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歌手対演出家 指揮者兼演出家カラヤン [人々]

1976年ザルツブルク復活祭音楽祭、ローエングリンに際して起こったルネ・コロと大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンのトラブルは、関連レコードのリブレットなどにも書かれていますし、前の記事にもWE NEED A HERO の記述を載せましたが、ルネ・コロの自伝を読みましたので、改めて紹介します。(写真は、コロ@ローエングリン、1976年ザルツブルク復活祭音楽祭)

ペーター・ホフマンとは直接関係のない話ですが、このローエングリンは1984年にペーター・ホフマンを題名役にして再演されたそうです。ラジオ放送もあったということですし、批評も非常によかったということなので、是非聴いてみたいものです。

さて、この騒動ですが、まず歌手も指揮者兼演出家も、体調が非常に悪かったのが良くなかったようです。音楽祭の前年に開始していた録音は、カラヤンが背中の手術のため入院を余儀なくされたために、半ばで中断していました。
カラヤンは、術後三ヶ月は休養するようにとの医者の指示を無視し、相当の苦痛を我慢しながら、音楽祭の舞台稽古に入ります。

三幕の演出に関して歌手と演出家の意見の相違があり、話し合いを却下されたコロは不満をつのらせます。同時に急性扁桃炎(アンギーナ)になってしまいます。往復5時間もかけて、ウィーンまで医者通いもしますが、なかなか回復しません。そこで、本稽古には出ないということで、稽古用の代役が選ばれます。休養して大分よくなったので、最終稽古、すなわちゲネプロには出るつもりで、当日の午前中、自分用の練習室に行こうと、鍵を取りに行ったところ、すでにそこには例の代役テノール氏がいて、発声練習などしていると言われます。何という事かと思ったのですが、まだ完治していたわけでもないので、プレミエに備えて充分休むのも悪くないと思い、何も言わず、ホテルに戻って静養に努めることにします。中二日ゆっくり休み、プレミエの日。午後、練習室に行くと、なんとまた代役氏に先を越され、衣装ダンスには、代役氏の衣装がかかっているではありませんか。完全に頭に来て、怒り狂いながら、衣装を着ると、とにもかくにも、プレミエは歌います。コロとしては、このときは、当然、全公演、ちゃんとやるつもりだったに違いありません。

こんなことがあるのかと思ってしまいますが、WE NEED A HERO に、ジェス・トーマスが歌うはずの公演を、ヴォルフガング・ヴィントガッセンが歌ってしまったという行き違いの話がありますから、うっかりすると、他人に歌われちゃったりすることもありうるのかもしれません。なんだか生き馬の目を抜くという感じです。

プレミエの翌日と翌々日は休みだったのですが、プレミエの翌朝、カラヤンが会いたいと言っているという連絡が入ります。ピアノ譜を持ってくるようにということで、不思議に思ったものの、深くは考えず、演出の意見の相違なども話し合いたいと楽観的な気分で、指定の場所(練習舞台)へ向かいます。途中でカラヤンに出会って、一緒にエレベーターに乗ったそうですが、なんだか気味が悪いほど病的に見えたとか。

部屋に入ると、カラヤンはいきなりコロの手からピアノ譜をひったくって、ピアノの譜面台に置き、ある箇所を弾き始め、手振りで、部屋の向こうの隅に行くように指示し、歌うようにと大声で命令したのです。ここで、コロは吃驚仰天、屈辱に身をふるわせ、反論を試みます。自分もずっと扁桃炎で具合が悪いのだから、次の公演に備えて、不必要に声を出したくないこと、今更聴かなくても、自分がどう歌うかは、先刻ご存知のはずとかなんとか。と、思いもかけぬ一撃をくらい、関係終了となります。カラヤンは「あなたがまだ歌えるかどうか、私にはわからない」と言ったのです。

コロは自分の楽譜をひったくると、「もうチェックしてもらう必要はありません」と叫んで、部屋を出ます。そして、イタリアからの大歌手三人と鉢合わせ。ヴェルディのレクイエムに参加する歌手たちで、カラヤンとの約束で来たのはいいけど、ただならぬ気配に、戸口で立ち聞きする羽目になったようです。パヴァロッティ、フレー二、ギャウロウの面々だったそうです。三人はコロを見ると、あわてて背をむけたとか。タンホイザーに背を向ける巡礼たちみたいだったそうです。

