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hideミュージアムへ。 [日々の出来事]

hideミュージアムが閉館になる。とても残念なことだけれど「あの場所に行こう」そんな仲間が8年経った今でも残っていてくれたこと。それは私にとって財産だと思う。LIVEで全国をまわっていた時は、なるべく安いビジネスホテルにコンビニ弁当。それが暗黙の了解になっていたけれど、何せ久々の再会。滅多に集まる機会もないのだから、ちょっとくらい贅沢したっていいんじゃない?そしてレディースプラン3名様の旅は幕をあけたのでした。横浜駅で待ち合わせ、私達が真っ先に向かったのはhideちゃんが眠る三浦海岸。セミの声がだけが響き渡る静かな、とても落ち着く場所。なかなかここに来ることができなかったOはお墓の前で手をあわせて静かに泣いていた。マイペースなB、彼女も色々な思いを駆け巡らせていたのだと思う。ある日突然旅立っていったhideちゃん。残業で帰宅した深夜、彼の訃報を聞き泣き崩れた日を思い出した。そして大勢の仲間達と参列した告別式。倒れた友人を介抱していた場所から棺を運び出すメンバーの姿がすぐそこにあった。いつも手の届かない場所にいた彼等が、皮肉にもこんな時に目の前にいるなんて。泣いて泣いて、立ち直れない日々は、あの時から始まったのだと思う。

霊園からホテルに直行した私達は、その部屋の広さとオーシャンビューに感激&大はしゃぎ(笑)そして私とBはプールと温泉へ。私、高校以来プールなんて入ったことがなかったんですよ。レンタルのスクール水着とキャップを借り、歩行者優先コースをシルバーのお二人と共に、子供のようにはしゃいできました。水の中がこんなに気持ちがいいなんて。ちょっぴり贅沢の旅1日目を充分満喫しました。

そして2日目。いよいよhideミュージアム。ABと合流し、A(ワタシ)B・O・AB型と見事に揃った4人で現地へ向かう。私はこれで3度目の訪問。でも今回は今までとは違った気持ちであの場所へ向かいました。彼が亡くなってからファンになった人も多いけれど、私はずっとボーカルが好きで、hideちゃんを一番に見ていたことがなかった。いつもカーブばかり投げてきて、本意がいまいち掴めないと思っていた彼。でも実はとても優しい人で、ファン想いで、バンドが大好きで、どうして皆に愛され続けているのかが今になってようやく分かったから。ちょっと遅過ぎたけれど。だからもう2度と目にすることができない貴重な彼の歴史や遺品の数々を、しっかりと目に焼き付けてこようと決めていました。時間がいくらあっても足りない。年表を見ながら、Oとはじめて出会ったのはこの日のLIVEだったね。せっかくいい席がとれたのに、ここもここも中止になっちゃったんだっけね…なんて思い出話をしながら、各自が思い思いに施設をまわる。赤ちゃんを連れた若い夫婦や家族連れ、男の子の集団が目立つ館内。老若男女様々な層から受け入れられていることに何だか嬉しくなりました。カフェではXのフィルムギグを見ながら記念のカクテルを注文。懐かしい映像とhideがいっぱいの場所。何事にも一生懸命だったあの頃を思い出して思わず涙がこみあげてきました。


目玉はお持ち帰りができます。私だけノンアルコールを注文しました。

2日目の宿は慣れ親しんだ安ビジネス(笑)狭い部屋の中でお互いのパートナーと今の生活について、おばちゃんトークで盛りあがりました。「ガス代、電気代いくら位?」「家賃は?食費は~?」云々。今回集まった3人に共通するのが「貧乏、子無しの30代」皆歳をとりましたねえ。。。でも気持ちだけは若いままなのよね~。

