SSブログ

この『下落合風景』は「八島さん」ちの門。 [気になる下落合]

 

 佐伯祐三が残した『下落合風景』の「制作メモ」を見ると、9月28日の「八島さんの前通り」と同日に、「門」という作品を描いているのがわかる。10月23日の「浅川ヘイ」と「セメントの塀」の制作スタイルClick!にならえば、佐伯は「八島さんの前通り」のごくごく近くを描いていると思われる。
 1926年(大正15)9月28日(火)、前半に「八島さんの前通り」を描いた佐伯祐三は、残りの時間を「門」の制作にあてた。途中で遅めの昼食をとりに、至近の自宅兼アトリエへもどったのかもしれない。そして、再び「八島さんの前通り」へともどった彼は、昼食前とは異なり、今度は通りを南に向けてイーゼルを据え、「八島さん」ちの門を描きはじめた。もうひとつ、描画場所の特定がわからなかった2階屋と門を描いた作品が、おそらくそれに当たると思われる。
 この作品は戦災で焼けてしまったのか、あるいは個人のお宅に死蔵されているのか行方不明になっていて、現在はモノクロ写真(戦前に刷られた展覧会案内の絵葉書)でしか観ることができない。保存状態がよくないこの『下落合風景』写真を観察すると、「八島さんの前通り」(不動谷の尾根道)によく似た高低のない道が、奥へ向かってつづいているのがわかる。しかも、電柱が「八島さんの前通り」をちょうど逆方向から眺めた配置と、よく一致している。米子夫人による加筆を考慮したとしても、この風景は同じ道を描いた確率がきわめて高い。道の真ん中に、親子連れらしい人物が描かれているが、このふたりは手前に向かって歩いてきている。つまり、一連の「八島さん」作品とは逆の歩みで、佐伯が描く背後に商店が連なる目白通りがあることを暗示している。
 
 道の右手から正面にかけ、濃い樹木が生い茂っているのがうかがえ、手前左の2階建て住宅は他の作品に描かれた「八島さん」ちに近似している。おそらく、この家の尖がり立物(棟装飾)が載る屋根は、鮮やかな赤色をしていただろう。質の悪いモノクロ写真ではなく、実物の作品が観られないのが残念だ。
 八島邸の向かいには、北面の第三文化村の中へとつづく道があり、八島邸の向こう側つまり南側には、のちに聖母病院が建設される不動谷へと下りる坂道がある。この坂道を境に、幸運にも空襲で焼けなかった南へと連続する第三文化村が、尾根沿いに展開していた。わたしが学生時代から通った大好きな道だが、現在ではほとんどのお宅がリニューアルされてしまった。でも、かろうじて第三文化村の名残りをとどめたお屋敷も現存している。では、『下落合風景』の「門」を、落合町の空中写真Click!(1936年)へ挿入しよう。
 さて、いまのところわたしが入手できた『下落合風景』全18作品のうち、どうしても描画場所がわからないのは、下掲の1作品Click!のみとなった。このような建築は、当時の下落合の随所に建てられており、いまでも聖母坂下などで見ることができる。この絵に描かれた樹木の特異な描写から、わたしは「制作メモ」に残る10月13日の「風のある日」ではないかと想像している。あたかも強い風にあおられて、樹木が激しく揺れているような筆づかいをしている。
 
 ここまで、佐伯祐三の『下落合風景』がたどれたのだから、現存する作品やモノクロ写真すべての描画場所を特定してみたくなった。いままでご紹介した全18点の作品以外に、『下落合風景』をご存じの方がいたらお教えいただければと思う。米子夫人が存命中に、『落合新聞』の竹田助雄氏Click!が試みようとして果たせなかったテーマだ。竹田氏の時代とは異なり、いまではコンピュータやデータベース、拡大自在な空中写真データという強い味方もある。また、いままでどうして存在しなかったものか、『下落合風景』のみを集めた佐伯祐三「下落合風景画集」を出せたら、どんなにすばらしいだろう。もうひとつの、佐伯祐三の顔が浮かび上がるに違いない。美術館か出版社関係の方、ご教示いただければ幸いだ。
 描かれた下落合の現場へ、小さな佐伯祐三『下落合風景』プレートを建てたい・・・と、夢は際限なくどんどん拡がるけれど、美術館さえ存在せず、いつも「おカネがない」というオウム返ししかない新宿区のことだから、いくら言ってもムダだろう。アトリエ村とモンパルナスの文化活動に熱心な豊島区さん、目白地区と下落合地区とのアライアンスで、中村彝の「目白風景」も加えた「画家たちのスケッチ散歩コース」を作りませんか? 都内はおろか、日本じゅうから美術ファンが集まりますぜ。

■写真上は、1926年(大正15)9月28日に描かれたとみられる『下落合風景』の「門」。は、現在の同所。左手の交通鏡のあるあたりに、八島邸の門があった。
■写真中は、八島邸と佐伯アトリエ、そして第三文化村の位置関係。は、昔日の第三文化村の面影をよくとどめているお屋敷。つい最近、外壁をリフォームされたが、ベージュの壁の内側には大正期の壁が眠っているに違いない。
■写真下は、1926年10月13日「風のある日」と思われる『下落合風景』。まだ、場所の特定ができない唯一の作品。は、いまでも下落合に残る近似した意匠の家屋。


読んだ!(1)  コメント(1)  トラックバック(5) 
共通テーマ:アート

読んだ! 1

コメント 1

ChinchikoPapa

こちらへも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-09-03 14:21) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 5

トラックバックの受付は締め切りました