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再現・益満邸テニスコート前の佐伯祐三。 [気になる下落合]

 前日、雨模様の中を美術学校の恩師である森田亀之助邸Click!の南隣り、下落合630番地に引っ越してきて住んでいる里見勝蔵を訪ね、ついでに20号の「森たさんのトナリ」Click!を仕上げた佐伯祐三は、もう1時間ほども庭先に面した窓から空を眺めていた。低気圧が通過して風があるのか、乳白色の雲が足早に流れていく。でも、ところどころに雲の切れ目が見えて、昼すぎからは晴れそうな予感がしていた。すでに、午前11時をまわっている。「そろそろ青柳はんの、いてみよかいな」、そんなことをつぶやきながら、アトリエで道具箱にいつもより多めの鉛管を詰めはじめた。
 「青柳はん」とは、佐伯家の南隣り、下落合658番地に住んでいる青柳家のことだ。ある日、いつものようにアトリエの近所で風景を描いていると、たまたま青柳辰代が通りかかって「ぜひ1枚、譲ってくださらないこと?」と頼まれた。彼女は、落合尋常小学校で長く教師をしており、昔から西洋絵画には興味があったようだ。夫の青柳正作は、海軍での豊富な経験をかわれ数年前まで日本郵船に勤めていたが、退職後は下落合で「交友会」を組織して、さまざまな地域の活動に専念している。佐伯は、下落合にアトリエを建てて以来、以前から青柳家には家族ぐるみでずいぶん世話になっているので、いつもより大きなサイズの作品を贈ろうと考えていた。だから、普段の15号とか20号のサイズではなく、特別に50号のキャンバスを用意していたのだ。
 持ち慣れない50号のキャンバスを手に、佐伯は妻の米子に送られてアトリエを出た。もうすぐ5歳になる娘の弥智子が、いつも家の外までまとわりついてくる。きょうは、「八島さんの前通り」Click!の角まで、ちょうど青柳邸前の道の突きあたりまでチョコチョコついてきて、見送ってくれた。佐伯は振りかえって何度か手をふりながら、八島邸前の通りをすぐに右折し、空地が目立つ第三文化村の南辺の道を、落合町役場のあるほうへと歩いていった。
 ほどなくT字路に突き当たると、目の前に落成が近い落合小学校の新校舎Click!が、真新しく光る屋根瓦を載せて建っている。右折して、少し前まで箱根土地Click!の本社だった敷地の手前を左折すると、右手には見慣れた第一文化村のハイカラな家並みが、木立を透かして佐伯の視界に入った。やがて、左手には急峻な「スキー場」Click!が、正面のわずかに下がった斜面には第一文化村の水道タンクClick!が見えてくる。「今週は、この道沿いを描いたろ」、そんなことを想いながら第二文化村のほうへと足を向ける。気圧の急激な変化からだろうか、ときどき強風が吹き抜けて、いつもより大きなキャンバスを持つ佐伯の身体があおられた。
 
