ピアスを買いに。 [追想]
coochinさんのところで指輪のことを読んで思い出したことなど。
わたしは左耳の軟骨部分にふたつピアスの穴を開けています。2005年の11月に開けました。
その頃、わたしはいろいろとつらくて不安定でくろすけが信じられなくて、距離的にだけでもくろすけのそばにいることができるあの人に嫉妬をしていて、その人からのちょっかいを突っぱねないで一緒に車に乗ってしまったりするくろすけがいやで。なによりもそういう自分がいやで。元夫がわたしがプライバシーを持つことを許さなくて、それでもくろすけとのことは元夫には関係ないままで置いておきたくて罪悪感を感じてしまって(今考えるとへんだけど)。
あの頃のメッセンジャーのアーカイブはつらすぎて見れないです。なんであんなに些細なことでわたしはあんなにも傷ついてゆれてくろすけに自分の苦しさを投げ返して傷つけ続けていたのか。それでもそばにいてくれるくろすけが愛おしくてうれしくてありがたくてもったいなくて。
何度もけんかしては、もう別れようと言って、それでもくろすけがいなくなるなんて考えられなくて。何度も何度も、別れ話をして。そんな自分がもう嫌で。
11月の寒い寒いある日、友人に会いにかつて住んでいたイングランドの町に帰りました。その町に住んでいたころ、わたしはくろすけを知らなかった、そんなときがあったんだと思いながら、冷たい小雨の降る中、懐かしい町を歩いていました。
そのとき、アクセサリー屋の小さな張り紙が目に付きました。
「ピアスの穴開けます」
くろすけがいなくなることなんて考えられない。なのに、その場のつらさでくろすけの手を振り払おうとするわたしがいる。そうやってくろすけを傷つけて、そのうち取り返しがつかなくなったらどうなるのだろう。だから、自分の体にくろすけが必要だという印を付けたいと思っていました。指輪は結婚指輪をしているので駄目だし、そんな生ぬるいものでは自分の気持ちの強さを確認できないように感じていました。なにか自分の体に印をつけなければ。自分の皮膚を刃物で切り裂き印を刻み付けたいと思っていました。
その気持ちが小さな張り紙を見た瞬間、動き出しました。そしてわたしの左耳の軟骨部分にピアスの穴がふたつ開きました。
それからしばらく疼く左耳を抱えながら過ごしていました。一生このまま左耳が疼き続ければいいと願ったりもしました。そうやってこの疼痛でくろすけのことを常に思い出させてほしいと。
わたしはくろすけにピアスを買ってもらいたいと思いました。これだけはどうしてもくろすけに買ってもらいたかったのです。
そして、ある日、つらい会話を続けたあとで、わたしはくろすけに頼みました。
「ダイヤのピアスを買ってほしい」
こちらへ続きます。
以下、余談。
刻むのに刺青も考えました。でも、できればダイヤを体に埋め込みたかったんです。染料のような不確かなものではなくて、永遠に残り続けるものを自分の体の一部としたかったんです。
ピアスの穴は実は一度に一気にふたつ開けたわけじゃなくて、くろすけにダイヤのピアスを買ってもらったら実はふたつついてくるじゃん? そのひとつを自分がつけてもうひとつをくろすけがつけるというのもいいけれど、くろすけがピアスをつけるのはなんだか間違っているように感じたんです。それなら、ふたつとも自分につければいいよな、って、やっぱり軟骨にひとつしかついてないのではちょっと寂しいしやっぱりふたつ開けたいしって思って、1週間後にもうひとつ開けたのでした。
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