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なんにも見えない。 [気になるエトセトラ]

 このわけのわからない横長の写真、実は、愛宕山の山頂から撮った「パノラマ」だ。(パノラマになってませんが・・・) 愛宕山は標高26mの小山だが、頂上にある愛宕神社から見わたすと、品川から台場、芝、数寄屋橋、銀座、築地、浜町、佃島、日本橋…と、東京の町が一望できたはずなのだ。ところが、境内の木が大きくなりすぎて展望がきかなくなってしまった。それに、これらの木がなくても周囲は高層ビルばかりで、とうの昔にパノラマなんてなくなってしまった。
 それでも、60年代ぐらいまでは、かなり眺めがよかったはずなのだ。愛宕隧道の上あたりから眺めれば、まだ増上寺や浜御殿の公園は見えていた。築地の本願寺まで、見えていたかどうかは憶えてないが、少なくとも早稲田の箱根山(標高45m)とともに、愛宕山は東京のパノラマを見るのに最適な場所だった。ちなみに、東京23区内でもっとも高い山は愛宕山、あるいは箱根山と書かれているガイドブックやプレートをよく見かけるが、いずれも誤りだ。23区でもっとも標高が高い山は、練馬区にある54mの川北山(都立石神井高校)。名前がしめすとおり、下落合と同様に石神井川の北側に位置する山で、その南斜面は古墳だらけの立地となっている。
 幕末、横浜へやってきたイギリス人の写真家に、ベアトという人がいた。鶴見川近くの生麦村で、イギリス人が殺傷される事件が起きたばかりのころだから、江戸まで旅するのはとてもおっかなかったと思う。でも、彼は江戸の町をどうしてもカメラに収めたくて、あえて危険をおかしてまで江戸へやってきた。ベアトのおかげで、わたしたちはいまでも江戸の姿を、すぐそこにある町並みのような感覚でリアルに眺めることができる。
 ベアトは、幕府の護衛つきで江戸の各地を歩きまわりながら、数多くの貴重な写真を残した。中でも、愛宕山からの大江戸パノラマが気に入ったらしく、特に時間をかけながらていねいに撮影している。おそらく、1863年(文久3)あたりの大江戸の眺めだと思われるが、いまの山頂からは想像もつかない、すばらしい風景が拡がっている。では、150年前の大江戸の大パノラマへタイムスリップClick!してみよう。

■写真:愛宕神社の男坂上より、東京湾方面へ向けて150度ぐらいの画角で撮影。


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iGa

僕も、この愛宕山から撮影した写真が掲載されている本があった筈なのに見つからない。同じものだったら、この本にでている麻布の古川橋辺りの写真がものすごく田舎みたいで面白いですね。
東京都教育委員会の歴史の道調査報告書「浜街道」(八王子と横浜間)にベアトが撮影した原町田の写真が掲載されていますが、これがまるで黒沢明の用心棒か何かの映画セットを思わせます。(逆に黒沢明が参考にしたのでしょうが、)
横浜開港資料館の発行している「F.ベアト幕末日本写真集」(1987)も面白そうです。
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/bg.htm
by iGa (2005-01-07 17:48) 

ChinchikoPapa

この写真は、江戸東京博物館にも、大きく引き伸ばされて展示されていますね。麻布の古川橋や三田の薩摩藩屋敷など、ほんとうに鄙びてうららかな、のんびりできそうな風情です。おっしゃるとおり、たとえば黒沢監督の『赤ひげ』に出てくる江戸の町屋は、そのままベアトの街角を写したような印象を憶えます。ベアトの視点というのは、確かに記念写真的なものもありますけれど、どこかスナップ的な緊張感とリアリティがあって、しても惹かれますね。
横浜開港資料館の本のご紹介、ありがとうございました。この手の写真集は、けっこういい価格なのですが、つい楽しくて買ってしまいます。
by ChinchikoPapa (2005-01-07 20:30) 

平松孝信

すいません、コメントではありません。質問です。
なんにも見えない。 [気になるエトセトラ] の中で、『23区でもっとも標高が高い山は、練馬区にある54mの川北山(都立石神井高校)。名前がしめすとおり、下落合と同様に石神井川の北側に位置する山で、その南斜面は古墳だらけの立地となっている。』とありますが、その川北山とは、どこにあるかご教示ください。また、国土地理院の地図にありますか。

コメント欄に質問して申し訳ありません。あなたのメールアドレスがあればそちらに書いたのですが。
 最高峰の山を征服したいと思っています。なにとぞよろしくお願いします。
by 平松孝信 (2009-08-03 20:00) 

ChinchikoPapa

平松孝信さん、コメント欄へ質問をありがとうございます。
練馬区を流れる、石神井川の河岸段丘のひとつだと思われますが、現在の石神井高校あたり一体のエリアを、その昔「川北山」と呼んでいたようです。確かに、東京23区内ではもっとも高い標高の「山」状地形となっているようです。そして、いまでは旧地名の「川北山」は消滅しています。
また、箱根山や愛宕山のように、木々が生えた明らかに山状のこんもりとした形状になって残っているわけではなく、目白崖線の御留山や権兵衛山などと同様に、現在では山名の消滅とともに住宅街の中に埋もれてしまっていますので、「ここが山頂」というような地点もわかりにくくなっています。おそらく、もっとも標高の高い位置には、国土地理院がなんらかの標識を埋め込んでいると思うのですが、どこかのお宅の庭先にあるのかもしれません。
したがって、国土地理院の地図類には山名も残ってはおらず、いまやすべて密集した住宅街の斜線表現になっているのではないかと思います。
by ChinchikoPapa (2009-08-03 23:58) 

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