幕冒頭とブリュンヒルでの自己犠牲はありますが、『ワルキューレ』はありません。)
年々洗練された演奏になって、初年度の熱気が失われていくのを感じた覚えがあります。しかし、映像を見た時その演奏に大いなる熱気よりも都会的な洗練された演奏が必要なことを感じたものです。
ヘルデン:テノール、ペーター・ホフマンを知った1976年12月でした。
by あるべりっひ (2006-08-18 23:48) 

euridice

あるべりっひさん、こんばんは
>年々洗練された演奏になって、
76年と80年では、ホフマンの声も、かなり違いますね。

FMは受信がむずかしくて、ずっとまともに聞けたことがありません。
1970年代では、録音も大変だったでしょうね。76年だと、そろそろカセットテープになっていたころかもしれませんが、私の学生時代はまだオープンリールのテープレコーダーでした。大学の語学ラボには空リール持参でした。
by euridice (2006-08-19 20:05) 

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