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167 長崎=男鹿市戸賀塩浜(秋田県)きららかに陽の落ちて [岬めぐり]

 長崎という岬は、ホテルの北側に続く岩のでこぼこが入り組んだ海岸にある。ここまでを桜島というのかどうかは、実はよくわからない。

 「桜島」という表示は、どの地図にも出てこない。だが、この「男鹿桜島リゾートホテルきららか」というホテルの名前にも、この上の道路に面した一見して営業しているのかどうか?というような数軒の売店や民宿らしきものにも、その名を冠していたりするので、地元ではそういう通称で通っているのだろう。Mapionではフルネームで表示されているこのホテルも、国土地理院の地図では「温泉保養センター」となっていたのだが、これは帰ってきてから発見した。

 一人旅の身にとっては、あまりリーズナブルとはいいかねたが、この近辺でホテルはここしかない。地図上では、もう少し戸賀方面に足を伸ばせば、「金ヶ崎温泉」という表示がある。昔から“地図旅行”をしていたときには、男鹿半島を歩いてここに泊るのがいいなあ、と思っていた。その記憶があったから、今回も泊るつもりで探してはみたけれど、見つからない。見つからないはずで、旅館はもうとっくに廃業していた。旅館はなくなっていたが温泉はあって、それを引いてきたのがかつての温泉保養センターであり、ここ桜島リゾートであった。

 宿の人に聞いたところでは、隣接するキャンプ場も含めて県営の施設だったものを買い受けて、昨年から営業し始めたのだという。
 なるほど、そうで有馬の水天宮。それでなのか。建物や造作や全体のつくりの割には、妙なアンバランスを感じていた。周辺にはほかの建物もなく立地は最高であるが、いわゆる高級リゾートのつくりではない。それで疑問が解けました。
 さらに、びっくり下谷の広徳寺は、その経営母体が“わらび座”であるということだった。わらび座といえば、昔から知っていた。“よく知っていた”といえば、うそを築地の御門跡になってしまうが、知っていたのは事実である。その舞台もみたことはないが、地方での演劇活動を地道に続けていた劇団である。その本拠が秋田県にあり、田沢湖には“たざわこ芸術村”という劇場から温泉まで備えたテーマパークをもつに至っている。そんな実績もあって、秋田県もホテル経営をするというわらび座に保養センターを売り渡すのに躊躇も問題もなかったのだろう。
 そうだったのか。これはこれは、恐れ入谷の鬼子母神でありまする。
 「きららか」という名前は、宮沢賢治からとったというのだが、確かに賢治の詩では、とくに文語詩など、「きみにならびて野にたてば、風きららかに吹ききたり」といったぐあいでよく使われている。が、これは賢治の独特の造語というわけではなく、一般に使われる形容動詞であろう。
 宮沢賢治といえば、でんでんむしのような凡人が「5000万年前のことなど想像もできない」といって簡単に済ませてしまうところも、見逃しはしない。地質学や化学など幅広い興味を、単なる興味で終わらせることのなかった天才的な詩人作家は、その作品の中でもたくさんそれを取り上げている。
 たとえば、『春と修羅』の序などは、なかなかうまいところをついている。これに類するようなことは、岬めぐりで波の寄せる岩場に立つときなど、漠然と思うことでもある。その要約や片言では意味不明になるだろうから、ついでのことに自分自身の覚えとして、少し長い引用をさせてもらっても、彼が怒ることはあるまい。

   これらについて人や銀河や修羅や海膽は
   宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
   それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
   それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
   たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
   記録されたそのとほりのこのけしきで
   それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
   ある程度まではみんなに共通いたします
   (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
    みんなのおのおののなかのすべてですから)

   けれどもこれら新世代沖積世の
   巨大に明るい時間の集積のなかで
   正しくうつされた筈のこれらのことばが
   わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
   すでにはやくもその組立や質を變じ
   しかもわたくしも印刷者も
   それを変らないとして感ずることは
   傾向としてはあり得ます
   けだしわれわれがわれわれの感官や
   風景や人物をかんずるやうに
   そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
   記録や歴史、あるひは地史といふものも
   それのいろいろの論料といっしょに
   (因果の時空的制約のもとに)
   われわれがかんじてゐるのに過ぎません
   おそらくこれから二千年もたったころは
   それ相當のちがった地質學が流用され
   相當した證據もまた次次過去から現出し
   みんなは二千年ぐらゐ前には
   青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
   新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
   きらびやかな氷窒素のあたりから
   すてきな化石を發堀したり
   あるひは白堊紀砂岩の層面に
   透明な人類の巨大な足跡を
   発見するかもしれません
    (大正十三年一月廿日 宮澤賢治『春と修羅』「序」から一部抜粋)


 多少はリゾートらしいムードを演出している温泉(金ヶ崎から引いてきた)に入って、一人でゆったりと湯に浸かり、大きな広いガラス窓から暮れなずむ日本海を眺めている。
 やがて、陽は雲と海のすき間に没し、この日最後のきららかな景色も幕を閉じる。

▼国土地理院 「地理院地図」
39度54分51.70秒 139度43分1.42秒
167ながさき-67.jpg
dendenmushi.gif東北地方(2007/09/05 訪問)

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タグ:秋田県
きた!みた!印(4)  コメント(2)  トラックバック(1) 
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コメント 2

knaito57

5000万(!)年前というのはピンと来ず、意識思考の働きようがありませんねえ。先日、ビデオで『スパルタカス』(出演俳優の名前が頭にぞろぞろ浮かび、自分の進歩に驚嘆)と『ローマ帝国の滅亡』を見ましたが、あまり楽しめなかった。
主たる関心領域は500年前くらいまでなので、5000年でもムリ。“前”だけでなく“後”のほうも、たった40年後の『2001年宇宙の旅』が遠い夢物語に思えたんだから、空想力が乏しいようです。
それでも広々した土手を歩いているときは結構迂遠なことを考えるから、人の思考力にはいなかの夜空を眺めたり、岬に立って海を見るといった物理的な環境・条件が大きく作用するようだと思いました。
by knaito57 (2007-10-09 06:41) 

dendenmushi

@それは言えるかも知れないですね。思考と環境は大いに関係があります。岬めぐりは、悠久の時の流れを意識しようというのには、最適の環境条件なのですね。
 まさに賢治のいう「新世代沖積世の巨大に明るい時間の集積のなかで」、日常では考えられない時間の地層を見たいと思っているのです。
 シーン・シモンズ…でしょう? 昔、あこがれました。それもまた、時間の地層にとじこめられた記憶のひとつ…。
by dendenmushi (2007-10-10 07:37) 

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