太陽の季節 [2007年 レビュー]
「太陽の季節」(1956年・日本) 監督・脚本:古川卓巳 原作:石原慎太郎
いつかはちゃんと観ようと思っていた何本かの日活映画を、NHKBSが立て続けにオンエアしてくれるので録画して観る。
まずは東京都民なら観ておいてもいいんじゃないか?(笑)の1本。若干23歳で芥川賞を受賞した石原慎太郎原作、当時22歳だった石原裕次郎のスクリーンデビュー作。
内容の前にまずは、今だから楽しめる映画化の経緯を同じく石原慎太郎著「弟」の一節に見てみよう。
実は日活は「太陽の季節」が芥川賞を獲る以前に、その映画化権を当時としては破格の40万円で取得していた。
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すでに映画化権を取得していながら、改めて眺めればいったいどうやって映画にしたてていいやわからずにいた日活は、受賞の後の大騒ぎに力を得てともかく映画にしたてようということで動き出し、古川というまるで才能のない中堅の監督が買って出たそうで、その男のただ話の筋をなぞっただけのいかにも芸のないシナリオで、これも当人には気の毒なほど全くミスキャストの長門裕之、そして南田洋子という配役でクランクインとなった。
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さすが石原慎太郎。「書くものも毒舌」とため息が出るが、原作を読み映画を観てみると頷かざるを得ないのも事実。
特に裕次郎をモデルにして書いた原作だけに、慎太郎にとってはそのイメージとかけ離れた長門裕之の起用はまったく納得がいかなかったのだろう。
そのころ裕次郎は違った形でこの映画に参加をしていた。
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多摩川の上流という東京の片田舎にあった日活村から湘南にロケイションにやってきた活動屋たちには、私の作品に出てくるような風物はほとんど未知のものだったらしく、現場でいろいろ滑稽な混乱があった。その度プロデューサーの水の江滝子が私に質してき、こちらは面倒臭くなって私よりそっちの専門家の弟を相談役として推薦した。
暇な弟は気ままにロケにつき合っていたようだが、その内主人公を囲む遊び友達の役者の数が足りずに、彼等にいろいろ手とり足とりして教えていた弟にちょっとつき合って映画に出てみないかということになったらしい。弟も全くものおじせずに、それはそうだろう日頃やっていたことを地のままにやればいいだけの話だから、なんなくその役をこなしてしまった。
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そして裕次郎はカメラ前で本人も気付かないオーラを発する。
ある日、水の江滝子氏は慎太郎にこんなことを漏らしたと言う。
「やんなっちゃうわねえ、ラッシュを見たら、長門より誰より弟さんの方があの役にぴったりなんだから。スタッフがみんなそういってるのよ」
裕次郎伝説はこうしてはじまったのだ。
本編の話に入る。
確かに主人公を石原裕次郎が演じていたら、この作品のタッチはガラリと変わったことだろう。
合わせて「まるで才能のない中堅の監督」と原作者がこき下ろした古川某の脚本と演出でなければ、もう少しまともな作品になったと思う。
僕がもうひとつ気になったのは台詞回しと間の取り方だ。
驚いたことにどいつもこいつも台詞に抑揚がなく、まったく感情がこもっていない。
これは脚本のせいかと思って気になって原作を読んでみたら、これは古川某の責任じゃないらしい。
「俺も拳闘やってみるかな」
「お前、バスケットじゃねえか」
「うん、でもあれはウマくないんだ、性に合わねえや」
会話文も淡白なら話し方も淡白。だから台詞を棒読みしているように聞こえてしまうのだ。しかもなぜか早口。これは意図的なのか?と思う。
またアフレコの録音が巧くないのと、俳優の滑舌が良くないせいで、聞き取れない台詞も多数。これは残念だった。将来的には字幕を入れたほうがいいんじゃないかと思ったほどだ。
それにしてもこの時代の日本映画は面白い。
スタジオ撮影モノには興味はないが、屋外ロケのシーンは資料映像としての価値もあるからだ。
開発のされていない湘南海岸や逗子駅の風景など見ているだけで充分に楽しい。
戦後映画界“夜明け前”と呼ぶに相応しい本作は、邦画を語る上で欠かせない1本。
いつかはちゃんと観ようと思っていた何本かの日活映画を、NHKBSが立て続けにオンエアしてくれるので録画して観る。
まずは東京都民なら観ておいてもいいんじゃないか?(笑)の1本。若干23歳で芥川賞を受賞した石原慎太郎原作、当時22歳だった石原裕次郎のスクリーンデビュー作。
内容の前にまずは、今だから楽しめる映画化の経緯を同じく石原慎太郎著「弟」の一節に見てみよう。
実は日活は「太陽の季節」が芥川賞を獲る以前に、その映画化権を当時としては破格の40万円で取得していた。