3日目は秋葉原へ。その前に夜猫さんのお家へお邪魔し、我が家より里子に行ったみちる君に再会。でもみっちー君そっ気ないのよねえ。かまいたがるおばちゃんにかなり迷惑そうでした。。。あんなちっちゃかったくせにぃ~毎日泣きながらあんたを育てたのにぃ~なんて未練たらたら、うっとおしいおばちゃんを尻目に、皆と平等、仲良く接するホストみっちー。達者に暮らせ~。そこに接待役を買って出てくれたのが夜猫さんちのニューフェイスむっちゃんママとめぐちん。むっちゃんは恐らく飼い猫だったらしく、去年の冬夜猫さんが見かねてお家へいれた子。むっちゃんはその時既に身ごもっていました。その子供がめぐちん。クタンクタンして初対面の私達に全く臆することなく、全身をあずけてくれる超ド級の懐き猫でした。ここまで人懐っこいニャンに逢ったのは生まれてはじめて。衝撃的でした。突然の訪問にも関わらずお手製のお昼とデザートをご馳走してくれ、お土産まで持たせてくれた夜猫さん。「え~チカさんLIVE時代の友達とご一緒ってあの恰好でくるの~?私分かるかしら~?」なんてお茶目な夜猫さん。いやいやかなり前から普通の人ですよ(笑)いつもいつも本当にお世話になっております。ありがとう。。。夜猫さんに見送られ、秋葉原へと繰り出した後は、ワタクシパソコンオタクの血が騒ぎ。一人別行動でパーツ店、電化店を転々とし、複合機を注文してきました。欲しい物だらけで困ってしまいました。

Xが好き。それだけで何百人もの出会いがあって、それと同じくらい沢山の別れがあったなあ。
Xに逢える。それだけで幸せでLIVEが決まればひたすらそれに向かって頑張れた。私の青春=Xで、彼等以上に好きになれてのめり込める存在には、多分もう2度と出逢えないと思う。現役の頃、よく皆で言っていたこと。「しわしわのお婆ちゃんになったら、コタツにみかんで孫にXの話をしよう」そんな日が訪れることを楽しみに、いい歳のとり方をしていけたらいいな。


左→チカ&ユキコ(友人B)・右→チカ&クミ(友人O)
皆、地毛なんですよ。重力に逆らっていられた若かりし頃です。最近は重力にも圧力にも素直です。
私が率いていたチームその名も「DREAM of X」だ~(爆)


こんなこともありました。ここぞとばかりに熱い(笑)想いをしゃべりまくっていた記憶が…


後列左からクミ、チカ、前列左友人AB
若かりし頃。今では主婦や子持ちがぞろぞろ…。この時の記憶を封印している人、未だに抱えて生きてる私達、人生色々。


犬猫と金魚のHPです。お暇がありましたらこちらにも遊びにいらしてください。
伝えたいことが沢山沢山詰まっています。


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ちゃちゃのいない夏。 [犬猫日記]

ずっと書けないままだった日記。パソコンに触れることができなかった毎日。何事もなかったかのように短調に過ぎていく日常生活。ちゃちゃを亡くして3ヶ月。私はあの日からまだ立ち直れないままでいます。

最上級の喜び表現「へお~ん!」美味しいゴハンが欲しい時の早業「お手お代り伏せセット」頭をねじ込んできてひっくり返る甘え技「ごろん」愛情表現の舐め技「ポクポク」ちゃちゃのことを考えては泣き笑い。逢いたくて逢いたくて、でももう2度と逢えない。

お盆の時期、この辺りでは迎え火を焚く習慣が残っています。ばるもえと歩きながら、あちこちでゆらゆらと燃える火を見つめながら、ちゃちゃも帰って来たのかな…元気にしてるかな…そんな気持ちになりました。あの子と同じ病気と闘ってきたNさんの愛犬Mちゃん。Mちゃんが亡くなったという知らせを受けた時、また涙が止まらなくなりました。Nさんは情報が乏しい犬の悪性リンパ腫について、ご自分で本当に沢山のことを調べられ同じ病気で苦しんでいる飼い主さん、愛犬の為になればと、こと細かくBLOGに書き記してくださっていました。Nさんの葛藤だったり苦悩だったりの様々な想い。一言一言がとても重たくて、あの時の自分と重なって、ひたすら泣きました。
最期は奥様に抱かれ眠るように逝ったMちゃん。これから寂しがりやのちゃちゃばあばと仲良くしてくれるよね。いっぱい遊んであげてください。よく頑張ったね。お父さんが一生懸命してくれたこと、Mちゃんが一番よく分かっていたよね。お父さんのお家の子で、本当に本当に幸せだったね。。。

