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040 刑部岬=旭市下永井(千葉県)犬吠埼から続く屏風ケ浦の西の端にある岬は三浦半島ともつながっていた [岬めぐり]

 夜の刻から起き出して、浜松町のバスセンターから出る銚子へ行くバスに乗る。刑部岬へ行くには、飯岡が近い。そこを通るバスに乗って刑部岬まで行き、そこからまた後続のバスに乗って銚子へ向かえばいい、と気楽に考えて乗ったのだ。
 バスが薄暗い八重洲に着くと、続々と人が乗ってきて、二人掛けの空いている席はなくなった。ゴルフに行くらしいおじさんとか、学生風の人などいろんな人が乗ってくる(当たり前だ)。

 高速に入って見慣れた隅田川を渡り、葛西の大観覧車が見えてくる辺りで、ようやく陽が昇ってきた。この東関東自動車道を大栄(ダイエーではなくタイエイ)まで行き、そこで半分以上の客(ゴルフのおじさんも)を降ろしてから収穫の終わった落花生畑に降りた霜も溶け出して光るなかを旭市に向かうのだが、途中で重大なことに気がついた。ここらは停留所は全部降車専用なのだ。これでは、飯岡からまたこのバスに乗って銚子に向かうという、今日の計画が総崩れになってしまう。まあ、なんとかなるだろう。
 この頃は、だんだん横着になってきたこともあるが、5万分の1の地図も買わず。Mapionのプリントで間に合わせてしまうし、近場に出かけるときはとくに綿密な調査もせず、行き当たりばったりのおもしろさも楽しむようにしている。

 飯岡…と聞いてすぐ浮かんだのは、昔のやくざの親分の名前だが、なぜか房州は落花生のほかやくざも名産らしい。だが、この助五郎親分が三浦半島は公郷の出身だったというのは、ここへ来て初めて知った。三浦から房総へは、かの源頼朝だって辿ったコースなのだから、なんら不思議はないとはいうものの、人の往来の織りなす妙はつきない。

 静かな漁港を守るようにそびえているようにみえる岬は、これも飯岡の風景をつくりだした海岸段丘の一部といっていいのだろうか。補修中なのか、青いシートとやぐらのかかった灯台は、どちらかというと標識灯に近い。遠く富士山も見えるらしいが、この日は霞んでいるので見えない。
 「刑部」とは『水戸黄門の』悪家老のような名前だが、実際にこの地を管理していた人物の名前から、この岬の名前がついた。きっと、わいろも取らず裏金もつくらず、立派な行政マンだったのだろう。助五郎や刑部の時代から、いやいやそのもっともっと以前から、ここにも人の営みを改めて感じさせるものがいろいろある。わたつみ神社という海神を奉った古い社や、銚子へ向かう海道にはこの地の人々が西国へ巡礼した記念碑のようなものまで残っている。

 やっぱり。バスがない。これまでの岬めぐりの経験で半分はあきらめていたとはいうものの、銚子方面に向かうのも飯岡に戻るのも、次のバスまで2時間以上も間がある。とにかく、タクシーがあるところまで、歩くことにした。道は車がバンバン走るし、歩道も確保されていないところあるが、結果的にこんな道を7キロ近くも歩く羽目になった。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度41分35.53秒 140度44分19.80秒
40ぎょうぶみさき-40.jpg
dendenmushi.gif関東地方(2006/11/25 訪問)

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タグ:千葉県
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コメント 1

knaito57

行ったばかり“ほっかほか”の記事ですね。かなり以前のものからホットなものまで、これだけ集まると“岬図鑑”ができそうです。おとといの新聞に「銚子電鉄・廃線の危機」という記事がありました。利用者の減少で経営不振、車両や施設の点検がままならず「どうか、ぬれ煎餅を買って!」とありました。
by knaito57 (2006-11-26 13:53) 

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