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054 観音崎=横須賀市鴨居(神奈川県)あの頃キミは若かった [岬めぐり]

 観音崎灯台は、日本で最初にできた洋式灯台である。開国するにあたっての条件として幕府が認め、明治新政府がそれを踏襲して、明治2年に完成した(記憶に間違いがなければ)。この頃、お雇い外国人(幕府側のプランにはフランス人が多かった)の技術指導でできた姉妹灯台としては、同じ三浦半島の剣崎や城ケ島などの灯台もそうだったはずである。

 YAMAHAが売り出した小さなヨットを買ったのは、1975(昭和50)年のことで、この年は広島カープが球団創設以来のリーグ初優勝を果たし、その知らせを初めての海外旅行で行ったヨーロッパで聞いたのだった。
 ヨットといっても当時の入門者用ヨットの代表格シーホッパーでも13フィートくらいはあったが、それは全長9フィートしかない。しかもボートのようなオールが標準装備でついている、というシロモノだった。もともと、セーリングへの憧れもあったし、こどもたちの教育のためにという思いが強かったのだが、同時に“そんなに乗ることがなくてもそのときは、これが釣舟になるので潰しが利くだろう”という計算もあった。
 結果的にみれば、その計算通りになってしまうのだが、最初に購入したときにYAMAHAがあっせんしてくれた置場が観音崎だった。タタラ浜というほんの小さな砂浜が岩礁と堤防の間にあって、夏場は海水浴場になる。その海の家の横手を少し昇ったところに、ヨット置場はあった。結構重い船体を、上げ下ろしするのは大変だったが、それはこのあと久留和や森戸へ置場を移してからも同じだった。

 “Carp of Cape”と名前をつけ、船体と帆に型紙をつくって吹き付けで刷り込み、岬を悠々と回遊する予定だったが、肝心のセーリング技術は、見様見真似の独習で、本を持ち込んでだんだんと習得していった程度。ところが、この観音崎の沖合は、東京湾の入口で大中小入り乱れて船舶の往来がとくに激しいところである。走水や灯台の南辺まで帆走したが、北へ行くと防大生のカッター練習場に突っ込み、ちょっと沖へ行くと船を避けるのに右往左往というありさまで、大いに冷や汗ものだった。

 実に何十年ぶりかで観音崎を訪れてみると、ヨット置場だったところはバーベキュー園地になっていたが、岩場の岩の形は同じだった。冬場のこととて、人影も少ない静かな海岸の道もきれいに整備されていた。沖を通る船は、またいちだんと多く、しかも大型船が増えている。おまけに、こんなのも…。

@昨日の潮岬までで、いちおう過去のデジタルデータの整理(第一期分)は終わったので、今日の観音崎からは新規訪問と再訪分(再々訪・再々々訪なども含む)をあわせた第二期分になる。
 ネガを探すのは一苦労なので、近場については再訪でデータを取り直していったほうがかえっててっとり早い。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度15分22.27秒 139度44分42.92秒
54かんのんざき-54.jpg
dendenmushi.gif関東地方(2006/12/01 再訪)

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タグ:神奈川県
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