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016 双見ノ鼻=呉市音戸町高須三丁目(広島県)倉橋島の鼻・瀬戸内海では岬のことを「鼻」と呼ぶことも多い [岬めぐり]

 今は呉市の一部となっている倉橋島は、休山の小さな半島の先が音戸瀬戸となり、さらにその西では自分の島だけで市になった江田島に早瀬瀬戸で接している。倉橋島を知らない人でも江田島は知っているだろうが、じねんじょのような不定形な形をしたこの二つの大きな島は、いずれも音戸大橋・早瀬大橋という二つの橋で本土とつながっている。

 岬とも崎とも名前がついていない音戸瀬戸を見下ろす丘の端から南を眺めると、倉橋島や芸予諸島の島影が幾重にも連なる間に、中小たくさんの岬の出っ張りをみることができる。たとえば、この写真の中央のは双見ノ鼻、そのもっと先に行くと長串ノ鼻、木長ノ鼻などというように、瀬戸内海では岬のことを「鼻」と呼ぶことも多い。もちろん「崎」というのもたくさんあって、名前の付いていない岬はもっと多い。それこそ、常連コメンテイターになっていただいたらしいknaito57さんのいわれるように日本中岬だらけであり、とくに瀬戸内海のような多島海ときたらもうキリがないのだ。
 なので、ここは倉橋島の鼻ということで、ひとまとめにしてくくってみた。木で鼻をくくったような…などといわないでね。

 平清盛の伝説でも有名な音戸瀬戸は、ほんとうに狭い。その島寄りに清盛塚があって、これをつくるときにはうちの先祖たちがかかわっていたらしい。実をいうと、わが家の祖先は、明治の始め頃まではこのすぐ北側の広というところにいた。この倉橋島は花崗岩の良石が取れるところで、国会議事堂などの石を切り出したといわれているが、そういうことともなにか関係があったらしい。
 とりあえず、バスに乗って、倉橋島の先っちょのバスの終点まで行ってみる。いくつもの小さなデコボコをくねくねしながら進んで行くと、山には確かにあちこちに大きな岩の露頭がみえる。鹿老渡という曰くありげな名の集落がバスの終点で、いかにも水軍の基地かなにかにふさわしいような場所である。
 長串ノ鼻の付け根には砂浜と松原が広がり、ここが万葉集にも謳われた長門島であるという。船が交通輸送の主要手段であった昔から、瀬戸内海航路は幹線ルートであり、こうした島々の岬に挟まれた入江は、風待ち(あるいは風よけ)の港として栄えた。ここはまた、風待ちだけでなく、遣唐使船などの造船もしていた。記念館ができていて、そこには復元された遣唐使船まであった。
 その安芸の造船について説明する板と窓ガラスの向こうには、火山という名の花崗岩の山が見える。うちの先祖達も、この山を見上げることがあったのだろうか。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度11分20.96秒 132度32分49.05秒
016くらはしじま-16.jpg16ふたみのはな-16.jpg
dendenmushi.gif中国地方(02/10/21訪問)

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タグ:広島県
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