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吉村 昭 ニコライ遭難 新潮文庫 [日記(2006)]

ニコライ遭難

ニコライ遭難

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/10
  • メディア: 文庫

 日本訪問中のロシア皇太子ニコライに、警備の警官津田三蔵が斬りつけた有名な「大津事件」を扱ったノンフィクション・ノベルである。明治28年の日本とロシアは、ロシアが世界最大の軍事大国であり、日本はロシアから見れば「七五三のお祝いに軍服を着せた幼児」の如き存在であった。ロシアの南下政策への恐怖がニコライ大歓迎の根底にあった当時、警察官による国賓暗殺未遂事件とは、未曾有の失態であり、虎の尾を踏んだことに等しい。この何時食い殺されてもおかしくない状況下で、日本の苦闘が始まる。

以下ニコライの遭難と明治政府の対応を時間を追って拾ってみる
5月11日
13時30分過ぎ:津田三蔵がニコライに斬りつける
14時30分:滋賀県知事、内務大臣に電報を発信。明治天皇、参謀総長、総理、内務、司法、外務等の大臣を召集。
15時50分:ニコライ、汽車にて大津を出発
16時15分:天皇の行幸を決定。外務、内務各大臣を京都に派遣。
17時30分:ニコライ京都着。
21時05分:外務、内務大臣、臨時列車で東京を出発。
5月12日
6時30分:天皇、新橋停車場を出発。
21時15分:天皇、京都着。

この素早い対応は、当時の国家が如何にロシアを恐れていたかがよく分かる。
 政治と外交の世界では、犯人は当然極刑に処せられる筈であった。国の存亡を賭け、津田三蔵を死刑にしようとする行政と、近代国家の面目にかけ法体系に拠り無期刑を主張する司法のせめぎ合いであった。論点は津田三蔵の量刑にある。
刑法第292条「予め謀り人を殺したる者は謀殺の罪と為し死刑に処す」未遂の場合は「刑に一等又は二等を減ず」
を適用し、重くとも無期懲役にするか、
刑法第116条「天皇・三后・皇太子・に対し危害を加へ、又は加へんとしたる者は死刑に処す」を適用し極刑にするかである。
さらに、政治と司法の対立は、明治維新の藩閥政治が影をおとしている。
当時の政府の顔ぶれは、
松方総理、西郷内務、大山陸軍、樺山海軍・・・薩摩藩
青木外務、山田司法・・・長州藩
後藤逓信・・・土佐藩
一方司法は
児島大審院長(宇和島藩)、三好検事総長(高鍋藩)、大審院の7人の判事は、和歌山藩、石見藩、彦根藩、松代藩、熊本藩、薩摩藩、長州藩 である。
総理松方以下の大臣が7人の判事の説得に当たった。露骨な政治の司法介入である。結果は教科書通り、7人のの司法の勝利、
政治の要請と司法の独立に藩閥政治が絡んだことが、この大津事件の本質かもしれない。その10年後の明治38年、日露戦争で勝利をおさめるが、大津事件でのロシアに対する恐怖が戦争の推進に幾分かあずかっていたのかもしれない。
もうひとつかな →★★★☆☆


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