 わずかな上り坂をすぎると、急に視界が開けて広大な第二文化村が姿を見せる。だが、佐伯は文化村の大きな西洋館群には、モチーフとしての魅力をまったく感じなかった。2週間ほど前、第二文化村の三間通りから反対側を向いて描いた「文化村前通り」Click!の描画位置、宮本恒平Click!邸の前をすぎ文化村の西外れにさしかかった。この通りをそのまままっすぐ進むと、アビラ村Click!の尾根沿いを走る北辺の道Click!となる。平日だというのに、宮本アトリエをすぎるころから、ボールを打つ音が響いてきた。益満邸のテニスコートの前に立つと、文化村の住人が7人ほど集まってダブルスの試合をしている。雲が急速に切れはじめて青空がのぞき、テニスコートに陽が射しはじめた。佐伯は湿った草むらに道具箱を置くと、急いでイーゼルを組み立てた。
 正午をすぎるころから、青空が一面に拡がった。佐伯は古い絵具がこびりついたままのパレットに、ブルーとホワイトを大量にしぼり出すと、幅広の刷毛で混ぜ合わせながら50号のキャンバスに向かった。上から下へキャンバスの中ほどまで、空のグラデーションをすばやく薄塗りしていく。ところどころ、吹き飛ばされたちぎれ雲が流れていった。佐伯は雲のいくつかをつかまえて、生乾きの空にシルバーホワイトを描き入れる。あとで厚塗りをする雲の下地だ。つづいて、大きな鉛管から茶系の絵具をしぼると、地面の下塗りにかかった。すでに、30点近くの連作『下落合風景』Click!を仕上げていたが、下落合ではブラウン系とグリーン系の絵具を大量に消費する。パリ風景の絵具のそろえ方では、まったくダメなのだ。「また買(こ)うてこな、あかんわ」、残り少なくなった茶系の鉛管を次々としぼりながら、佐伯はいつもと違う50号キャンバスを前に、「足りるやろか」と思った。
 しばらくしてコートを見やると、白い運動着姿の人々はネット際に集まって座り、さすがに文化村のハイカラな住民らしく、おそらく東京製パンのサンドイッチと紅茶でランチにしている。いつの間にか、ポットやカップを手にした洋装の女性たちの姿が、コートの脇に増えていた。佐伯はたたんだ道具箱に腰かけると、“オンちゃん”(米子)が出しなに持たせてくれた握り飯を取り出して食べはじめた。とりあえず空が乾かなければ、あとの作業が進まない。
 近くの草むらで、秋の虫が鳴いている。コオロギだろうか、片手で草をかき分けたが見つからなかった。ネット際の人たちが、ときどき佐伯のほうを見やりながら、なにか話しているようだ。風はまだ吹いているが、午前中ほどではない。絵具を早く乾かすには、ちょうどよい風だった。絵具と飯粒がついた手を、佐伯はボロ布でぬぐうと立ち上がった。

 空がほどよく乾いたところで、さっそく建物にかかった。佐伯は最初から、第二文化村側のしゃれた西洋館など描くつもりはなかった。テニスコートの西側にある、文化村を外れた昔ながらの日本家屋を、画面のほぼ中央にすえる構図を考えていた。家のかたちをサッと縁どると、1階から2階へと順番に絵具を載せていく。下落合では、すでに何度も描き慣れた日本家屋だ。板壁や屋根の色、窓ガラスの質感を出すのに、もはやそれほど手間どらない。佐伯は30分ほどで画角に入る建物を描いてしまうと、またひと息ついた。次に、益満邸の敷地境界にある塀から、地面にかけてを仕上げる。目につく樹木の幹を、このときいっしょに描きこんだ。そして、あまり洗われたことのないパレットをグリーン系の絵具で満たすと、佐伯は一気に樹木や草の緑を載せはじめた。
 しばらくすると、テニスをしていた人々が興味ありげに、佐伯の周囲へと集まってきた。
 「こんなところが絵になるんですかねえ? どうせなら、こっち側を描けばいいのになぁ」
 佐伯の仕事ぶりをしばらく眺めたあと、ひとりが第二文化村に並ぶ大きな西洋館群を指さしながら言った。せっかく目白文化村までやってきながら、それに背を向けてなんの変哲もないありきたりな日本家屋と、田舎臭い風景を描くのが解せなかったのだ。佐伯は同じことを、パリの警察官にもさんざん言われている。汚らしい裏町の壁やみすぼらしい店先を描いていると、警官が近寄ってきて「もっとパリらしい、きれいな風景を描いてくれ」と再三にわたって言われた。
 「ええんです。・・・これで、ええんですわ、わしの絵ェは」
 聞き慣れない大阪弁とともに、かなりの変人だとでも思ったのか、人々はほどなく佐伯のイーゼルのまわりを離れると、すぐにゲームへもどった。佐伯は、それを潮に筆やナイフを次々と持ちかえると、電柱を描き入れ、遠い人物を描き、スクラッチでネットや草原を表現し、つづいてボールを追いかける手前の人々を加えた。もしテニスをする人々が、そのまま佐伯の仕事ぶりを見物しつづけていたとしたら、そのノンビリした口調とはまったく裏腹に、爆発的できわめてスピーディな描画の様子に驚愕したにちがいない。さらに、グリーン系の絵具を画面の随所に追加して、最後の仕上げにかかった。少し気になるところがあちこち残っているけれど、いつも通り、アトリエにもどってゆっくり画面を眺めながら加筆しようと考えている。時計を見ると、まだ3時にもならない時間だった。
 濡れたままのかさばるキャンバスを、身体から大きく離して下げた佐伯は、細心の注意を払いながら、朝きた道をゆっくりもどりはじめた。厚塗りの絵具がなにかに当たって擦れないよう、画面を内側に向けて慎重な足取りで運ぶ。途中、落合小学校の前では下校する子供たちが、おかしな恰好をして歩く佐伯のあとを、絵をのぞきながらゾロゾロとついてきた。「そや、明日はこの子供たちでも描いたろかいな」、そんなことを考えながらようやくアトリエへたどりついた。絵具をたっぷり含んだキャンバスは重く、佐伯の右腕はジーンとしびれている。
 
