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リブ・ヤング! [ラヂオ]

1967年にスタートしたラジオの深夜放送は、70年代に入ると若者を中心として人気が過熱し一大ブームとなっていた。

東京では、三つの代表的な深夜放送、パック・イン・ミュージック(TBSラジオ)、セイヤング(文化放送)、オールナイト・ニッポン(ニッポン放送) それぞれのディスクジョッキー(またはパーソナリティー) は超がつくほどの人気者だった。

この人気をテレビ局が放っておくはずもなく、1971年、日本テレビで、「セイヤング」の人気DJの土居まさるが司会の「TV JOCKEY」がスタートする。

放送時間は日曜日の午後で、今ではちょっと放送するのが危ない「珍人集合」とか「奇人変人」といったコーナーが人気の公開バラエティー番組だった。

TV JOCKEYは、土居まさる自身が人気を確立した公開番組「ハロー・パーティー」(文化放送) のテレビ版といった感じの番組だった。80年代まで続いたし、後のビート・たけしの「スーパー・ジョッキー」につながった番組なので、認知度はかなり高いと思う。


 ちょっと遅れて72年、このTV JOCKEYの人気に触発されたか、フジテレビの「リブヤング」という、深夜放送臭さがプンプンする音楽情報番組があった。

司会はTBSラジオの「パック・イン・ミュージック」で人気者になった愛川欽也。

アシスタントがアイドルの山口いづみ。    

山口いづみは、「続・大奥の女たち」で女優として活躍し始めていたが、70年代に入り台頭してきた女性アイドル路線に乗っかろうと、「緑の季節」で歌手デビューしたばかりだった。

GOLDEN☆BEST/浅田美代子 当時のアイドル歌手といえば、ルックス中心で歌唱力は二の次。

小柳ルミ子、南沙織、天地真理、麻丘めぐみ あたりはまあなんとか聞けたが、 浅田美代子のようにファンでなくてもスリリングな歌唱力をもつ歌手もいた。  

愛川欽也、山口いづみの他に、柴俊夫も司会に加わっていた。

「リブヤング」は、「TV JOCKEY」ほどのバラエティー色はなく、音楽中心の情報番組だった

当時のテレビの音楽番組といえば、アイドル歌手中心の歌謡番組が主流で、後にニューミュージックと呼ばれるフォークやロックのアーティストの演奏をテレビで見る機会はほとんどなかったので、目新しい感じがした。

メジャーになる前のチューリップ、アリス、キャロルなど、今になって振り返れば豪華な顔ぶれだった。

魔法の黄色い靴(紙ジャケット仕様) チューリップの「魔法の黄色い靴」を初めて聞いた(見た)のはこの番組だったと思う。

キーボードを弾きながら財津和夫が「♪おーそーだよ」 と口をトンがらして歌う姿が印象的で、転調する変わった曲だなと思った。

 

2005年暮れの紅白歌合戦にも出ていたアリスも良く見た。個人的には、「♪バイ・バイ・バイ 私のあなた」 みたいな演歌的湿っぽさが好きではなかった。

当時は、プログレに夢中になっている男の子の趣味に合わなかったのだが、今では紅白でも歌っていた「遠くで汽笛を聞きながら」がカラオケの定番になっている。谷村新司はあの頃から髪の毛が減っていないような気がする。

 他は記憶がハッキリしないのだが、五輪真弓、荒井由実時代のユーミンも、この番組で歌う姿を見たと思う。五輪真弓は「少女」、ユーミンは「きっと言える」を聞いたと思う。でも、荒井由実のデビューは73年だから勘違いかもしれない。

先日、子供が五輪真弓の五輪を「ゴリン」と読んでいたので、カミサンと二人で、「知らないのぉ~」 と思い切りバカにしてやったら、「知るわけない」と逆切れされた。過去の人になってしまっているようだ。

 

「リブヤング」はいい番組だった思うが、短命だった。

TV JOCKEY みたいな子供に受ける軽薄さがなかったし、日曜日の午後4時からという放送時間も悪かったのも理由だと思うが、おそらく

当時の「ヤング」はあまりテレビを見なかったんだよね。

テレビ好きの私は番組が終わってしまい残念だった。

     