その夜、コロは荷物をまとめて、ローマならぬハンブルクへと向かったということです。その前に新聞記者にいろいろと立場を弁明したのが、騒ぎを大きくしたのも確かなことのようです。

この公演の代役ローエングリンが気になる向きもあるかと思います。コロの自伝には実名はなく、der Kollege となっています。CDリブレットには、コロのキャンセル後は、カール・ワルター・ベーム(Karl-Walter Böhm 1938.06.06- ドイツ)が歌ったとありますので、稽古の代役もこの人かもしれません。このテノール氏は、この後、カラヤンの「サロメ」(サロメはヒルデガルト・ベーレンス)で、ヘロデ王を担当しており、CDもあります。


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コメント 9

ヴァラリン

では改めて、こちらに書かせて頂きますぅ^^
うーん・・役を巡るウラバナシともとれますね・・
それはさておき、人間、体調が悪いときには、様々な軋轢を起こす可能性がある・・かもしれませんね(^^;やっぱり、健康第一ということでしょうか・・

そういえばコロさんって、メイセイの割にはドイツ語圏以外の劇場でのお仕事が極端に少ないと思うんですよね。
もしかしたら、プロイセン気質が邪魔した・・のかもしれませんね(^^;

>パヴァロッティ、フレー二、ギャウロウの面々だったそうです。三人はコロを見ると、あわてて背をむけたとか。

こういうのって、バツが悪いですよね(^^; なんだか、可笑しい・・
by ヴァラリン (2005-06-01 21:36) 

euridice

さっそくどうも^。^)

>>パヴァロッティ、フレー二、ギャウロウ
それぞれの表情が目に浮かぶようです.......

>ドイツ語圏以外の劇場でのお仕事
それはホフマンも同様かも・・やっぱりドイツの歌手という意識が強いってことかしら........
by euridice (2005-06-01 21:49) 

ヴァラリン

>それはホフマンも同様かも・・
・・ですね。イタリアデビューは確か’83でしたよね。遅いなぁ・・って思いましたもの。とっくにメイセイを築き上げた後の話ですものね。
ドイツ語圏以外でのワーグナー上演の絶対数が少ないのも、理由の一つかもしれませんが、やっぱり意識として『ドイツの歌手』が根底にあったことは、二人ともに共通することかもしれませんね!
by ヴァラリン (2005-06-01 21:55) 

keyaki

>パヴァロッティ、フレー二、ギャウロウの面々だったそうです
一人足りない・・・と思って調べましたけど、この時のヴェルレクのソリストは、カバリエ、コッソット、カレーラス、ヴァン・ダムなんで、この三人組(幼なじみ+ギャウロフは結婚してた?)は、陣中見舞いに来たのかも。コロちゃん、勘違いしたのね。

この時の公演はたった3回だから、コロは、歌うつもりだったとおもう。どっちもいじっぱりなんですね。
by keyaki (2005-06-01 22:22) 

euridice

>>パヴァロッティ、フレー二、ギャウロウ
>コロちゃん、勘違いしたのね。

^〜^)}}}} なんで、夕方、その辺にいたのかな? 
夕食後のお散歩?
カラヤンと約束があったって?(言い訳っぽい・・) 
コロちゃんの早合点?! 
ひょっとしたら、
ちょっとは言葉を交わしていて、適当言ったのかも・・・

真相は??
by euridice (2005-06-02 08:57) 

ヴァラリン

>代役
え?イェル氏じゃなかったのぉ?^^;
by ヴァラリン (2005-06-02 21:02) 

ヴァラリン

ああ勘違い・・;
イェル氏が代役に立ったのは、スカラ座での話でしたね(^^;
(ひとりで自己レスしててすみませんーー;)
by ヴァラリン (2005-06-03 01:17) 

euridice

ヴァラリン さん、おはようございます^^

自問自答、正解!
1976年の春ですからねぇ いくら心臓?!でもねぇ=∩_∩=
by euridice (2005-06-03 06:16) 

ヴァラリン

edcさん、おはようございますぅ^^
edcさんの就寝中に、ひとりで遊んでしまって失礼しましたm(__)m
>1976年の春ですからねぇ 
あ、そうか・・言われてみたらそうでした(^^;
(今日は何だか、ボケまくっているのです・・一日中)
by ヴァラリン (2005-06-03 07:09) 

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