我が家に残された2ワン2ニャン。

バルト-です。いっつもこんな恰好で寝そべってますが、こんな犬っぽい表情が写真に撮れたのははじめてです(笑)あれからばるは落ち着きを取り戻し、荒れることもなくなりました。猫達にも無関心な元のばるに戻り、攻撃することはありません。


もえです。定番のムッキーも相変わらずですが、「お散歩行く?」って聞いたら、こんな顔してくれました。もえちゃんは少し進歩。とまどいながらもゴロンを覚えつつあります。食器の中に手を突っ込んでも硬直して威嚇するようなことがなくなりました。


みっけです。こんなにちっこい猫もどきでしたが、立派な化け三毛猫に成長しております。みっけは相変わらず。最近ごっちん攻撃の雨をもえに降らせています。しっぽちゅっぱ&腹揉めタイムも相変わらずです。


カイです。テーブルの上がお気に入りですが、みっけ姉さんに構ってもらえずふて寝です。カイは家の中にいる時間が増え、ゴロゴロタイムも復活しました。でも獣医さんに「肥満」と診断され、ゴハンが少し足りないのが辛いところのようです。おねだりみっけ姉さんと違い、大人しくじーっとひたすら食器の前で待つけなげな姿についつい負けそうになります。

しばらくの間、ばるもえと歩いていると「あれ?黒いのは?」「でっかいのはどうした?」と声をかけてくれる人が何人かいました。犬達のことを否定的に見ている人ばかりではないんだ。ちゃちゃのことを色んな人が知って、気にかけていてくれたんだ。そう思いまた嬉し泣きでした。

最近はHPの更新もせず、皆様のところへお邪魔する元気もなく、時間ばかりが過ぎてしまいましたが、29、30、31日の3日間、横須賀でリフレッシュしてきます。私の青春だったX。そしてある日突然逝ってしまったhideちゃん。彼の故郷である横須賀にhideミュージアムが建設されたのですが、残念なことに閉館が決まり、昔の仲間とお墓参りを兼ねてミュージアムへ行くことになりました。皆地方もバラバラで最近はなかなか集まる機会もなく、久々の再会です。ツアーで全国を一緒にまわって、抱き合って笑い、泣いた大切な仲間たち。外見はすっかりおとなしくなりましたが(笑)暑い季節に若くて熱かった自分達を思い出し、語り合ってこようと思います。


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あれから…。 [犬猫日記]

ちゃちゃが亡くなってから今日でちょうど1ヵ月。「へお~ん」と聞こえる最大級の歓喜の声はもう聞けない。人と人の間に頭から突っ込み、ゴロンとひっくり返る姿はもうどこにもない。ポクポク犬と呼ばれていたのは、ポクポクと木魚のような音を立てて皆を舐めまくるから。

「あいつってさ、これこれこうだったよねー。ほんっとに騒がしい奴だったよなあ…。」そんな風に笑って思い出話をしていると、どうしようもない寂しさがこみ上げてきます。ちゃちゃのことを考えると、やっぱりまだ涙が出てきます。ひとつにまとまっていたはずの家族。それがちゃちゃという太いパイプを失ってから、どうもしっくりいかなくなってしまったような気がします。

バルト-→おっとりさんがぐったりさんに。しょぼくれているか、誰かに八つ当たり。もえと喧嘩(恐らくばるが仕掛けた?)で逆襲に遭い、足に穴が開き病院へ。普通に歩いていたみっけに突然襲いかかり振りまわす。カイを追い詰め温厚過ぎる程の奴を唸らす。

もえ→ストッパーがいなくなり、暴走モードが止まらない。

みっけ→大好きなばるに攻撃され背中に軽傷を負う。多少警戒しているものの、世渡り上手な性格ゆえ根にはもたないらしい。相変わらず堂々と家中を闊歩し、散歩から帰れば全員にごっちん(頭突きスリスリ)でお出迎え。