その後、欽也さんは、夫人になる前のうつみみどりさんと、ラジオの収録風景を流しているような「ベスト30歌謡曲」「キンキンケロンパ歌謡曲」という番組に出演していた。

落合恵子さんとの、キンレモという組み合わせもあった。

ラジオの深夜放送とラジオのようなテレビ番組を足がかりにして、人気司会者になっただけに、欽也さんには今でもラジオの空気を感じる。


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ラボリス

リブ・ヤング! はあまり見ていた記憶がありません。多分、日曜の午後はいつも家にいなかったような気がします。その昔、朝やってた「ヤング720」みたいな雰囲気かなあと感じてました。しかし、愛川欽也についてなら覚えてます。

キンキンこと愛川欽也がTBSのパックインミュージックの水曜パックを始めたのが1971年、ちょうど中学2年の私が深夜放送を聞き始めたころでした。当時愛川欽也が声優であることは知ってました。「かわいい魔女ジニー」に出てくる宇宙飛行士のトニー君の同僚のロジャーの声をやっていたことは声ですぐにわかりました。しばらくして三菱鉛筆ユニのインスタントレタリングのコマーシャルに出るようになり、初めて顔を知ることとなるのです。インスタントレタリングなんて言っても、今や誰も知らないかもしれませんね。パソコンもワープロもない時代は、インスタントレタリングをこすって転写してかっこいい印刷したみたいな文字をカードやラベルに使ったものでした。結構値段も高かったような気がします。セットで袋に入っていますが、ほしい字はすぐになくなってしまって、また新しいのを一袋買ってこなければならなかったのを覚えてます。キンキンは黄色いTシャツにもじゃもじゃのアフロ風の長髪にパンタロンといういでたちの70年代ファッションそのもので広告に出てました。ケーシー高峰と同様のニキビの跡が残るキンキンは、平日の日中はケンケン(見城美枝子)と「それいけ歌謡曲」やってましたね。病気で学校を休んだ日に聞いてました。今や有名料理評論家(当時売れないシャンソン歌手)の平野レミが久米宏と、「男が出るか女が出るか」って叫んでましたよね。1972年、新幹線が岡山まで延びると、キンキンは国鉄のテレビCMで新幹線の人形の声を当てて、「私、走りますよ~」って声裏返してうけてました。

そんなころ、1973年、10チャンネルのNET(今のテレビ朝日)で毎週水曜日の夜8時から「ベスト30歌謡曲」が始まるのでした。キンキンが初期の司会をつとめていました。大きなスタジオの壁に30人の歌手の写真入りのボートが並ぶなか、かなり大雑把な段取りで進んでいく1時間の歌番組でした。「夜のヒットスタジオ」をかなり意識してたのでしょうね。でもあんまり面白くなかった気がします。出てくる歌手は必ずしもヒットしている歌手ではなかったような気がするし、なんか間が悪くて、あるいはスタジオがでかすぎるのか、司会もよく変わったしね。あんまり見なかった番組です。すんません。

そんなころ、1973年、東京12チャンネルで毎週月曜日の夜7時から「きんきんケロンパ歌謡曲」が始まるのでした。ちょうど、芝の東京タワーの足元あたりにあるスタジオの復調整室のようなところから、ラジオのディスクジョッキーのように、二人の面白い会話の間にレコードをかけるように、事前にビデオ撮りされた歌手の歌を流すのでした。出演の歌手たちはひとりのゲスト以外はすべてその場にはいないのです。その点がラジオ的でした。スタジオさえ必要のない超低予算の画期的な1時間歌番組でした。司会の二人と担当のめがねをかけた生真面目そうなディレクター氏の三人が唯一のレギュラーでした。メインの司会のお二人がデーンとしゃべってましたね。このふたりの会話のおもしろいこと、おもしろいこと。もともとこの二人、おしゃべりでしたが、会話のピンポンが心地よく、また当人たちも会話を楽しんでいるのが見ているほうにも伝わってくるほど、このふたり息が合ってました。人形劇もありましたね。欽也さんがキンキン人形を、うつみみどりがケロンパ人形を操って何をやってたのかもう思い出せませんが面白かったことだけは覚えてます。セサミストリート風の口のデカイ人形でした。ケロンパ人形の口がやけにデカかったのを覚えてます。この番組はその後、落合恵子と組んで「キンレモ歌謡曲」として続いていきます。

キンキンとケロンパ、このふたり、仲のいい夫婦みたいだなあ、と子供ながら感じてました。この後、数年にかけて欽也さんとみどりさんはいろいろな番組でいっしょに出てましたね。そして1978年、二人は本当に結婚してしまいました。欽也さんは前の奥さんと離婚して。欽也さんに奥さんとお嬢さんがいることはこの当時知ってましたから、結構びっくりしました。那智チャコパックでこのことを知り、チャコちゃんがやたらとびっくりしていたのを覚えてます。このころ、「うつみみどり」は「うつみ宮土理」に改名し、宮土理さんは10年ほど芸能界から遠ざかることになります。
by ラボリス (2006-01-07 17:08) 

