フィガロの結婚@新国立劇場 [劇場通い]
昨シーズンの新演出にも行ったので、およそ一年数ヶ月ぶりの再会です。同じ演出だとたいてい倹約してしまうのですが、伯爵夫妻(ヴォルフガング・ブレンデル&エミリー・マギー)にひかれて出かけました。演出が印象的だったことも理由のひとつです。結婚式の場面の扱いが独特だったこと、バルバリーナがピンをさがす場面の強烈な印象。 彼女のアリアが、あんなに怖く悲しく、印象的にきこえたのは初めてでした。
さて今回の「フィガロの結婚」、言葉ではうまく説明できないんですが、なんというかなんとなく欲求不満って感じでした。舞台もすっきりと美しい構成だし、登場人物もみんなイメージずれはないし、声も心地いいし、歌も素敵なんですけど、音楽、つまりオーケストラ&チェンバロが、舞台と融合しないというか、調和しないというか、間が合わないというか、もどかしいというか・・・ 舞台上が空っぽの箱(部屋)だけだった序曲のときから、なんとも気の乗らないようなぼ〜〜〜とした生温い感じ。特に舞台上での喜劇的な動きが変に浮いてしまいがちなのは、音楽が全然一致しないからじゃないかと思いました。音楽が表現しないというか・・2005年舞台写真
スザンナは、どうも個性がないというか、別に難もないんですけど、これが何もないというか、おとなしいというか、存在感が弱かったです。それはともかく、せっかくイメージずれのない素敵な歌手たちが熱演してくれたのに、総合的にはなんとももたつく感じがぬぐえず、長い〜〜〜って印象が強くなったのは、ほんと残念でした。私に何か問題があったのかもしれないですが、オーケストラ&チェンバロ、つまり指揮者のせいなんじゃないかな・・って感じました。
演出:アンドレアス・ホモキ
東京フィルハーモニー交響楽団
2003年新演出時の舞台写真
これとはまったく違う印象で、非常に躍動感があって、生き生きして、楽しくおもしろいホームドラマといった雰囲気の上演をテレビで観る事が出来ました。アバド指揮、ジョナサン・ミラー演出、アンディアウィーンの舞台映像です。これは来日公演もあったのですが、残念ながら行きませんでした。映像
さて、今回の新国立劇場の公演は、2003年秋の新演出の再演です。再演は倹約して行かないことが多いのですが、これは演出がとても印象的だったこと、伯爵夫妻がヴォルフガング・ブレンデルとエミリー・マギーなので、でかけることにしたわけです。前とは、フィガロ、スザンナ、伯爵夫妻、ケルビーノ、バルトロ、マルチェリーナのキャストが変わっています。
前の時の不満は、伯爵とフィガロでした。二人が非常に似ていて、ほとんど区別がつかず、間違ってしまった場面さえありました。これを演出意図と解した人もいるようですが、私はそうは思えませんでした。この二人を混同することにどんな意味があるでしょうか。そして、双子みたいですから、二人ながら、雰囲気じゃないというか、興醒めという感じでした。
舞台はこれほど安上がりな装置はないだろうというぐらいのものでしたが、単純ですっきりしていて、構成的に美しく、私は気に入りました。物語の転換点で、舞台装置の四角い箱(部屋)が、がたっと実際に崩れかけるのは印象的です。結婚式の場面の扱いとそれに続くバルバリーナのアリアが非常に特徴的です。このアリアの二重構造を暴くことで、人生の悲しみ、暗さのようなもの、そして、この物語が単純なお笑いでないこと、そこにのぞく人間関係の深い闇が浮かび上がってきます。
今回もバルバリーナのアリアは、悲しいほど透明で美しかったです。
今回は、伯爵とフィガロを混同することは全くありませんでした。フィガロの第一声は、あまりにも深く低く響いてちょっとびっくりしましたが、慣れれば心地良い声でしたし、伯爵との対比がはっきりするのもよかったです。見た目も、それぞれ個性的でした。キャストは概して演技達者で、熱演でした。ただ、スザンナはちょっとおとなしすぎるというか、没個性的で、物足りない感じがしました。全体的に表情が乏しかったです。