カイ→いつも犬達の中にどっかり腰をおろしていたのに、部屋の中にいる時間が激減。庭と洗濯機の猫ベッドにいることが多くなった。庭では相変わらずのゴロゴロ猫。

どうやらちゃちゃは我が家のムードメーカーだったようです。猫にも犬にも、そして勿論人にも家族皆にとても優しい子でした。ばるをなだめるのも、もえを叱るのも、猫達が嫌がる程のお節介をやくのも、それはいつもちゃちゃの役目でした。ちゃちゃが担ってくれていた役割がどんなに大事なものだったのか、天性の前向きさと明るさで家族を支えていてくれていたのだということを、痛感しています。自分達がしっかりしなきゃいけないのに、何でもすっかりちゃちゃ任せだったんだなあ…と。

ちゃちゃが元気ではしゃぎまわっていた頃は、あまりのハイテンションに、それが煩わしいと感じることがよくありました。闘病中は頻発する通院、体調のアップダウン、家を空けることの罪悪感などが積み重なり、それを重圧だと感じてしまう自分がいました。ちゃちゃが逝けば自分が楽になる。そんな風に思ってしまう自分がもの凄く嫌な奴に思えて、でもそんな気持ちをどこかに抱いていたのは確かです。

でも、今になってはっきり感じることがあります。言い訳に聞こえてしまうかもしれないけれど。「ただ可愛い。何をしても可愛い。嫌いな部分なんて一つもない。」私はちゃちゃだけでなく、うちの子達皆に対してそんな風には思ってないんです。「コイツめ…あんたのそういうところが苦手なのよ…いい加減にしてよね…」→こっちの方が正解です。

でもそれが、家族ってものじゃないのかな?って思うんですよ。自分の身内であれば何をしても許されるもの?ちょっと違うと思うんですよね。時には「客観的に自分の家族を見る目」というものも必要なのではないかと。

それを指摘し合ったり、時には喧嘩してお互い妥協しあいながら、嫌いな部分以上に好きな部分があり、尊重し合える間柄。それが家族というものではないかと。随分長い言い訳タイムになってしまいましたが、いっちゃん、バルトー、もえ、みっけ、カイ。彼等は私の大事な家族。そしてちゃちゃは私の大事な家族であり、人生(?)の大先輩でした。

もうしばらくはちゃちゃとの思い出にどっぷり浸かって涙の日々が続くかもしれません。無気力モードを脱出できたら、ぼちぼち動き出そうと思っております。。。また新しい形で家族をまとめていかないと。

ちゃちゃ…逢いたいよ…



















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ちゃちゃありがとう。さようなら。 [犬猫日記]

2005年5月17日、午前8時20分。ちゃちゃは逝きました。


これが3ワンのラストショットになりました。亡くなる数時間前、16日の23時頃の様子です。
起き上がり、ばるともえの近くに横たわりました。そんなちゃちゃをばるはずっと見ていました。もえはいつものようにそっぽを向きながらも、その場を動こうとはしませんでした。

16日午前4時、仕事の支度をしながらパンをかじっていると、起きてきてしっぽをふりふり「ちょーだい!」をしてきました。最近は朝起きてくることが少なかったので、調子がいいんだな、なんて嬉しくなりました。それっと放ってやるとパクっとゲット。そして一番奥の部屋へ行き、横たわりました。それを見届けてから、私は家を出ました。仕事を終えて帰宅したのは11時。いつもならワンワン!と出迎えてくれるちゃちゃの声が聞こえない。すると朝出て行った時と同じ場所でしっぽを少しだけふって顔をあげてくれました。ちゃちゃ、おやつ食べよう!その言葉を聞けば、立ちあがってついてくるかもしれない、そう思いました。でも、ちゃちゃにはもう、立ちが上がる力は残っていないようでした。

病院へ連れて行こうか、先生に来てもらおうか、今何をしてやればいいのか、色々なことを考えました。薬が飲めないのならば、注射で投薬してもらえば…点滴をしてもらえば…何か手があるかもしれない。もう一度ちゃちゃとゆっくりでもいいから外を歩きたい。もう一度皆で浜へ行こうよ。そんな気持ちが溢れてきました。でも、もう、限界が近づいているのは充分すぎる程分かっていたこと。焦ってあれこれと延命にこだわることも、人工的に呼吸を止めることも、どちらもちゃちゃが望んでいることではないような気がしました。

