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049 御崎=赤穂市御崎(兵庫県)赤穂義士祭の幟が立つ播州赤穂駅からずっと南に飛び出た岬は鳥居の下 [岬めぐり]

 伊和都比売神社からは、鳥居の向こうがすぐ岬の先端で海に落ちるという、なかなかのロケーションなのだが、この社も前の小さな岩礁にのっかっていたものを“浅き匠の長矩公”が移したのだという。大石名残の松などもあって、やっぱりここはすみからすみまでそれ一色である。

 御崎は、市の南端に張り出した岬の突端のことをいい、福浦というこの地は昔からの観光地であったらしい。伊和都比売神社があるきりでとくに海岸があり海が見えるという以外にはなにもないように思うが、数軒の旅館や土産物屋まである。それもかなり以前から続いているという風情。あ、ごめんごめん。温泉だったのね、ここは。
 日本人なら誰も知っている地名で、しかも知っているどころかそこで展開されるドラマを繰り返し繰り返し反芻しているはずなのに、実はそこがどんなところか行ってみたことがない。赤穂はそういう場所の代表であろう。ドラマと同じく、史実と架空の渾然一体となった物語のなかに生きる町のような印象しかもっていないという人も多いのだろう。
 とくに新幹線ができてからは、短いトンネルを二三度出入りしているうち、あっという間に通り過ぎてしまう。途中、わずかに千種川というきれいな川を渡る。それが赤穂を通っているという目印なのだが、それにさえ気づく人はいない。

 いちおう近畿ということになるが、兵庫県も西の端である。赤穂線に乗り換えて播州赤穂駅に降りたところから、もう例の人物の銅像やら四十七士のパネルやらのオンパレードで、“赤穂義士”(当然ながらここでは“浪士”とはいわない)の幟やらがはためき、それ一色なのは、義士祭を一か月後に控えていたからでもあるのだろう。駅前から真っすぐに延びる道は手入れされた低い松並木と広い歩道が続くきれいな通りで、やがて城跡に辿り着く。
 城跡は公園として今も整備が続いているが、堀もわずかしか残ってはいない。往時の面影を伝える石垣の一部をみれば、かなりの城だったことがわかるし、なによりも城から南の水手門からがすぐ海だったというのは、新発見だった。なるほどやっぱりそうなのか。

 四十七士の像が並ぶ大石神社の向こうに小学校があって、そこから運動会かなにかの練習なのか、こどもの声でアナウンスが流れてくる。おや、チームの名前もそれぞれ義士の名前で呼んでいる。これもすごい。だが、伝統とか伝説とかいうものは、そういうふうにしてしか残されていかないのだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度43分35.02秒 134度24分32.10秒
49みさきあこう-49.jpg
dendenmushi.gif近畿地方(2006/11/16 訪問)

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タグ:兵庫県
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