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197 御前崎=御前崎市御前崎(静岡県)おまえ先わしゃ後…なーんちゃって [岬めぐり]

 前に御前崎にやってきたのは、もう十数年も昔のことになる。そのときは、東海道線の菊川駅からバスに長いこと揺られて、浜岡原発の近くを通って往復したので、今回は静岡から相良経由で往復してきた。静岡から吉田ICまでは東名高速を通るバスで相良まで行き、そこで御前崎行きに乗り換えるのだが、これがまた至って便利が悪い。それでも、わざわざ再訪しなければならなかったのは、ここも写真が見当たらなかったためである。
 伊良湖岬へ行ったのも、だいたい同じ頃だったが、この三河湾周辺の岬もごっそり写真が抜けている。どうやら、大事にしまい込んでまとめて行方不明になったらしい。それも、間抜けな話だが、家捜しするのも面倒になったし、このままほっておいても出てくるとも思えない。それに、周辺で行っていないところがないわけではないので、再訪することにした。
 今回は乗っていったバスで折り返しをしなければならなかったので、灯台までは登らず、下からの写真のみ。


 御前崎も、灯台が「御前埼灯台」で、岬のほうは「御前崎」である。相変わらず、ZENRINの地図は大胆不敵にも国土地理院に逆らって、地図表記を独自につけているようだが、灯台は「御前埼灯台」でなければならない。岬は大きく広い台地の上に町が広がっていて、内側に港を抱え込むようにして駿河湾に延びている。

 台地の町を抜けてきたバスは、急な坂を下りて岬に向かう。といっても、この台地全体がもう岬そのものなのであるが、これくらい大きく広いと、やはりどこかをピンポイントで示さないと、世間様が納得しない。
 そこで、ずんぐりと大きく丸くなっている海岸線の最南端の部分を、いちおう御前崎ということにしている。そこには、緯度と経度を示した標識が立っている。西風が強く、吹き飛ばされそうになるが、ほんのちょっと位置を変えるだけで、風が変わる。
 以前の記憶とは、少し景色が違ってみえる。それはバスが停まっているところの周辺が、空き地になっているからだった。確か、ここにはホテルがあって、そこのロビーでバス待ちの間コーヒーを飲んだ覚えがあった。



 とにかく、あたり見渡す限りに人影はなく、広い駐車場もがら空きである。ほかに話す相手もいないのでバスの運転手さんに聞くと、そのホテルは2年くらい前に廃業になったという。民宿らしい建物ともう一軒のホテルはあるが、営業しているのかいないのかわからないようにひっそりとしている。
 御前崎も、よそから大勢の人を集める観光地としては、もはや生きる道はないらしく、ただ冷たい風にさらされていたが、それとは別に台地の上には生活の場があるようだ。


 ここも、3年前に郡の違う浜岡町と御前崎町が合併して市制を敷いたが、人口は少ないが知名度の高い御前崎のほうを市の名前に選んだ。しかし、市役所は(行方市とは違って)浜岡のほうにある。
 御前崎へのバスが出る相良には、牧之原市という表記があって、これにはちょっとびっくりしてしまった。
 牧之原といえば、そうとう山の中の一部に過ぎないはずである。そこは、もともと未開の台地だったところを、明治の初めに開墾して茶畑にしたところなのだ。主にその開墾にたずさわったのは、最後の将軍徳川慶喜に付き従って静岡に土着しようと努力した旧幕臣だった。旧将軍のほうは、新政府によって政治責任が追及されないとわかると、さっさと東京になった江戸に帰ってしまうのだが、残された旧幕臣のほうはいまさら帰ってもどうしようもない。台地にしがみついて、茶の栽培に奮闘するしかない。
 新幹線に乗ると、あっという間にその牧之原台地の端をかすめて通り過ぎてしまうが、山とトンネルの間に茶畑が見えるそこを通るとき、いつもそのことを思わずにはいられなかった。
 それが、海岸線の相良までが牧之原になっている。ここも2年前に榛原町と相良町が合併してできたのだが、市の名前になっている牧之原は、住んでいる人も市の人口の一割しかいないのに、お茶で名高いその名をとって新しい市になったのだ。
 こうして岬めぐりで歩いてみると、日本地図はここ10年の間にも、大きく塗り替えられてきたことが、身をもってわかるので、それもまたおもしろい。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度35分44.33秒 138度13分33.48秒
197おまえざき-97.jpg
dendenmushi.gif東海地方(2007/12/04 再訪)

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タグ:灯台 静岡県
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コメント 4

knaito57

灯台や、まして岬に一級、二級などのランクがあるとは思えませんが、ここは先っぽとか最果てのイメージとはだいぶ異なりますね。海も温かく見える。それでももはや地域経済を支える力とはなり得ないということですか。
茶を産業に育てた旧幕臣たちの苦労譚は子母澤寛が多く書いていて、武士の商法の哀感がよくうかがえます。日本地図もめざましく変化していますが、地域産業の盛衰も興味深いです。
それはそうと、各地の岬に「でんでんむし認定」の三つ星とか五つ星とかつけるなんてのはいかが。あるいは「日本の百名岬」とか。
by knaito57 (2007-12-24 11:20) 

右左あんつぁん

この辺は航路としてはやはり難所の一つだったような気がします。しかし、地名が変わると歴史的なものも変化し、同時に自分も忘れ去られて行くようで非常に寂しい気持ちになります。
by 右左あんつぁん (2007-12-24 22:24) 

dendenmushi

@knaito57さんからは、以前にも岬ベストテンのようなものをという提案もいただいていますね。そう、ランクや順位や★をつけたがる風潮には、どうも???なので、それはやりたくはない。
 だが、「岬100選」くらいなら、やってもいいかな、と考えています。
 しかし、そのためにはもっともっと岬めぐりに精進してからでないと…。
 やっぱりねえ。まあ、期待値も込めて、訪問前の情報だけで選ぶ、という手もい、よいよというときにはないこともないが…。
by dendenmushi (2007-12-26 08:02) 

dendenmushi

@右左あんつぁんさん、おひさしぶりです。
 そうですねえ、ここらは西風が強いので、やはり難所だったといってよいようですね。エンジン付きの船ができるまえには、石廊崎を回って、ここの沖を通って、伊勢の安乗へ辿り着くのは、きっと大変なことだったことでしょうね。
 地名が変わっても、変わったということをちゃんと忘れずに記録し記憶しておくことが肝心なのではないでしょうかね。
by dendenmushi (2007-12-26 08:08) 

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