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166 剣崎=男鹿市戸賀加茂青砂(秋田県)5000万年前のことは想像できない [岬めぐり]

 岬の風景は、多かれ少なかれどこでも似たようなものである。訪ねる岬ごとに、岬・崎・鼻と名前は異なれど、海の中に地面の出っ張りが突き出しているだけで、単に岩があって磯があって、波があって風がある。ただ、それだけのことに過ぎない。

 だが、似たような景色の中にも、灯台があったりなかったり、展望台や遊歩道があったりなかったり、草木があったりなかったりするなど、さまざまな違いもまた多いので、“どこも同じ景色”ということはないはずなのだ。
 われわれシロウトに言えるのは、せいぜいがそんなところだが、専門家に言わせると、それぞれもっといろいろなことがあるはずであろう。
 男鹿半島の海岸は、砂浜は少なく、ほとんど全体が岩磯で、いたるところに岩が露出している。そうしてできた岬には、形は立派な岬なのに名前がついていないところも、西海岸には数多い。それらは、いまだに風浪に磨かれて丸くなることを拒否してとんがっているかのような、峨々たる火山性の岩である。それに、この先の戸賀には有名なマール(爆裂火口湖)がいくつもあって、この半島全体が火山列島の活動が活発な時代の産物であることを示している。それらの基盤は、およそ6000万年くらい前にできたものだという。
 やれやれ。気が遠くなるというか、とても想像のつかないような話だ。
 地質時代の区分で言うと、新生代の古第三紀層ということになるらしいが、これがこの列島の骨格をつくっている。
 そういわれてみると、日本地図の北東北の日本海側に、この男鹿半島だけが突出して残っているのは、よほどのことなのだという気もしてくる。それがなぜなのか、なんなのか…。

 加茂を過ぎ、天ヶ崎を過ぎて、桜島とかいう看板のあるところで道をそれて、開けた海岸に降りたところに、剣崎という岬がある。剣のようにとんがっている、ということなのだろうが、それをいうなら、それもまた多くの岬に共通していることでもある。
 台島と赤島に男鹿市教育委員会が立てていた“地層ガイド”の看板(それがあること自体がこの半島の特殊性を語っている)によると、門前から入道崎の南の赤島にかけて、門前層群と呼ばれる地層があって、これらが2500万〜5000万年前くらいの地層なのだ。
 ここら辺りが男鹿の中でも古いほうで、あとは金崎のあたりが2000万年前、鵜ノ崎のあたりが1000万年前、男鹿駅のあたりが50万〜400万年前、比較的新しいところでは寒風山の安山岩形成がおよそ1万年くらい前のことだという。

 剣崎の周辺の岩もまた、数千万年の時の流れを経てここに今あるのだと思うと…。それもまた、不思議なことだ。
 この岬のすぐそばにただ一軒のみある「男鹿桜島リゾートホテルきららか」が、今夜の宿である。

▼国土地理院 「地理院地図」
39度54分34.28秒 139度43分4.51秒
167ながさき-67.jpg
dendenmushi.gif東北地方(2007/09/05 訪問)

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タグ:秋田県
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