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佐伯の下塗りはいつもホワイト? [気になる下落合]

 佐伯祐三の作品には、ときどき奇妙な表現が見られる。たとえば、『下落合風景』シリーズClick!に限ってみても、不自然で不可解な描写に気づくことがある。光が反射しているわけでも、また雪が積もっているわけでもないのに、ときどき屋根が真っ白に塗られている家がある。現存する作品ばかりでなく、モノクロ画像でしか残っていない作品を観ていても、屋根のトーンがあまりに明るすぎる描写を発見することができる。
 たとえば、その現象がもっとも顕著な例として、二ノ坂の上から新宿方面を眺めた、1926年9月27日に描かれたとみられる『下落合風景』の「遠望の岡」Click!らしい作品がある。正面左手にくだっていく坂道は、やがて二ノ坂となり、現在の中井駅と山手通りの高架下あたりへ抜けるのだが、眼下に拡がるパノラマにご注目いただきたい。下落合から上落合へと拡がる住宅街の中に、屋根がまっ白な家屋が何軒も描かれているのがおわかりだろう。もちろん、降雪のあとの風景ではない。
 いく棟か見える、白い屋根のさまざまな角度から、ある一定方向より射しこむ陽光が瓦に反射して光っているのではないことも明らかだ。空は曇り気味であり、このような強烈な光の反射は起きにくい環境だ。また、屋根を白く塗った住宅建築というのも、当時の常識からして考えられない。では、この白い屋根は、いったいどういうことなのだろうか? そのヒントは、新宿歴史博物館で先日拝見させていただいた、「テニス」Click!の中に隠されていた。
  
 「テニス」の画面の、左下に注目してみよう。わたしは最初、糸クズが付着しているのかと思った。黒っぽい土の地面を描いた部分に、なぜ白い糸クズが付いているのだろう? 1987年に創形美術で修復された際、混入してしまったのだろうか・・・などと、まったくピント外れなことを考えていた。でも、その白い線状のものは糸クズなどではない。黒やこげ茶色の絵の具の下からのぞく、ホワイトの絵の具なのだ。同行した専門家の方も、「下の色だね」とすぐに指摘された。
 つまり、ブラウン系の絵の具の下に、佐伯独自のキャンバス地ではなく、もう1層、ホワイトの絵の具を薄く刷いた形跡が見られる。すなわち、風景を描きはじめる以前に、ホワイトをつかって下塗りがしてあった・・・ということだ。「テニス」が描かれるとき、手づくりのオリジナルキャンバスの上へ最初に塗られたのは、空のブルーからホワイトへの薄塗りグラデーションばかりでなく、画面の下段へホワイトのベースカラーも同時に塗られていた。この地色の上に、「テニス」の地面や草むらが描かれているということになる。
 では、どうして下塗りが顔をのぞかせているのか? おそらく、古い変色したニスを洗浄するときに、ニス下の絵の具層の凸部まで少し洗ってしまったのだ。だから、地色のホワイトがわずかに顔をのぞかせた。同様のことが、「遠望の岡」についても言えるのではないだろうか。ただし、「テニス」とは異なり、「遠望の岡」は洗浄を必要以上にやりすぎたのだ。「テニス」を手がけた創形美術ほど、修復のテクニックが優れてはいなかったのだろう。だから、佐伯が屋根に載せていた薄塗りの絵の具(おそらくグレイ系か?)が洗い流され、下塗りのホワイトが露出し、まるで雪が積もっているかのような白い屋根となってしまった・・・。
 このような経緯を見てくると、佐伯の『下落合風景』の多くは、特に風景を描いた画面の下層には、地色としてホワイトが塗られている可能性がきわめて高いように思う。家々や地面などを描きはじめる前に、佐伯はキャンバスの該当するスペースへ刷毛でホワイトを薄塗りし、それが適度に乾いてから実際の風景を描きはじめた・・・、そんな描画手順を想定することができる。
 