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すでに映画化権を取得していながら、改めて眺めればいったいどうやって映画にしたてていいやわからずにいた日活は、受賞の後の大騒ぎに力を得てともかく映画にしたてようということで動き出し、古川というまるで才能のない中堅の監督が買って出たそうで、その男のただ話の筋をなぞっただけのいかにも芸のないシナリオで、これも当人には気の毒なほど全くミスキャストの長門裕之、そして南田洋子という配役でクランクインとなった。
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さすが石原慎太郎。「書くものも毒舌」とため息が出るが、原作を読み映画を観てみると頷かざるを得ないのも事実。
特に裕次郎をモデルにして書いた原作だけに、慎太郎にとってはそのイメージとかけ離れた長門裕之の起用はまったく納得がいかなかったのだろう。
そのころ裕次郎は違った形でこの映画に参加をしていた。
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多摩川の上流という東京の片田舎にあった日活村から湘南にロケイションにやってきた活動屋たちには、私の作品に出てくるような風物はほとんど未知のものだったらしく、現場でいろいろ滑稽な混乱があった。その度プロデューサーの水の江滝子が私に質してき、こちらは面倒臭くなって私よりそっちの専門家の弟を相談役として推薦した。
暇な弟は気ままにロケにつき合っていたようだが、その内主人公を囲む遊び友達の役者の数が足りずに、彼等にいろいろ手とり足とりして教えていた弟にちょっとつき合って映画に出てみないかということになったらしい。弟も全くものおじせずに、それはそうだろう日頃やっていたことを地のままにやればいいだけの話だから、なんなくその役をこなしてしまった。
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そして裕次郎はカメラ前で本人も気付かないオーラを発する。
ある日、水の江滝子氏は慎太郎にこんなことを漏らしたと言う。
「やんなっちゃうわねえ、ラッシュを見たら、長門より誰より弟さんの方があの役にぴったりなんだから。スタッフがみんなそういってるのよ」
裕次郎伝説はこうしてはじまったのだ。
本編の話に入る。
確かに主人公を石原裕次郎が演じていたら、この作品のタッチはガラリと変わったことだろう。
合わせて「まるで才能のない中堅の監督」と原作者がこき下ろした古川某の脚本と演出でなければ、もう少しまともな作品になったと思う。
僕がもうひとつ気になったのは台詞回しと間の取り方だ。
驚いたことにどいつもこいつも台詞に抑揚がなく、まったく感情がこもっていない。
これは脚本のせいかと思って気になって原作を読んでみたら、これは古川某の責任じゃないらしい。
「俺も拳闘やってみるかな」
「お前、バスケットじゃねえか」
「うん、でもあれはウマくないんだ、性に合わねえや」
会話文も淡白なら話し方も淡白。だから台詞を棒読みしているように聞こえてしまうのだ。しかもなぜか早口。これは意図的なのか?と思う。
またアフレコの録音が巧くないのと、俳優の滑舌が良くないせいで、聞き取れない台詞も多数。これは残念だった。将来的には字幕を入れたほうがいいんじゃないかと思ったほどだ。
それにしてもこの時代の日本映画は面白い。
スタジオ撮影モノには興味はないが、屋外ロケのシーンは資料映像としての価値もあるからだ。
開発のされていない湘南海岸や逗子駅の風景など見ているだけで充分に楽しい。
戦後映画界“夜明け前”と呼ぶに相応しい本作は、邦画を語る上で欠かせない1本。
2007-08-03 01:22
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コメント(6)
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きたぁー。
原作、なんだかんだ言われながらもいい作品だと思います。
by きりきりととと (2007-08-03 10:35)
原作を「いい作品」と言えるほど、もはや僕は若くありません。
ただ、20年前の僕だったら激しく共感したと思います。
竜哉は紛れもなく、その時代の自分だった気がしますね。
nice!ありがとうございます。
by ken (2007-08-03 15:30)
セリフが棒読みっぽいのは、この時代の映画の特徴だと勝手に思ってました。他の裕次郎映画もみんなそんな風に聞こえるんですけど・・・もともとの小説のせいなのですね?
by snorita (2007-08-03 19:22)
早口なのはもしかしたら上映時間と関係があるのかも?
と思ったりしてます。
そのためにもあと5~6本は観ないと分かりませんね。
by ken (2007-08-03 19:28)
しかし、しんたろーも小説だけにしといて欲しかった・・・キライなんだもん。
by snorita (2007-08-03 19:40)
うーん、それは好きずきですからねえ。
by ken (2007-08-03 20:28)