SSブログ

144 日浦岬=函館市原木町(北海道)鰮はどこへいったやら… [岬めぐり]

 戸井という町のことは、地元付近以外では今のほとんどの人が知るまい。バスで往復通り過ぎただけで、あまり熱く語るのもどうかと思われるが、岬めぐりは観光地ではない地方の、田舎の小さな町をめぐる旅でもあり、そこには例外なく、共通する日本の現実がある。
 この亀田半島辺りは本州に近いせいもあって、半島のあちこちに広範囲にわたって縄文時代の遺跡まであるのだから、人が住み暮らしてきた歴史は古いのだ。三内丸山遺跡で驚いた程度だから、でんでんむしには、当然そんな遺跡のことはまったく意識になかった。
 縄文時代の昔まで遡らなくても、人が多く集まり開けたのは、やはり明治以後のことだろう。明治35年には汐首岬を挟んで隣の小安村・戸井村が統合されて戸井村となった。「村」の歴史も長く、昭和43年にはじめて町制がしかれるまで。ずっと村だった。
 日本の海岸線を行くと、どこへ行っても、どこまで行っても、小さな防波堤と小さな港や船溜まりがある。それは決して、遊漁船とか趣味のマリンレジャーとかいうものではなく、人の暮らしそのものなのだ。それも、ここらでは防波堤もなく、単に道路際に船が引き上げられる傾斜路がついているだけ、というところも多い。

 一見寂れたように見える寒魚村も、ずっと昔からそのままだったわけでもない。今のわれわれが知らないだけで、昔は光り輝く栄光もあったのだ。その頃からここらは鰮(いわし。この辺りでは「鰯」でなく旧字を使うことになっているらしい。「弱い魚」ではイメージもよくない)や鮪や昆布などで全国的に有名だったらしい。このことは、帰ってきてからみた函館市役所戸井支所のホームページで知ったのだが、“当時の栄華を誇る「鰮御殿」が,現在も海岸線に存在する”とあった。バスの車窓からは、残念ながらそれはよくわからなかった。いま、いわしも獲れないのだろうし、鮪ならともかく、みんながそれをありがたがるわけでもない。

 戸井の西には部井ノ島という景勝もあるが、これは岬ではない。形は岬でも、名前が岬といっていないのだ。岬はそのさらに西側に、日浦岬というのがある。ここらはもう隣の恵山町との境界になるはずだが。

 昭和3年には、この日浦岬の下をトンネルが開通している。戸井線という鉄道が、計画されただけでなく、実際に汐首岬に線路を敷くための橋脚まで造ってしまったのは、その当時この地域がいかに繁栄していたか、という証ともいえるであろう。
 平地が少なく、主に海岸に沿って町並みが続くだけの町では、1955(昭和30)年の8,000人を超えたのが人口のピークだった。それが,2000(平成12)年には4,000人を割り込み、最近45年の間に半分以下になってしまっている。
 こうした、地方からどんどん人がいなくなってしまうという傾向は、戦後一貫して続いてきた保守党政権の失政のせいばかりにはできない、さまざまな問題があることは容易に想像できる。また、町の繁栄が人口が多ければいいということなのかといえば、そういうことでもないだろう。
 とうとう平成16年の暮れには、亀田半島の戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町は、ともに函館市に編入合併され、半島のほぼ全域が市域になった…というわけである。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度43分35.18秒 141度3分9.62秒
144ひうらみさき-44.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2007/06/24 訪問)

@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

きた!みた!印(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました