蛇拳 [2006年 レビュー]
「スネーキーモンキー/蛇拳」(1977年・香港) 監督:ユエン・ウーピン 出演:ジャッキー・チェン
2006年6月29日。ジャッキー・チェンは財産の半分を自ら設立した慈善事業基金に寄付する意向を明らかにした。
ジャッキーの総資産は現在10億香港ドル(約150億円)と言われており、本人が「半分を慈善事業基金に寄付し、残りを妻と息子が相続します」と語っている。(ロイター)
ジャッキー・チェンの成功は彼自身の類稀なる才能と、誰にも真似の出来ない努力によってもたらされたものだが、僕はそれ以前に、ジャッキーには大きな「運」があったと信じている。それはブルース・リーの死だ。
1973年「燃えよドラゴン」公開直前に急逝したブルース・リーは当時32歳。この作品にエキストラ出演し、リーに地下基地でクビを折られたジャッキーは当時18歳だった。
ハリウッド資本の入った「燃えよドラゴン」は大ヒットした。ブルース・リーはこの1本で世界的な大スターになるはずだった。いや大スターの仲間入りは果たしたのだが、彼の姿はもうどこにもなかった。
仮にブルース・リーが生きていたら。
「燃えよドラゴン」のときが32歳である。おそらく40歳くらいまでは第一線で活躍したんじゃないかと思う。
ブルース・リーが40歳の誕生日を迎えるのは1980年11月27日。この8年の間に「死亡遊戯」の完全版は確実にヒットしていただろうし、その他にも多くのブルース・リー映画が作られ、世界中を席捲したことだろう。香港映画界は間違いなくブルース・リーを中心にして動いていたはずだ。
とすれば、この8年間でジャッキー主演映画が19本も製作されただろうか?
答えはNOだ。
少なくとも「ドラゴン怒りの鉄拳」の正当な続編と言われている「レッド・ドラゴン」(1976年)の主演はブルース・リー以外に有り得ないだろうし(だってノラ・ミャオだって出てるんだから)、何より正統派カンフーアクションスターのブルース・リーがいる限り、ジャッキー・チェンのコメディカンフー映画が作られたとしても、それはあくまでも“色物”でしかなかったことだろう。
しかし現実は現実。ジャッキー・チェンにとってこの8年は大きかった。
ブルース・リーとは全く異なるスタイルを確立し、さらに監督デビュー(1978年「笑拳」)とハリウッドデビュー(1980年「バトルクリーク・ブロー」)も果たすのだから。
ロイターが伝えたニュースを聞いたとき、僕はジャッキーの持つ「運」を思った。
そして当時のジャッキーがどんな顔をしていたのかが気になって、およそ26年ぶりに「蛇拳」を観てみることにした。これは日本で公開されたジャッキー作品の中では最も製作年度が古く、また彼の出世作「酔拳」の原型となった作品でもある。
ジャッキー・チェン当時22歳。当然だが若い(笑)。しかしすでにスター性は充分だ。主演作品としてはこれですでに6本目を数えており、多少なりとも自信が芽生えて来ているのだろう。
作品としてのクオリティは高くない。が、そんなレベルを求めて観る作品でもなく、逆に古い香港映画特有の撮影技術(編集点のズームイン・アウトが懐かしくも微笑ましい)を楽しむつもりで観るのがいいだろう。
のちのジャッキー映画のカラーとなるコミカルな演出はまだまだ少なく、ここからどう昇華して「酔拳」に辿りついたのか、その流れを確かめたいと思った。
ちなみに「蛇拳」というタイトルでありながら、最後は「猫拳」になっちゃってるのが笑えます。
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