全体の印象となると、とっても残念なことに、何か欲求不満を感じる上演に終わりました。序曲から、あのわくわくする感じがありませんでした。舞台上の歌そして動き、これにオーケストラとチェンバロが調和しない感じなのです。そのせいだと思うのですが、特にコミカルな動作が浮いてしまうような感じなのです。バルトロなどは、何度もずっこけたり、倒れたり、壁に激突したりするのですが、それに音楽がぴたっと寄り添う感じが皆無なのです。微妙にずれている。しかも、決めのフレーズがぴたっとはまらない。歌手がぴしっと決めの動作をしようとしているのに、音楽がやってこないから、動作も一瞬まごつく感じになる。時にえい、もう勝手に決めるぞって思いが伝わるような気がしました。歌手はやりにくそうでした。多分、乗れないという感じを抱えていたのではないでしょうか。観ている私も乗れなくて、もどかしかったんですから。レチタチーヴォがはじまる寸前に妙な間が空いたりしたことも数回はあったと思います。チェンバロもなんとなくぎこちないように思いました。要するに音楽の流れがもたつくようで、ずいぶん長さを感じさせられました。
最近、休憩を十分とらない傾向が強いのですが、三時間の間、休憩が一度しかないというのは、疲れます。やはり、幕ごとに休憩がほしい。
舞台に音楽が添わないという印象をこんなに強く感じたのは初体験でした。これは、オペラとしては致命的ではないでしょうか。市民オペラでも、こんな感じがしたことはないです。そういうオーケストラに参加している知人にオケはもうひどいものよと前もって言われた公演でも、オーケストラが舞台のじゃまになるというか、舞台にオケが添わなくて、乗れないなどという公演はなかったように思います。指揮者がそのあたりはちゃんと調整するのではないかと思います。
すっきりと美しい構成美の舞台、イメージずれの歌手は皆無、熱演だったのに、何かが変で物足りない感じがした上演でした。惜しかったです。
感動を得るには、受け手側の状況というものの影響もあるので、何か違和感があった場合、もしかしたら、私の側に何か問題があった可能性も否定できないとは思うのですが・・・ 今回は夜の公演だったので、眠気は全然ありませんでした。
さて今回の「フィガロの結婚」、言葉ではうまく説明できないんですが、なんというかなんとなく欲求不満って感じでした。舞台もすっきりと美しい構成だし、登場人物もみんなイメージずれはないし、声も心地いいし、歌も素敵なんですけど、音楽、つまりオーケストラ&チェンバロが、舞台と融合しないというか、調和しないというか、間が合わないというか、もどかしいというか・・・ 舞台上が空っぽの箱(部屋)だけだった序曲のときから、なんとも気の乗らないようなぼ〜〜〜とした生温い感じ。特に舞台上での喜劇的な動きが変に浮いてしまいがちなのは、音楽が全然一致しないからじゃないかと思いました。音楽が表現しないというか・・2005年舞台写真
スザンナは、どうも個性がないというか、別に難もないんですけど、これが何もないというか、おとなしいというか、存在感が弱かったです。それはともかく、せっかくイメージずれのない素敵な歌手たちが熱演してくれたのに、総合的にはなんとももたつく感じがぬぐえず、長い〜〜〜って印象が強くなったのは、ほんと残念でした。私に何か問題があったのかもしれないですが、オーケストラ&チェンバロ、つまり指揮者のせいなんじゃないかな・・って感じました。
演出:アンドレアス・ホモキ
東京フィルハーモニー交響楽団
2003年10月新演出1階4列中央 | 2005年4月2階2列中央 | |
指揮 | ウルフ・シルマー | 平井秀明 |
フィガロ | ペテリス・エグリーティス | マウリツィオ・ムラーロ |
スザンナ | 中嶋 彰子 | 松原有奈 |
伯爵 | クリストファー・ロバートソン | ヴォルフガング・ブレンデル |
伯爵夫人 | ジャニス・ワトソン | エミリー・マギー |
ケルビーノ | エレナ・ツィトコーワ | ミシェル・ブリート |
バルバリーナ | 中村 絵里 | 中村 絵里 |
バルトロ | シャオリャン・リー | 妻屋秀和 |
マルチェリーナ | 小山 由実 | 竹本節子 |
バジリオ | 大野光彦 | 大野光彦 |
ドン・クルツィオ | 藤木大地 | 中原雅彦 |
アントーニオ | 晴雅彦 | 晴雅彦 |
※ ※ ※
