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佐伯祐三の「下落合風景」描画ポイント。 [気になる下落合]

 練馬区立美術館で開催された、「佐伯祐三-芸術家への道-」展で展示されていた「下落合風景」および類似作品の描画ポイントを、以前に特定を試みた作品も含め、もう一度まとめて整理してみよう。佐伯が暮らした当時の落合町下落合(1丁目~4丁目)は、現在に比べて2倍以上の広さがあったため、便宜的に現在の住所をあてはめ、それぞれ地図では「下落合地区」「中落合地区」「中落合/中井地区」と分けて掲載してみた。
 佐伯祐三が描いた「下落合風景」は、30数点も存在したといわれているが、そのうちの3分の1、わずか12点の場所特定にすぎない。しかも、戦災で焼けてしまった作品も多かったとみられ、モノクロでご紹介した絵は展覧会案内の絵葉書のみで、現存が確認できない所在不明の作品だと思われる。500点以上あったとみられる佐伯作品は、戦後は200~300点ほどしか確認されていないと言われている。
 さて、描画ポイントを鳥瞰すると、やはり彼のアトリエ周辺が多いことに気づく。でも、下落合の聖母坂から東、つまり近衛家や相馬家、大嶌家など華族屋敷が連なっていた界隈や、目白文化村の第一文化村や第二文化村の中など、画題になりそうな“豪華”な風景が拡がっていた住宅街は、意外にも描かれていないようだ。すべての「下落合風景」を観ていない以上、断定的なことは言えないのだが、佐伯はいわゆる“絵になる風景”のような場所ではなく、何気ない家並みや道筋を好んで描いていたフシがある。
■下落合地区


■中落合地区



■中落合/中井地区



 なお、以下の5作品は、場所の特定ができないままだ。1936年(昭和11)現在の空中写真を詳細にトレースしても、それらしい場所が発見できないところをみると、佐伯が描いた1926年(昭和元)から10年間で、大きく変貌してしまった家並みや道筋の可能性が高い。
  
 
 これらのポイントを、佐伯が描いてから数年後の空中写真に重ねてみるClick!と、彼がキャンバスとイーゼルを手に、下落合の東から西へ画題を求めて広く散策していたのがわかる。

■写真:木の陰からのぞく佐伯祐三(右)と、対称的な雰囲気の米子夫人(左)。


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