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ロック・クラシック 続き [PH]

ロック・クラシック」が「怪物」だというのはこういうことでしょう。

制作者も演奏者もこの企画に特別の期待を持ってとりかかったわけではなかったし、販売戦略を練り上げ、展開したわけでもなく、全員の一致した意見は「楽しいことだから、とにかくやってみよう。1万枚は売りたいものだ、それだけ売れたらすばらしいという気持ちでした。

ところが、ホフマン兄弟たちと休暇を楽しんでいたスイスの山小屋から発売日に一応確認の電話を会社に入れた制作者のヨッヘン・ロイシュナーが青くなって絶句したそうですが、1982年の発売初日に2000枚、二日目に4500枚、どんどん売り上げが伸び、数日後には31,000枚に。1983年の復活祭には70万枚に達します。これは、これに匹敵する他の枚数に比べても、相当注目に値するものだそうです。例えば、1982年1月に、ルチアーノ・パヴァロッティの「聖夜 オー・ホーリー・ナイト」が50万枚の売り上げ数を獲得し、同程度の記録はマリオ・ランツァの「偉大なカルーゾー The Great Caruso」が達成。13週連続で売り上げチャート第一位。この成功は1年以上続き、売り上げ枚数はほとんど200万枚に到達。ロックやポップスのレコードはふつう1年もたたないうちに終わってしまうことが多いのだが、「ロック・クラシック」は、20年後の今(2003年)も、1年におよそ3000枚が売れているとか。伝記2003年

この爆発的売れ行きについて、2003年刊の伝記の著者は次のように分析します。

「そのタイトルが示しているように、「ロック・クラシック」には、1960年代と70年代にヒットしたレコードの曲が並んでいた。それらは当時14歳から 40歳の間の年齢のほとんどの人が無意識にメロディーを口笛で吹くことができるような曲だった。ペーター・ホフマンの「大声」に加えて、大半がオーケストラ伴奏をつけられた歌の、伝統的な装いのメロディーが新鮮だった。確かにその間をぬって時折、エレキギターやシンセサイザーやドラムの音がガチャガチャと聞こえてくるのだが、全体的な響き、特に序奏部分はクラッシク・ファンに合わせてつくられていた。 「セイリング」の序奏を聴くと、追っ手から逃れ、最後の力をふりしぼって、やっとのことでフンディングの家に逃げ込む、ペーター・ホフマンのジークムントの姿を無意識に思い浮かべてしまう。

セイリング

歌唱に関しては、多くのポップス評論家が、ペーター・ホフマンには、ロックシンガーに絶対不可欠な「崩れた雰囲気」や、「下腹部から生じる」「下品な」響きと音色が欠けていると、繰り返し非難した。ペーター・ホフマンはまさに「しわがれた」声を持ち合わせていなかったというのは、もちろん間違いではない。これは、彼の「セイリング」における歌唱を、オリジナルであるロッド・スチュワートの「ごわごわした」感じの歌と比べれば、すぐにわかる。かといって、「オペラのよう」には全然きこえない。むしろ、歌の性格に合わせて、声のボリュームを落としている。それに、部分的には、非常に低い音域で歌っている。ただし、その他の点では、およそロックやポップスを歌うべき方法ではない。

我々は、まさに1980年代に、声の生理的な限界内で感動するのではなく、電気的な手段によって支えられて低く力強く響く声をたくさん聞くことができるようになった。非常に美しいと思われたビー・ジーズの裏声も、おそらく1982年にはもうそんなに注目されなかったのではないだろうか。

評論家の非難にもかかわらず、 1982年、「ロック・クラシック」は市場の隙間を満たしただけでなく、時代精神をも的確にとらえていた。これ以外にこのアルバムの信じ難い成功の説明がつかない。当時を覚えている人なら、あのレコードを買ったのが、30歳以上の改宗オペラ・ファンだけではなかったことを知っているはずだ。

