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073 富津岬=富津市富津(千葉県)死んだ筈だよお富さん [岬めぐり]

 房総半島から浦賀水道を区切るように細長く槍の先のように(あるいは先端部分が少し曲がっているので大鳥の嘴のように)張り出している富津岬は、極めて特異な地形のうちのひとつといってよい。岬全体が整備された公園になっている。第一海堡と第二海堡がすぐそばに見え、対岸には横浜や東京を望むその先端には、これまた特異な展望台があり、そこに至る道は松林に覆われているのみである。

 打ち続く波浪や地球の鼓動のように繰り返す潮汐や一定の法則によって流れる潮流によって、こうした砂嘴が形成されることはそうめずらしいことではない。とはいえ、ここは結構深く入り込んだ湾内である。比較的そうした影響を受けにくいはずではないか。
 が、それでも古東京湾が今よりもはるかに広く奥深く、さまざまな水路がたくさんの水を運んで流れ込んできていたことを考えると、この岬の存在もまた、ありうべくして自然が人間に与えた恵みといえる。この広い砂嘴は、魚貝類などの採取にも最適であったろう。富津公園のモグラ達が、芝生に穴をあけて掘り出した土には、多くの白い貝殻がある。JR内房線の青堀駅の駅前には古墳が半分削りとられながらも残っているし、大貫駅の南側にある弁天山古墳はなかなかみごとにその佇まいを残している。この辺りに人間の暮らしが始まったのは太古の昔に遡ることができるのだろう。
 
 横須賀の走水の旗山崎から富津岬までの東京湾沿岸には、岬がないということは前回書いた。千葉県の内房北部の行政区画をみると、なにやら千葉市から富津市までの間は海の埋め立ての権利を取り合いしているような印象を受ける。

 君津市などは製鉄所のためにのみ海岸線を埋め立てで確保したという風情である。木更津市から湾に伸びている東京湾アクアラインは、隣の袖ケ浦市をほんのわずかわざわざのようにかすめ過ぎてゆく。これにもお役所とお役人の侵し難い“法則”があるのだろう。
 富津市自身もまた、岬の北側の海岸の半分は、沖合を埋め立ててしまっている。このため、富津岬の威容はかなり(少なくともその4分の1は)削減されているが、その贖罪のつもりか、わすかな水路を残し市民ふれあい公園なるものを設けている。
 そういえば、都内を走っている砂利トラ土砂ダンプのナンバーは、圧倒的に「袖ケ浦」が多い。
 そういえば、「木更津」の埋立地には「鳥居崎海浜公園」というのがあるから、ここにも昔は岬があったのだろう。
 そういえば、「木更津」という地名を一番最初に知り身近に感じたのは、歌舞伎の名文句からだった。

 だが、この街を歩くのは初めてだった。そう思って駅前を歩いていると、なんと“与三郎通り”の看板と“与三郎の墓”もひとつおまけに“こうもり安の墓”があるお寺まであるではないか。こりゃ驚いたね。ご丁寧に寺の前には説明板までできている。そうだよ、この名台詞ですよ。

 この看板には三行しか書いてないが、これで終わったのでは消化不良だ。【もし、御新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ…いやさあ、お富。久し振りだなあ〜。】という見得に続くこの部分、与三郎の台詞はこういうのだ。
 【しがねえ恋の情が仇、命の綱の切れたのを、どうとりとめてか木更津から、めぐる月日も三年越し、江戸の親にゃ勘当受け、よんどころなく鎌倉の、谷七郷はくいつめても、面に受けたる看板の、疵がもっけの幸いに、切られ与三と異名を取り、押借り強請も習おうより、慣れた時代の源氏店、その白化けか黒塀の、格子作りの囲い者、死んだと思ったお富たぁ、お釈迦様でも気がつくめえ。 】
 なんでここで“鎌倉”が出てくるか。木更津と鎌倉では少しばかり不自然だ。それは、人形浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』と同じ理由である。役人がからんでいる実話なので、幕府をはばかって人形町の玄冶店を源氏店とし、江戸を鎌倉に設定を変えたものだ。
 『お富さん』という歌は、あの時代、どうしてあんなに日本全国で流行ったのだろう。こどもの頃ワケもわからず声を張り上げて歌っていたなあ。
 【♪粋な黒塀 見越しの松に
   仇な姿の 洗い髪
   死んだ筈だよ お富さん
   生きていたとは お釈迦様でも
   知らぬ仏の お富さん
   エーサオー 玄冶店】(山崎 正:作詞)
 後年になって歌舞伎座の舞台『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし) 源氏店』を観て、初めてその話が理解できたが、こういう七五調の“声に出して読みたい”日本語のリズム感と表現には、なんともいえない魅力がある。昨日も築地の東劇で玉三郎と菊之助のシネマ歌舞伎『京鹿子娘二人道成寺』を観てそう思った。その余韻が、富津岬から大きく寄り道させてしまった。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度18分47.52秒 139度47分5.45秒
73ふっつみさき-73.jpg
dendenmushi.gif関東地方(2007/01/19 再訪)

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タグ:千葉県
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コメント 3

NO NAME

この「お冨さん」の作曲者は沖縄の人で曲の感じが南国風になってしまい失敗作と思われたのが逆にヒットしてしまったのだとか、ラジオで聴いた事があります。
1月25日に有楽町へ出て銀ぶらして来ました。
by NO NAME (2007-01-25 23:29) 

右左あんつぁん

先のコメントは私が書いたものです。
ソネットのブログは書き込みした者は取り消す事が出来ないのでしょうかね。
by 右左あんつぁん (2007-01-25 23:32) 

dendenmushi

@歌手と作曲家については書いていませんでしたが、この春日八郎が歌った歌の差ッ浴は渡久地政信という人です。詳しくは知りませんが、確かに名前は沖縄的ですね。
この人は、戦後歌謡の歴史の中で、津村健から青江三奈まで、幅広く活躍した人です。
So-netの流儀は、いまいちよくわかりません。ネームカードやスキン編集など、エキサイトなど他のブログの後を、一生懸命追いかけている風でもありますが…。
by dendenmushi (2007-01-26 09:24) 

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