SSブログ

サラエボの花 [2007年 レビュー]

サラエボの花」(2006年/ボスニア・ヘルツェゴビナ/オーストリア/ドイツ/クロアチア)

 脳梗塞で倒れたサッカー日本代表、イビチャ・オシム監督の生まれ育った街、「グルバヴィッツァ」が原題。
 倒れる3日前に書いたというこの映画に寄せる長文メッセージが公式HPに公開されています。

 1992年。旧ユーゴスラビアが解体していくなかで勃発したボスニア紛争。
 95年に一応の決着を見るまでに死者20万人、難民・避難民を200万人も生んでしまった戦後ヨーロッパ最悪の紛争を背景に、その12年後を生きる母と娘の日常を描いています。
 監督・脚本は紛争当時ティーンエイジャーだった若干32歳の女流監督、ヤスミラ・ジュバニッチ。
 女性にしか分からない痛みを、女性ならではの優しさと激しさで演出していました。

 「これは愛についての映画である」
 監督はこう語っていますが、僕は兵士が一人も出てこない戦争映画だと思いました。
 本作で描かれているのは戦争の「狂気」と、生涯癒えることのない「傷」です。
 僕はこの映画を観てはじめて、「戦争を経験した者に“終戦”は一生やってこない」ということを知りました。
 戦争で受けた“心の傷”は死ぬまで治りません。だから「戦後」というワードは正しいかも知れないけれど、戦争で受けた苦しみが生涯続く以上、「終戦」とは言い難いと思うのです。
 たとえば今日の毎日新聞朝刊1面には、「100時間以内入市」「1週間以上滞在」という見出しで、原爆症認定与党プロジェクトチームの原案が明らかになったニュースを伝えています。戦後62年を経ても未だ原爆の後遺症と闘い、補償問題で国と闘っている人たちが少なからずいるという事実。
 僕はこの「ボスニアの花」を観て、おそらく戦争を体験したすべての人が天寿をまっとうするまで、「終戦を迎えた」とは言えないと思いました。やがて「終戦」を迎えてしまうことによって「新たな戦争」を生む恐怖も同時に感じながら。

 本篇には初めて長編を手がけた監督の未熟さが随所に認められます。
 説明不足としか言いようのないシーンもいくつかあります。
 しかし、「戦争の被害者はいつも女性と子供」という不変の法則を、まるで新雪を手ですくうように柔らかく包んだ監督の手腕は評価に値すると思います。

 オシム監督の1日も早い回復を祈りつつ、この映画もオススメしたいと思います。
 佳作。

 thanks! 580,000prv

サラエボの花

サラエボの花

  • 出版社/メーカー: アルバトロス
  • メディア: DVD

nice!(1)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 1

コメント 6

snorita

友人のボスニア人とクロアチア人の夫婦、紛争中にロシアからこちらに移住してきて、今は元気に仕事をしている明るい二人です。ご主人(ボスニア人)が「自分が徴兵されたときに彼女や彼女の家族に銃は向けられないと思ったよ」と言って、脱出を決意したといっていました。重い言葉です。チャンスがあったらこの映画をみて、より彼らを理解できれば、と思います。
by snorita (2007-11-30 22:33) 

ken

移住できるなんて、恵まれたご夫婦ですね。
そんなことが出来なかった人たちの今の姿を観てあげて下さい。
by ken (2007-11-30 23:15) 

snorita

そうですね、脱出できただけでもラッキーだったんでしょうね。
こちらに来るまでの大変さについて彼らはほとんど語らないので、国外に出るだけでも凄く大変だったのだろうと思います。
by snorita (2007-12-01 18:47) 

ken

今度、聞いてみて下さい。
by ken (2007-12-02 00:50) 

nijinsky

我らが御大、オシムさんはメディアを通じて、常々「サッカー選手である間は、24時間、365日、サッカーのことだけを考えろ」と言っていました。この映画を観て、その言わんとするところがわかったような気がしました。だからこそ、日本の千葉、市原市、姉崎のようなところでも愛してくれたんだと思う。
by nijinsky (2007-12-05 15:04) 

ken

そうなんですか。
でもその言葉の意味が、この映画を観てどう分かったのかが
気になります。
by ken (2007-12-05 15:21) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。