北の国から [2004年 レビュー]
「北の国から」(1981年~全24話)
放送開始当時18歳だった僕は東京に出てきたばかりで部屋にテレビがなかった。
放送開始当時18歳だった僕は東京に出てきたばかりで部屋にテレビがなかった。
新聞販売所の3階に住み込み、働きながら専門学校に通っている時代で、そこには当時同じような学生も含めて10人が共同生活をしていた。
テレビは「娯楽室」と誰もが呼んでいた共有スペースに回転チャンネルの古びた物が一台あり、テレビを見るならそこしかなかった。
けれどチャンネル争いに参加する気のなかった僕はプライベートな時間のほとんどを自室で過ごし、音楽を聞いたり、故郷の友人に手紙を書いたりしていた。
テレビの仕事に憧れて上京した僕は、最初の1年間をほとんどテレビを見ることなく過ごしたわけだ。
そんな時代に放送されていた「北の国から」は当然見る機会に恵まれなかった。僕がそのドラマと対面するのはスペシャルシリーズに入ってからだった。
脚本の勉強をしていた関係で倉本聰さんの名前は知っていた。知っていたも何もその脚本がテキストになることもあった。
僕は「前略おふくろ様」も見ていなかった。だから後にビデオで全巻見た。北の国からのスペシャルシリーズが始まって間もない頃だったと思う。
あまりの面白さに驚いた僕は、脚本家になるという夢が実は無謀な企みかも知れないと蒼ざめた。
「北の国から」のレギュラーシーズンは再放送で何本か観た。でも全部は観ていなかった。
今回DVDで全巻購入しその一部始終を観ることにしたのは、無謀な夢をあきらめるも何も自ずのやる気を再確認するためである。
結論から書くと、いい歳になったおかげで魅せるドラマの書き方には、きちんとした方程式があることを知った。
正直こんなに勉強になるとは思わなかったし、書くつもりの目線で観ることが出来た自分を褒めてやりたいと思う。
40歳を過ぎて涙もろくなった自分も再発見した。
僕は映画は好きだけどテレビドラマは好きじゃない。
理由はいくつかあるけれどそのひとつに、「何か悪いことが起きようとしている“前触れ”が好きじゃない」というものがある。
だから平々凡々としたドラマを書いてみたいと漠然と考えていたことがある。いや、考えている。
そうは言っても「波」は必要で、その必然性を描ききるためには60分という時間は足りないのだろうと思っていた。
しかし「北の国から」の脚本には、嫌な感じ、悪い胸騒ぎがまったくない。事件事故は起きる。なのにザラっとした感じがまったくしない。
それは何故だろうと考えたら、すべては必然性があり、かつ着地点に納得感があるからだ。
僕がこのDVD日記で時折書く「そりゃないでしょ」という不完全燃焼なところがひとつもない。そこが倉本作品の素晴らしいところだと思う。
このレギュラーシリーズを全巻購入すると特典ディスクがついてくる。
中には倉本聰さんと田中邦衛さん、そして杉田成道監督の対談が収録されていて、その中で印象に残る一言があった。
「(ドラマを作るうえで)大きな嘘はついてもいいが、小さな嘘をついてはいけない」
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