Cliff

ラボリスさん、こんばんは。
いつも、貴重なお話ありがとうございます。

キンキンとケロンパの番組は確か東京12チャンネルだったはずなのに、なぜ「ベスト30歌謡曲」がNETなのかと思っていたのですが、「キンキンケロンパ歌謡曲」とゴッチャになっていました。やはり、記憶に頼るとダメですね。訂正しておきます。
キンキン人形とケロンパ人形、思い出しましたよ。おっしゃる通りで、「キンキンケロンパ・・・」は、豪華に何人もの歌手が出演する番組ではなくありませんでしたが、その代わり二人のトークが新鮮で、しかもシロウト目でも低予算の一石二鳥、東京12チャンネルらしいゲリラっぽさが好きでした。

私もお二人の結婚には驚きました。今では古女房という感じになってますからねえ。。後に、佳村萌さんという欽也さんの娘さんが、雑誌などに登場したときもびっくりしました。
欽也さんがパック・イン・ミュージックのパーソナリティーを務めていたのは、71年から78年の7年間。15年のパックの歴史の半分弱です。
ちょっと意地の悪い言い方になりますが、キャリアアップよいう点では、最もパックの恩恵を受けたパーソナリティーだったと思います。ニャンコ先生やジャックレモンの声優が、メジャーな司会者になっていったわけですから。
でも、70歳を過ぎても衰えないあのエネルギーとプラス志向は、キンキンパックのリスナーとして見習わなければいけないなと思います。
と、書き終わったところで「出没アド街ック天国」でも見ることにします。(笑)
by Cliff (2006-01-07 20:48) 

Cliff

そうそう、あと、欽也さんのCMで懐かしいのが研ナオコとのカメラのCM、「僕は美人しか撮らない」というものと、松下電器の「松下さん」という二つ。
「キンキンケンケンのそれ行け歌謡曲」の久米宏と平野レミのコンビも当然知っています。
by Cliff (2006-01-07 20:55) 

飛行鬼

リブヤングでの「キャロル」ライブの録音持ってますよ。
実は「カトリーヌコーナー」で検索していて、このサイトを見つけたのです。
by 飛行鬼 (2006-02-18 11:35) 

Cliff

飛行鬼さん、こんばんは
本当ですね。「カトリーヌコーナー」で出てきますね。恐ろしいですね。
深夜放送関係のサイトが少ないので、検索するとこのBlogが上の方に出てしまうようです。最初の頃、記憶が曖昧になっている事柄を検索してみたら自分のサイトが出て来てびっくりすることがよくありました。

「キャロル」のリブヤングでの演奏はCDにもなっていますね。欽也さんの声も入っているのかな?アリスやチューリップの音も残っていればいいですね。
by Cliff (2006-02-18 20:44) 

唐突で済みません。

 「萩尾みどり」がこの番組のコンテストで優勝し、芸能界デビューの足がかりをとしました。ニコリともしない彼女の態度にはウーマンリブのニオイを感じたような気がします。
 私の目には準優勝の女の子の方がカワイく映ったのですが、はてさて彼女はその後どうされたのでしょうか。
by 唐突で済みません。 (2014-03-01 17:26) 

Cliff

そうでしたか。萩尾みどりさんはこの番組から。榎美砂子さんもその頃でしょうか。リブヤングは最初の深夜放送テレビ版といった感じから、途中で変質したように記憶しています。ちなみにショッキングブルーのインクポットのPVにリブヤングのスタジオ風景が出てきますね。まだYouTubeにありますよ^ ^
by Cliff (2014-03-20 12:04) 

曼珠沙華

当時中学生の友人と、河田町にあった公開生放送スタジオに行った事があります。
五輪真弓さんと荒井由美さんが2台のグランドピアノを背合わせにしてコラボしていたのは、間違いなくこの番組です。
ガロ、ミカバンドも見た記憶が蘇りました。有難う。私は個人的に高中正義さんを崇拝するほどのファンですので、演奏、インタビュー画像のDVDが欲しいです。
by 曼珠沙華 (2016-06-15 03:57) 

antigen

大同感!!

「リブヤングのコンテスト」の件
私も準優勝の女子の方がカワイイと思いました。
彼女いくつかのCM、広告に出ていました。
名前はわかりません、どなたかご情報を!
by antigen (2017-11-18 17:48) 

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