 このテーマは、まだ美術分野でもほとんど指摘されてないけれど、実は想像以上に重要な問題を孕んでいることになる。昭和初期あるいは戦後すぐのころもそうだったものか、現在のようなキメ細やかで繊細なクリーニング技術が確立されていない時期、古い変色したニスを洗い落として新しいニスを塗布するとき、佐伯の薄塗りの絵の具を下塗りが見えるまで、いっしょに洗い落としてしまわなかったか?・・・という、かなり大きな課題だ。
 それは、たとえば『下落合風景』作品群の中で、戦後に「雪景色」とタイトルされている作品はどうか? 確かに、周囲は冬枯れの景色だけれど、屋根が白いのはほんとうに積雪なのかどうか? 佐伯は、当初から屋根をちゃんと白く描いていたのだろうか? さらに、パリの作品ではどうなのか? 佐伯はほんとうに当初から、ある仕上げの部分にホワイトを選んで塗っていたのかどうか?・・・という、これまたやっかいだけれど非常に深刻な課題が浮上していることになる。
 ホワイトを下塗りするこの手法が、『下落合風景』のみに限られたものなのか、それともパリその他で描かれた風景作品も含めて、ある時期からやりはじめた彼の描画法なのか、他の作品を仔細に観察して痕跡をたどっていけば、なにか新しいことがわかるかもしれない。

■写真上:1926年に描かれた「遠望の岡?」(部分)に見られる、不自然な白い屋根の家々。
■写真中:「テニス」の画面左下の地面から顔を出した、まるで糸クズのような下塗りのホワイト。
■写真下:モノクロ画像にみえる、屋根が白く飛んでいそうな作品。は、第二文化村の端を描いた『下落合風景』(部分)。は、「上落合の橋の附近」の寺斉橋バージョン(部分)。
のちに上記「寺斉橋」と思われた作品の実物を日動画廊のご好意で間近に拝見し、「八島さんの前通り」(1927年6月ごろ)の1作であることが判明している。詳細はこちらの記事Click!で。


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龍

はじめまして。つい最近、高精細撮影をしたらモナリザには眉毛があった、というニュースも流れましたね。ある時期までの模写にも眉毛があったのだとか。ニスの塗り替えや修復で、油絵も変わってしまうのですね。大好きな佐伯祐三の作品なのですが、彼が描いた絵は、今見ているものとは違ったのかもしれないのですね!確かにヘンに白い屋根ですし、少し色が乗っている(残っている?)屋根もあるようです。思わず、しげしげと見てしまいました。とっても面白いです。
by 龍 (2007-10-28 22:55) 

ChinchikoPapa

龍さん、コメントをありがとうございます。
おそらく、いま現在わたしたちが観ている作品と、描かれた当時の絵とは、かなり印象が違うのではないかと思います。生前から高名で、絵が高値で取引されているような画家の作品でしたら、細心の注意を払ってしかるべき修復のエキスパートへと託されたでしょうが、そうではない画家の作品、日常的に居間とか応接室に架けっぱなしになっているような絵は、最初のニスが変色したり剥げたりしたら、そこいらの素人に毛の生えたような「修復屋」で安くやってもらっていたのではないかと思います。
佐伯祐三が俄然注目を集めるのは戦後になってからですので、それまでに傷んで「修復」されている作品は、たいした注意も払われず、適切な手当てもなされなかったんじゃないでしょうか。特に、独自キャンバスの上に絵具が載せられていますので、ひび割れしやすくすぐに剥離を起こしやすい彼の作品は、描かれてからそれほど間をおかず、ニスの塗りなおしがなされている可能性が高いですね。
佐伯作品だったかどうかは忘れましたけれど、木材用のニスを塗られてしまった作品さえ、中にはあるようですね。(^^;
by ChinchikoPapa (2007-10-29 00:05) 

ChinchikoPapa

いつもお読みいただき、ありがとうございます。>Krauseさん
by ChinchikoPapa (2007-10-29 00:07) 

ChinchikoPapa

nice!を、いつもありがとうございます。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2007-10-29 00:08) 

ChinchikoPapa

ご評価いただき恐縮です、ありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2007-10-29 00:09) 

komekiti

そこまで考えて絵を見ていたことがないです。
凄い面白いお話でした。
これから見る時は少し違った目で見られそうです。
by komekiti (2007-10-29 11:49) 

ChinchikoPapa

komekitiさん、コメントをありがとうございます。
わたしも、「テニス」を拝見しに同行した専門家の方からご指摘を受けなければ、気がつかなかったテーマです。そういう目で絵を観はじめますと、ほんとうに画家が描いた意図どおりに、わたしには作品が見えているのだろうか?・・・と、限りなく不安になりますね。(^^;
by ChinchikoPapa (2007-10-30 00:58) 

ChinchikoPapa

あっ、申し遅れました。
nice!をありがとうございました。>komekitiさん
by ChinchikoPapa (2007-10-30 00:59) 

ChinchikoPapa

Qちゃんさん、ご評価いただきありがとうございます。<(_ _)>
by ChinchikoPapa (2007-10-30 01:00) 

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