ベーム指揮、ポネル演出の映画版がはじめて観た「フィガロの結婚」でした。なんとなくなじみのあった「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」の歌や、可愛いケルビーノ(マリア・ユーイング)がとても魅力的で、気に入りました。反貴族を正面に出した演出でしょう。これが、私にとってこのオペラの基準になったと言えます。これとはまったく違う印象で、非常に躍動感があって、生き生きして、楽しくおもしろいホームドラマといった雰囲気の上演をテレビで観る事が出来ました。アバド指揮、ジョナサン・ミラー演出、アンディアウィーンの舞台映像です。これは来日公演もあったのですが、残念ながら行きませんでした。映像
さて、今回の新国立劇場の公演は、2003年秋の新演出の再演です。再演は倹約して行かないことが多いのですが、これは演出がとても印象的だったこと、伯爵夫妻がヴォルフガング・ブレンデルとエミリー・マギーなので、でかけることにしたわけです。前とは、フィガロ、スザンナ、伯爵夫妻、ケルビーノ、バルトロ、マルチェリーナのキャストが変わっています。
前の時の不満は、伯爵とフィガロでした。二人が非常に似ていて、ほとんど区別がつかず、間違ってしまった場面さえありました。これを演出意図と解した人もいるようですが、私はそうは思えませんでした。この二人を混同することにどんな意味があるでしょうか。そして、双子みたいですから、二人ながら、雰囲気じゃないというか、興醒めという感じでした。
舞台はこれほど安上がりな装置はないだろうというぐらいのものでしたが、単純ですっきりしていて、構成的に美しく、私は気に入りました。物語の転換点で、舞台装置の四角い箱(部屋)が、がたっと実際に崩れかけるのは印象的です。結婚式の場面の扱いとそれに続くバルバリーナのアリアが非常に特徴的です。このアリアの二重構造を暴くことで、人生の悲しみ、暗さのようなもの、そして、この物語が単純なお笑いでないこと、そこにのぞく人間関係の深い闇が浮かび上がってきます。
今回もバルバリーナのアリアは、悲しいほど透明で美しかったです。
今回は、伯爵とフィガロを混同することは全くありませんでした。フィガロの第一声は、あまりにも深く低く響いてちょっとびっくりしましたが、慣れれば心地良い声でしたし、伯爵との対比がはっきりするのもよかったです。見た目も、それぞれ個性的でした。キャストは概して演技達者で、熱演でした。ただ、スザンナはちょっとおとなしすぎるというか、没個性的で、物足りない感じがしました。全体的に表情が乏しかったです。
全体の印象となると、とっても残念なことに、何か欲求不満を感じる上演に終わりました。序曲から、あのわくわくする感じがありませんでした。舞台上の歌そして動き、これにオーケストラとチェンバロが調和しない感じなのです。そのせいだと思うのですが、特にコミカルな動作が浮いてしまうような感じなのです。バルトロなどは、何度もずっこけたり、倒れたり、壁に激突したりするのですが、それに音楽がぴたっと寄り添う感じが皆無なのです。微妙にずれている。しかも、決めのフレーズがぴたっとはまらない。歌手がぴしっと決めの動作をしようとしているのに、音楽がやってこないから、動作も一瞬まごつく感じになる。時にえい、もう勝手に決めるぞって思いが伝わるような気がしました。歌手はやりにくそうでした。多分、乗れないという感じを抱えていたのではないでしょうか。観ている私も乗れなくて、もどかしかったんですから。レチタチーヴォがはじまる寸前に妙な間が空いたりしたことも数回はあったと思います。チェンバロもなんとなくぎこちないように思いました。要するに音楽の流れがもたつくようで、ずいぶん長さを感じさせられました。
最近、休憩を十分とらない傾向が強いのですが、三時間の間、休憩が一度しかないというのは、疲れます。やはり、幕ごとに休憩がほしい。
舞台に音楽が添わないという印象をこんなに強く感じたのは初体験でした。これは、オペラとしては致命的ではないでしょうか。市民オペラでも、こんな感じがしたことはないです。そういうオーケストラに参加している知人にオケはもうひどいものよと前もって言われた公演でも、オーケストラが舞台のじゃまになるというか、舞台にオケが添わなくて、乗れないなどという公演はなかったように思います。指揮者がそのあたりはちゃんと調整するのではないかと思います。