横たわり呼吸が早くなってきたのが夕方頃。お水を口元に持っていくと、それだけは口にしました。食べるものは何も受け付けません。傍にいると、私から少しでも離れようとします。究極の甘えん坊だから、いつでもどんな時でもべったり貼りついてくるのがちゃちゃでした。今の自分をよほど見せたくなかったのだと思います。あまり構い過ぎるのは逆に酷なのかもしれない。そう思い、視界に入れながらも、私は一番手前の部屋から一番奥の部屋にいるちゃちゃを見守ることにしました。

もえとばるを散歩に連れ出したのが19時30分。ちゃちゃ、ちょっとだけ行ってくるからね。そう言い残し、30分だけ家を空けました。帰ってくるとちゃちゃが部屋にいません。庭の一番部屋から遠い場所、裏口の陰に隠れるように横たわっていました。そして前日喜んで、いっぱい食べたゴハンやおやつが2ヶ所に吐いてありました。たった30分の間に、自力で庭へ出て吐いたのです。私達が傍にいたから、ずっと我慢していたんですね。きっと私達の為に、何ともないような顔をして迎えてくれようとしたのだと思いました。そしてそこで動けなくなった。コンクリートは冷たいし、夜はまだ冷えます。体温がどんどん奪われていくのが心配で、ちゃちゃを抱き部屋に連れて帰りました。その時、ちゃちゃは小さな声を出しました。今思えば、辞めて、放っておいてと言っていたのかもしれません。

20時半過ぎ、犬仲間のビッツ(びっちゃん)のお母さんが訪ねてきました。ちゃちゃを心配して、おやつやゴハンを沢山抱えて来てくれたのです。いっちゃんは仕事仕事と家にいてくれません。一人で不安だった私には、涙が出る程嬉しく、心強いことでした。びっちゃんのお母さんが「ちゃちゃー」と呼ぶと、もう立てないはずのちゃちゃが、奥の部屋から歩いてきたのです。浜へ行く途中にあるびっちゃんのお家では、お店をやっています。そこでびっちゃんと遊んで、お母さんからおやつをもらってルンルン気分で浜に行く。それがちゃちゃの一番大好きなお散歩コースでした。「ちゃちゃー、頑張ってよ。あんた来ないとびっちゃんが寂しがるじゃない。お母さんいっぱいちゃちゃの好きなもの持ってきたからね。ちゃちゃー、ね、ちゃちゃ。」びっちゃんのお母さんがちゃちゃに一生懸命話しかけてくれました。ちゃちゃも本当に嬉しかったんだと思います。ちゃちゃはどこで出会ってもびっちゃんのお母さんを見ると大喜びで飛びついて、目をキラキラさせてたから。そしてそんなお母さんの期待に応えられない自分が辛かったのだと思います。また、よろよろと奥の部屋で戻っていきました。

時間は刻々と過ぎていきました。ようやくいっちゃんが帰ってきたのは日付がまわった夜中の1時半頃。ちゃちゃを見るのが辛いようで、少し酔って帰ってきました。するとまた外へ出ようとするちゃちゃ。今度は土間でうずくまりました。いっちゃんはボロボロ涙を流しながら言いました。「もう目閉じりゃいいじゃん。寝りゃいいじゃん。目がうつろなのに、何で目開けてんだよ…」そう言いながらその場で眠ってしまいました。もうすぐ4時。仕事の時間が迫り、どうしよう、どうしようと悩みました。荷物を現場へ持っていくのは私しかいません。6時半になれば、現場にもう一人出勤してきます。散々迷って、自分の車で荷物を運び、準備をしてから帰ってこようと思いました。ちゃちゃを毛布の上に寝かせ、いつもより早く家を出ました。別の会社になりますが、同じ現場に前の日記に書いたSさんも私と同じ時間に出勤してきます。Sさんならば絶対に私の気持ちを分かってくれると思ったから、Sさんに伝言を頼み、少しでも早く帰ってこようと。私と同じ会社の仕事の先輩は、自分の犬を保健所へ連れて行った人。だから、きっとたかが犬ごときで…そう言われると思いました。だから余計に顔を見たくなかった。そしてSさんはやっぱり分かってくれた。「今すぐ帰んな!早く!」
その言葉に後押しされて、現場を飛び出し、家に着いたのが6時過ぎでした。すると漁に出掛けたはずのいっちゃんが布団で寝ている。布団の横には血のついたちゃちゃの毛布が。「あんた何してんの!?ちゃちゃは!?」怒鳴り散らす私に「仕事休んだ…でも俺はあいつを見れないよ…」布団をかぶった中からくぐもった声が聞こえました。彼は漁師になって10年余り、1度も仕事を休んだことがありません。まさか家にいるとは思ってもみませんでした。

