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吉村昭 天狗争乱 [日記(2008)]

天狗争乱 (新潮文庫)

天狗争乱 (新潮文庫)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: 文庫

 本書は歴史上有名な水戸・天狗党のその蜂起から潰走までを追った歴史小説です。『桜田門外ノ変』同様、吉村昭の冷徹な眼が光ります。天狗党は、長州藩と呼応し尊皇攘夷を決行するために、水戸藩士を中心に近隣藩の尊皇攘夷家、脱藩者、農民まで含め盛期には1、000名の規模を誇った軍事集団です。『尊皇攘夷』は、当時はごく一般的な思想で、郷村の知識層から武士階級の大半が、多かれ少なかれ尊皇攘夷であった様です。

 当時がどんな時代だったかと言うと、開国に伴う貿易の拡大は木綿の暴騰を招き、綿花作付面積の増加で米価が高騰するという、庶民にとっては迷惑な『開国』だったわけです。確か銀の流出も経済的混乱の要因だったと思います。従って、外国を締め出し物価を安定させ経済の建て直しにつながる『攘夷』は、大義名分として充分成り立つんですね。おまけに、水戸ですから『尊皇』がくっつけば、これはもう庶民から殿様まで納得できる思想です。ただ、思想を行動に移すとなると話は別で、先鋭的な行動派、総論賛成各論反対みたいな穏健派、日和見派等々いろいろ出てきます。天狗党はこの最も先鋭的な部分が集団で行動に走った事件でしょう。『尊皇攘夷』の卸し元水戸藩が上から下まで『尊皇攘夷』かというとそうでもなく、攘夷派にも過激派と穏健派があり、門閥派という保守層いるわけです。天狗党の乱が複雑な様相を帯びてくるのは、こうしたお家事情が背景にあります。
 尊皇攘夷思想は水戸学と呼ばれるほどですから、藩士はもとよりお殿様までその信奉者であるわけです。水戸藩出身の一橋慶喜も水戸藩主の慶篤も当然尊皇攘夷です。水戸藩の攘夷派と門閥派の対立を解決するため、慶篤の代理で支藩の松平頼徳が国元に派遣されるのですが、門閥派に詰め腹を切らされ切腹します。
 この辺りは時代の流れがあります。(これは巻末解説の受け売りです)天狗党の挙兵が1864年2月ですが、前年の1863年8月に七卿落ちといわれる政変が起こっています。尊皇攘夷論で朝廷を裏から操っていた長州が、薩摩藩と会津藩のクーデターで京都を追われます。この後、時代の思潮は尊皇攘夷から公武合体論へ舵を切り、天狗党の様な過激な尊皇攘夷は弾圧を受けることとなります。幕府は天狗党討伐に大軍を組織し、ここに尊皇攘夷過激派(天狗党)+穏健派 vs 門閥派+幕府軍の 対立の構図が生まれます。この流れに乗り切れなかったところに、天狗党の悲劇があります。作家は、政治的に孤立した天狗党総大将・武田耕雲斎にこう言わせます。

「一橋慶喜様のもとに参ろう。」

 『吉村歴史文学の手法と視座』と題した巻末解説に、吉村昭が本書で大仏次郎賞取った時の談話が載っています。

「私も見ているんです。天狗勢の一人としてではなくて、そこにいるだれかとして立っている。・・・新保村の部屋でも、隅に立っていました。」

江戸末期、天狗党が頼みの綱の一橋慶喜に裏切られ、降伏か徹底抗戦かを論議ている部屋の片隅に、20世紀の小説家が鬼幽の如く立っている。そんな訳はないのですが、心底、作家の執念を感じさせる一言です。


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