すっきりと美しい構成美の舞台、イメージずれの歌手は皆無、熱演だったのに、何かが変で物足りない感じがした上演でした。惜しかったです。
感動を得るには、受け手側の状況というものの影響もあるので、何か違和感があった場合、もしかしたら、私の側に何か問題があった可能性も否定できないとは思うのですが・・・ 今回は夜の公演だったので、眠気は全然ありませんでした。
「フィガロの結婚」にしては、ワクワク感がないし、楽しくないし、オケのせいというよりはこれこそ指揮者の領域でしょうね。
レシタティーヴォの前の変な間というか空白はチェンバロのせいかしら。
歌手さん達の熱演が空回りという感じもしましたね。オケピットと舞台に一体感がないとでも言うのでしょうか。
by keyaki (2005-04-15 21:07)
早速読ませて頂きました。フィガロは、あのRR氏&ゲオちゃんの映画版『トスカ』で、アンジェロッティを歌ってた人だったんですね(@。@;
>特に舞台上での喜劇的な動きが変に浮いてしまいがちなのは、
>音楽が全然一致しないからじゃないかと思いました。
これってとても重要だと思います。keyakiさんも仰っているように『ワクワク感』や楽しさも、音楽の軽快さがあってこそ・・でしょうね。
それにしても、ブレンデル&マギーの伯爵夫妻なんて、ゼイタク~~^^!
by ヴァラリン (2005-04-15 21:23)
>ゼイタク~~^^!
せっかくの贅沢が〜〜〜って感じ。オケとチェンバロが舞台と歌と渾然一体になってくれてたら、きっと最高だったと思います・・ う〜〜ん、オペラってやっぱり難しいというか、思い知らされましたわ。
by euridice (2005-04-15 21:54)
ヴァラリンさん、そう、アンジェロッティさんで、バスです。
バスのフィガロって馴染みがないので、ちょっとびっくりしました。
ブレンデルは、ヴァイクルのようにビール腹ではなくて、なかなかスタイルもよかったです。
by keyaki (2005-04-15 23:11)
>バスのフィガロって馴染みがないので、ちょっとびっくりしました。
^^;実は私、バスのフィガロが好きなんですよ(^^;
みなさまのお話を伺っていて、来週は本家サイトの方で『フィガロ』を取り上げる決心がつきました。どうもありがとうございます。
keyakiさん、そこで私が『バスのフィガロが好きな理由』も明確・・に表現できるかどうかは別として(^^;まとめてみるつもりです。
ブレンデル、スタイルを保っているうちに一度聴きたいよう(ToT)
by ヴァラリン (2005-04-16 00:37)
>バスのフィガロが好きなんですよ(^^;
Tライモンディは本人は「バス・バリトン」とか「バッソ・カンタンテ」って言ってますけどバスに分類されていることが多いです。それで、TAROさんが私のブログで書いてますけど、声的にはフィガロ(バス)の方がふさしいのに、どうしてバリトンの伯爵なの?という質問があったわけです。
だから、バスのフィガロに驚くのが変ですけど、ムラーロの声はバッソ・プロフォンドっていうのかな、こもったかんじのバスで、私のフィガロのイメージではなかったんですヨ。
『フィガロ』楽しみにしていますね。
by keyaki (2005-04-16 01:45)
>バスのフィガロ
最近METから聴いたものを含めても、
フィガロはバスばっかりが歌ってます。
フルラネット、パペ、レリア、
90年代はモリスも歌ってましたよ。
by ふくろう (2005-04-16 01:51)
低声歌手の細かい分類には全く疎いですが、今回の新国フィガロはの第一声には私もびっくりしました。あんなに深く低く響くフィガロははじめてのような気がしました。でも、次第に心地よくなりましたけど・・ 伯爵との違いがはっきりするのがいいですね。
by euridice (2005-04-16 19:32)
>euridiceさん
TBさせていただきました。よろしくお願いします。
実はなんだかんだ言っても、私が最初に聞いた「フィガロの結婚」はベーム指揮のDG盤なので、バリトン(プライ)のフィガロで、役のイメージが作り上げられちゃったところがありますね。
by TARO (2005-04-17 01:25)