ちゃちゃは土間を出てすぐ、庭の隅っこに横たわっていました。鼻には乾いた血がついていました。部屋の中に入れたのに…また出て行ったんだ…。もうとても歩ける体じゃないのに。ちゃちゃってね、家の中が大好きだったんです。掃除機かける時とか、ちょっとでも庭に出されると入れてよ~入れてよ~ってキュンキュン鳴いて。それが力を振り絞って外に出ていくということは、自分の死期を悟り一人で死なせて欲しいと願っているように見えました。傍で体を撫でて声をかけると目だけがきょろきょろ動きます。そしてまだ立ちあがろうとします。ちゃちゃに申し訳なくて、毛布をかけて私は傍を離れました。庭が見える奥の部屋から見守ること約1時間。呼吸の度に持ちあがっていた毛布の動きがどんどん速くなってきました。もう、それ以上離れて見ているのは我慢できなくて、ちゃちゃの傍に駆け寄りました。目が宙をさまよっています。これが最後だ。生きているちゃちゃの最後の姿だ。

「ちゃっちゃいい子。ちゃっちゃ大好きよ。ちゃっちゃもういいよ。ねんねしていいよ。」体をさすり、声をかけながら、呼吸が止まって欲しい。お願いだからもう止めてあげて、心の中で叫んでいました。小刻みに痙攣が始まり、しばらくそれが続きました。突然ちゃちゃの体が大きく反り、一瞬止まりました。そして胃液を吐き、それが流れ出すと共に、目から光が消えました。反りあがっていた頭が、ゆっくりと落ちて、そしてちゃちゃは動かなくなりました。

ちゃちゃの最期を見届けたこと。それができて私は本当に良かったと思っています。ちゃちゃはそれを望んではいなかったかもしれないけれど、この子の最期を看取ることが私の義務であり責任であると思っていました。私が帰ってくるまで、ちゃちゃは待っていてくれたのかもしれません。安楽死という選択史を残したまま、ちゃちゃ自身の力で最期を迎えさせてやれたことも、ちゃちゃが大好きだった家族皆が揃った中で、この家で逝かせてあげられたことも、本当に良かった。普段は後悔ばかりのマイナス思考な自分が、全然後悔していないと心から思えるんです。不思議なくらい。

まだ温かいちゃちゃをいっちゃんと一緒に抱えて、部屋に入れてあげました。最期の瞬間、大声でいっちゃんを呼びましたが、いっちゃんは部屋から出てきませんでした。聞こえなかったと彼は言っていたけれど、どうしてもそれを見届けることができなかったのでしょう。息絶えたちゃちゃを見て言いました。「ちゃちゃ、ようやく楽になったな。良かったなあ」と。そうだね、ちゃちゃ。いっちゃんの気持ちはちゃちゃが一番よく分かっていたよね。だから一人で逝こうとしたんだよね。。。

ちゃちゃは17日の14時に、お骨になって帰ってきました。体が冷たくなり変わっていく前に、まだぬくもりが残っているうちに、いっちゃんと一緒に連れて行きました。ちゃちゃが骨になったのは、ちゃちゃが家に来る前に、ずっと暮らしていた町のお寺です。そこからは海と家が立ち並ぶ町並みを一望することができ、その町で一番景色のいい場所なのだそうです。ちゃちゃの骨はとても綺麗でした。住職の方が言いました。「病院で薬漬けになった子は、こんな綺麗な骨にはならないんですよ。薬が残ってもっと緑色になるから。抗生物質を打ちまくるところだからね…」と。それを聞いて、抗癌治療を選択しなくて良かったと思いました。最後の胸のつかえがすーっと取れていきました。

