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日本海海戦と無線電信 [日記(2006)]


三六式無線機

日露戦争の日本海海戦を描いた吉村 昭「海の史劇」を読みはじめた。バルチック艦隊を最初に発見した仮装巡洋艦『信濃丸』の「敵ノ艦隊、二〇三地点ニ見ユ」という電文や、東郷司令官が旗艦『三笠』から大本営に宛てた有名な電文「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」などの電文は、いずれも無線通信で送られている。
マルコーニが無線通信に成功したのが1895年(明治28年)、1905年(明治38年)には早くも日本海軍で実用化されている。驚くべき早さである。
明治38年にどんな無線機があったのか興味が出て、少し調べてみた。


以下年表風にしてみる。
1895年:マルコーニが無線通信を発明
1895年:マルコーニが2kmの通信実験に成功
1896年:松代松之助、逓信省・電気試験で無線電信の研究を始める
1897年:月島・金杉沖間1.8kmの交信に成功
1898年:月島・第5台場間3.4kmの実験に成功
(海軍は戦艦「敷島」を英国に発注していたので、無線機に関して英国マルコニー社に打診しましたが、非常に高価であったので自主開発に方針を変更)
1899年:マルコーニ、英仏海峡越間の通信に成功
1901年: マルコーニ、大西洋横断の通信に成功。逓信省、34式無線機を制式化(交信能力150km)。
1903年:36式無線電信機を完成(交信能力370km)、連合艦隊の艦艇に装備。
1905年(明治38年)当時、連合艦隊には、すべての戦艦と駆逐艦の85%に無線設備が装備されていた。信濃丸が五島列島海域でロシア艦隊を発見し、「敵ノ艦隊、二〇三地点ニ見ユ」と三笠に打電、距離は185kmほどであったらしい。この打電が、無線通信が戦争で実用化された最初のものであったと云われる。
バルチック艦隊も無線設備はあったが、装備率、交信能力も連合艦隊より劣っていた云われている。
当時の無線機は火花式の送信機とコヒーラー検波器とモールス印字機を組み合わせた受信機であったらしい。

マルコーニ送受信機

 

電通大のHP→http://ssro.ee.uec.ac.jp/lab_tomi/uec/uec-80/uec-60/zenpen/0-3-3.htm
日本海海戦100周年記念HP→http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/100z/index.html
電通大歴史資料館→http://ssro.ee.uec.ac.jp/lab_tomi/uec/museum/index.html
戦艦三笠オフィシャルサイト →http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/frameset.html


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