SSブログ

1976年バイロイト音楽祭、ワルキューレ初日 [PH]

1976年7月26日、バイロイト音楽祭ワルキューレの新演出初日。ペーター・ホフマンにとってバイロイト・デビュー、そして、パトリス・シェローの演出に参加したことは、キャリアの一大転換点でした。一ヶ月以上にわたる練習では歌手は演技に対していつもと違うことをたくさん要求されたし、さらに加えて、バイロイトの新人にとって、デビューの緊張もあり、「音楽的なこと以外」のストレスもまた大きく、相当、興奮気味だったようです。

写真は、1976年バイロイト音楽祭、ワルキューレ1幕、ジークリンデ、ハネローレ・ボーデ(1941.08.02-  ドイツ)とジークムント、ペーター・ホフマン(1944.08.22-  ドイツ)

「練習期間中、祝祭劇場は私を多少かいかぶっていたようだ。私は、と言えば、バイロイトで実際に歌うということを理解できず、夢か現実かわからなかった。プレミエが近づいたときにやっとそれが現実であることを理解したようなわけだ。私のアドレナリン量の増大はすでに明白だった。祝祭劇場への道でもう興奮していた。

私は歌手たちのたまり場である『聖ステファン』で夕食の予約をしておこうと思って、向い側に車を止め、道の真ん中まで走って、残りの半分を横切るために、車が途切れるのを待っていた。私の後ろにいたドライバーはこれが気にいらなかったので、私のすぐ後ろに迫って、スピードをあげ、あっという間に私に衝突した。

その男は車からどなった。そこをどけ。 どかないんなら、待ってろよ。男は本気で殴りかからんばかりだった。私は生来とりわけ臆病というのではないので、言い返した。それなら、かかってこい。

しかし、すぐうしろにパトカーが走っているのが見えた。偶然か運命だったのか。いずれにせよ、警官はその男に説教し、私は我が道を行くことができた。そうこうするうちに、そのせいで、道が渋滞し、前に進まないものだから、すっかり遅くなってしまった。祝祭劇場はすでにパニックになっていた。

私の衣装係は窓から外をのぞきながら立って待っていたが、私がやっと到着すると、即座にヴォルフガング・ワーグナーに電話をかけた。来ました。そして、ほっと一息ついた。化粧する時間はほとんどなかったが、どっちみちシェローは化粧を全く重視していなかった。歌のけいこは、今までもずっとそれが好きで、そうしてきたことだが、車の中で、ちゃんとしてあった。

しかし、舞台に出る前の最後の数秒間は・・・、と言えば、『今、誰かがスピードの出る車にエンジンをかけたままドアの前に待っていてくれたら、即それで消えることができるのに』という考えが、頭の中をよぎった。尤も、それは漠然とした思いにすぎなかった。」(ペーター・ホフマン) 〜伝記2003年刊

 ☆1幕 ジークリンデ あなたこそは春・・

 ☆1幕フィナーレ


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 2

あるべりっひ

1976年、バイロイト100年の『指輪』チクルスの大騒ぎは今どのように伝わっているのでしょうか?
この年の暮れFMで聞いたホフマンのジークムント忘れられません。
by あるべりっひ (2005-12-04 01:47) 

euridice

あるべりっひ さん、こんにちは。
>ホフマンのジークムント忘れられません
^^! ^^!

>1976年、バイロイト100年の『指輪』チクルスの大騒ぎは今どのように伝わっているのでしょうか?

もう忘れられているのかもしれませんね?
ホフマンの伝記(1983年)によれば、
「観客の大部分は、私が判断できた限りでは、喜んで自分の好みを変えたのだ。1976年にはブーという非難の叫びを浴びせられ、棍棒で殴り倒されんばかりだったが、翌年には受け入れられ、翌々年には、ほとんど天才的と言われ、最後には、早くも後光が差すに至った。しかし、残りの少数の観客にとっては、ワーグナーの世界は混乱したまま変わらなかった。」

サイドバーのネコの写真をクリックすると、伝記がありますので、よろしかったら、どうぞ・・・
by euridice (2005-12-04 06:44) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0