 「オンちゃん、いま帰ったで」
 佐伯は玄関の式台にそっとキャンバスを立てかけると、奥へ向かって言った。
 「あら、義兄さんお早い。姉さんとメンタイちゃんは、曾宮先生のところへ遊びに出かけてますわ」
 台所から走ってきたのは、義妹の池田愛子だった。ときどき、足の悪い米子に代わって、買い物などの手伝いにきてくれている。曾宮家の子供をまた少しあずかったので、曾宮一念Click!から高価な洋菓子をお礼にもらった。その返礼と、ヤチを遊ばせに諏訪谷Click!まで出かけたのだろう。
 「つい今しがた、八島さんの奥さまがおみえでしたけど、たいした用事じゃないからって」
 「さよか。・・・なんの用やろ?」
 「きょうは、どこをお描きになったの?」
 「うん、文化村のテニスコートや」
 「まあ、青空。義兄さんの作品にしては、めずらしいわね」
 「そやろか。・・・少しアトリエで仕事するさかい、茶ァたのんます」
 佐伯はそう言い残すと、玄関からそのまま右手のアトリエに入った。絵道具をドアのわきに置き、キャンバスをアトリエの大きなイーゼルに据えてみる。佐伯はそのままソファに寝そべると、描いたばかりの「テニス」をジッと眺めはじめた。30分以上もそうしていただろうか、お茶をサイドテーブルに置いていった愛子にも、佐伯は気づかない様子だった。
 アトリエが夕暮れて薄暗くなりかけたころ、佐伯は小机の引き出しから制作の覚え書きClick!を取り出して、鉛筆を舐めながら「50/第二十八/テニス/十一日」と記入した。自然色がうたい文句のマツダC電燈を点けると、絵具箱を開けて加筆用の色を選びはじめる。
 縁の下から、テニスコートの草むらで鳴いていたのと同じ虫の音が聞こえている。目白通りから乗合自動車の警笛がかすかに響いたかと思うと、玄関で米子とヤチの声がした。

■写真上:「テニス」(1926年10月11日/部分)に描かれた、当時の一般的な日本家屋。
■写真中上は、佐伯家の隣人だった下落合の交友会会長・青柳正作。落合尋常小学校につとめていた辰代夫人が、のちに「テニス」を寄贈することになる。残念ながら、辰代夫人の写真は見つけることができなかった。は、1928年(昭和3)にパリで描かれた、『裏町にて』(部分)の子供たち。「テニス」の翌日、10月12日に制作された「小学生」も、このような雰囲気で描かれていたのだろうか。山本發次郎コレクションの中のひとつだが、戦災で焼失したと思われる。
■写真中下:1926年(大正15)の10月11日(月)~15日(金)まで、1週間の制作スケジュール。
■写真下は、佐伯邸母屋の玄関。は、玄関から見たアトリエへの入口。(右手のドア)


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ChinchikoPapa

takagakiさん、いつもありがとうございます。
by ChinchikoPapa (2007-08-25 21:28) 

かもめ

 描きながらのオニギリは、絵の具と油の匂いがしたでしょうね。(笑)
 サンドイッチはハムかな。 からしバターつき?。 
 ちょっと山を歩いてきました。ぶ厚い樹林、暗い奥から真っ白に落ちてくる沢山の滝。はるかな高みは青とも紫ともつかない不思議な色。
 針葉樹とコケの匂いの中にいたせいか、都会は下水の匂いがします。
  ^^ ;
by かもめ (2007-08-26 14:57) 

ChinchikoPapa

かもめさん、コメントをありがとうございます。
きっと、手のひらからは絵具とテレピン油の匂いが、プンプンしていたんじゃないかと思います。サンドイッチは、近くの鶏舎で採れたタマゴだったかもしれませんね。(笑)
わたしも、この近辺の山ではなく、最近は出かけてないので少し深い山を歩いてみたいです。しばらく出かけてない丹沢あたりに、ちょっと惹かれます。
by ChinchikoPapa (2007-08-27 10:45) 

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