朝日のあたる家

クラシック音楽に慣れ親しんでいる聴き手は、最初の歌「朝日のあたる家」の導入部ではまだうきうきした気分で、ワーグナー的な音の中にポップスのメロディーを期待して楽しめるかもしれないが、その後に続く、雷雨のようなエレキ・ギターによって、耳ががんがんすることになる。

ディスコに詳しいティーンエージャーもまた、「ロック・クラシック」をレコード・プレーヤーに載せるか、徐々に普及しつつあった次世代ウォークマンにカセットを入れて、ボタンを押した。オペラのテノールがロックミュージックを一体どのように歌うのかという好奇心がひとつの動機だろうが、唯一好奇心だけがこの現象を生んだとは思えない。1982年のチャートが映し出しているドイツの音楽状況を観察すると、ペーター・ホフマン・サウンドが完全に比類のないものであり、なぜか突出していたことが明らかになる。

「ロック・クラシック」が成功した理由は、合成音の響きやディスコで踊る人々や「新しいドイツの波」の小生意気な音が嫌いな人たちがロックとポップスの響きに浸りつつ静かに楽しみたいという音楽的欲求に応えたということだったのは間違いない。また、同時に豊かでロマンチックな音が、このレコードから空間に広がって聞こえることだ。

1980年代のポップスは合成音が効果的につかわれ、時には非人間的な感じがしたのも確かだが、常に緊張感あふれるものだった。反響の多い電気的な音響効果と歌が、オーケストラにも劣らない強烈なサウンドを生みだした。オーケストラの響きは、生でも合成音でも、1970年代からすでにポピュラー音楽で聴かれた。1980年には、ペーター・ホフマンも非常に高く評価しているピンク・フロイドが、そのアルバム『ザ・ウォール』によって、17週の間、ドイツのレコード・チャートにのっていた。元ビートルズのポール・マッカートニーのアルバム『タグ・オブ・ウォー』のタイトルソングでもオーケストラの響きを聴くことができる。ロイヤル・フィルハーモニー・オーケストラは、アルバム『クラシック・ディスコ』で、クラシックのオーケストラ・サウンドとポップ・ミュージックの結合を試みた。だから「ロック・クラシック」の音楽は、この点では、突出した現象ではなかった。

それにもかかわらず特別の地位を獲得したのは、ひとえにその演奏ゆえだったと言える。このレコードでは、大音響のロックが鳴り響くが、ぜいたくな技術的サポートを必要としない声で歌われるホフマンの歌は実に美しい。」

 このロック・レコードの成功で、彼の人気は爆発的に高まり、それとともに、まさにマスメディアそのものへの登場、すなわちテレビ出演が増えます。ホフマンはこの時から、もともと彼に興味をもっていたオペラ・ファンやクラシック・ファンだけではなく、幅広い人々に「知られる」ことになったのです。「ロック・クラシック」の発売と同じ年、オペラとロックの歌手として、「ホフマンの夢」と題した番組に出演します。歌手が自分で書いた台本は、オペラやミュージカル、そしてポピュラーの曲目が次々と唐突に登場するという構成で、当時としては普通ではなく、評論家の評判は概してよくなかったようですが、一般の視聴者は大いに楽しんだらしいです。

このレコードに基づく、最初の演奏旅行、すなわち「ロックミュージック」ツアーが1984年春に行われます。

★続き★

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コメント 3

Jem

いつも楽しませていただいております。
「セイリング」だけ,ラジオで流れたのかな?聴いたことがありますが,euridiceさんのおかげでアマゾンのカートの「そのうち買う」に(常に10枚ぐらい入っている・・)1枚,候補が加わりました。ありがとうございました。
by Jem (2005-07-30 05:32) 

佐々木真樹(Jem)

ごめんなさい,通称の方でコメントしてしまいました。
by 佐々木真樹(Jem) (2005-07-30 05:34) 

euridice

>アマゾンのカート
品切れにならないうちにどうぞ(^。^
by euridice (2005-07-31 07:15) 

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