ちゃちゃが駆けまわらない、はしゃがない家の中はとても静かです。ばるともえだけのお出迎えは本当に静かです。寂しくて悲しくて、どうしようもない気持ちになります。ちゃちゃがいないことにまだ気持ちが慣れません。たった3年と10ヶ月でしたが、ちゃちゃの存在感、そしてあの子が残してくれたものはあまりにも沢山あり過ぎて、本当に10年以上連れ添ったような錯覚に陥ります。いっちゃんが言いました。「俺、死ぬの怖くなくなったな。だってちゃちゃが待っててくれるんだもん。あんまりさ、泣いてるとばるともえが悲しむよ」酔ってちゃちゃにすがって泣いていたいっちゃん。ぼーっとしている私を置いてばるともえを散歩に連れて行ってくれたいっちゃん。全然平気、そんな風を装いながらも、心の中で泣いている気持ちがしみじみと伝わってきます。最初にちゃちゃを見た時、「え?これ?勘弁してよ…俺はばるしか面倒みんぞ。知らんでな!」と言いきったくせに、次第にちゃちゃのとりこになっていったんだっけ。。。

ちゃちゃ、あなたは私達のかけがえのないなにものにも変えがたい家族でした。あなたのことが本当に本当に大好きでした。よく頑張ったね。お疲れ様。ゆっくり、ゆっくり眠ってください。
ちゃちゃ、ありがとう。ちゃっちゃ、大好きよ!!!!だから、もう少しだけあなたを想って泣くのを許してください。

mayumiさんからちゃちゃにお花が届きました。こんな風にちゃちゃのことを想って良くしていただいたことに、心から感謝します。そして沢山の方々が優しいメッセージを寄せてくださり、あの子は本当に幸せものです。ありがとうございました。


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天国への道。 [犬猫日記]

ちゃちゃの「私だけをかまって病」が久々に発症したのが5月10日頃。
もえを押しのけてずずずいっと割りこんできた。「ゴハン食べる?」「ワン!ワウ~ウ♪」
こんな日常が一瞬だけ戻ってきて、とても懐かしい気がした。
ここしばらくの間、アップダウンを繰り返していたちゃちゃ。
11日は調子が良かったので、夜の散歩はばるもえと一緒に出掛けた。
そして12日にガクっとダウンした。今までの中で一番大きな波だった。
一番最初に見つけた下腹部の癌は左側が昔の携帯電話くらいに大きくなり臓器を圧迫。
血流が悪くなった左足は、右足の倍くらい膨れ上がり、しびれているようだ。

13日。手術後の経過も順調で遅れていた予防接種を受けるもえと共に病院へ。
身軽だったちゃちゃが車にも自力で乗れない。よろよろとしっぽを垂れたまま。
こんな状態で病院へ連れて行くことにも気がひけた。それでもまだ先生に診てもらえば何とか…。
そんな想いで連れて行った。そして遂に出た「安楽死」という言葉。
先生はなるべくその言葉を避けようと遠まわしに説明をしてくれる。
私が先に「安楽死ということですか?」と、先生の説明を遮った。
今まで、その選択史を絶対に口にしなかったのは、飼い主さんに安易に逃げて欲しくなかったからだと先生は言った。

今までに先生は何度も何度も言ってくれた。
「本当によくみているから。この子とイトウさんの間には信頼関係ができているから」と。
色々な飼い主さんがいて、中には癌だと診断した時点で「それじゃあ今から保健所へ行くから」
そういう人もいるのだそうだ。それに比べたら全然この子は幸せ。だから無理をさせたのかとか
自分を責める必要は絶対にない。結論を人に委ねてしまうべきではない。
どうしてやるのが一番いいのか、それは家族が決めるのが一番の方法。
最初にこうすると決めたからと言って、それを押し通す必要もない。
その時々で状況は刻々と変化するのだから、その時に一番の方法を選べばいい。

先生が繰り返し言ってくれたそれらの言葉は、いつも私の支えだった。
ちょうどその日、待合室でビーグルを連れた中年の男性と出会った。
その子は予防接種で一年か二年に一度病院へ来るらしい。
そしてその飼い主の男性は待合室に顔を出した先生に色々なことを話していた。
「コイツは引っ張らないと気が済まないのかねえ?引っ張るもんだと思ってるんだろ?
いつもこうやって殴って怒ってやるんだけどさあ」
そう言いながら頭を何度も引っ叩いて、リードを力いっぱい引っ張って犬を引きずりまわす。
大きな声で名前を呼び、コラ!バカ!と頭をガツガツ殴る。見ていられなかった。
先生はそれを軽く受け流し、苦笑いをしながら再び診察室へ戻って行った。

ああ…こういう光景を幾度なく見ているんだな…。例え自分が助けてやりたい、何とかしてやりたい
と思っても、重病だったり、お金がかかると分かった途端に保健所へ連れて行かれる子を沢山、
沢山見てきたんだろうな…。
間違った接し方を辞めようとしない、それを言ったところで話にならないことも沢山経験してるんだ。
そう思った時、ちゃちゃがこんな風になるまでは事務的だった先生の対応が何となく理解できたような気がした。
一頭一頭に思い入れを持っていたらやっていられない仕事なのだろう。
それを、ここ最近何度も自分の身に置き換えて発言してくれたのは、先生なりに私達の犬に対する
気持ちに共感してくれたからなのだと思った。
「医者としてではなく」そんな気持ちを沢山語ってくれたことにとても感謝している。
だからこそ、ここで安楽死という最後の選択史を出してきたのだと思った。
ちゃちゃの状態はそこまで悪化しており、不快感を和らげる為に薬で散らしてきた。
それがあともう少しで痛みや苦しみを感じる限界のところまできている。
先生は一通り話し終えると、後は私の返事を静かに待つ。

癌で凸凹になり、むくみが全身に及び膨れてきたちゃちゃの体。
満足に散歩にも行けず、ばるもえの帰りを一人待つちゃちゃ。
甘える気力もなく横たわる時間が日に日に多くなり、食べられない時が増えている。
それでもちゃちゃはまだ自力で歩き、食べ、水が飲める。私達の帰りを喜んでくれる。
最期の決断を下すのは、まだ少しだけ早い気がした。
「もう一度お薬をいただけますか?」やっとの思いでそう言った。
全身のむくみを和らげる為の利尿剤を加え、消炎剤と吐き気止めを出してもらうことにした。

ここで楽にしてやれば…この先もっと苦しむことになるかもしれない。そんなことも散々考えた。
水が胸にたまれば、呼吸困難に陥り、それは苦しみを伴うそうだ。
まだそれは胸にまでは達していない。それならば、もう少し…やっぱりそう考えてしまった。
こんな状態でまだ生かそうとするのは、余計な苦しみを増やしてしまうだけなのかもしれない。

立てなくなり、動けなくなり、食べられなくなった時は、最期の選択史を選ぶことにしよう。
それで後悔はしない。ちゃちゃもまだ意識がしっかりしているのだから、家に置いておこう。
いっちゃんと話し合い、これでいいよね…と決断した。

むくんで腫れた足をマッサージしていると、少し前に化膿して腫れあがった古傷が綺麗に治り毛が生えてきているのが分かる。
冬毛が抜けて、少しずつ夏毛に衣替えしようとしているのが分かる。
元気だった頃にただれて耳垢だらけになり毎日薬を塗っていた耳が綺麗に落ち着いているのが分かる。
ちゃちゃの体は気持ちと一緒にこんなに前向きなのに。とても複雑な気持ちになる。
でもね、ちゃちゃは本当にいい子だったから、天国への道を進んでいるんだよね。
ちゃちゃは私といっちゃんに本当に沢山のことを教えてくれたよね。
はじめて迎えた大人の犬。はじめて迎えたミックス犬。
ちゃちゃがきっかけで私達の犬への価値観は、180度ひっくり返ったんだよ。


名付けて「カイ眠枕」(笑)カイ君を枕にくつろいでるちゃちゃ。
カイはこの状態でゴロゴロ言ってます。手前のふさふさがもえちゃんのしっぽ。


















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ちゃちゃさんもう少しだけ。 [犬猫日記]

お天気がいいから皆で浜へ行こう。ポカポカの日曜日、3ワンと家を出た。
そう思ったのも束の間、道中でちゃちゃが真っ赤なおしっこをしているのに気がつく。
顔面蒼白。なんてこった…。こんな状態で歩かせてたのか…と、その場から動けなくなった。
大慌てで病院へ電話をしたところ、診察時間外だが、先生は診察をしてくださると言う。
半分来た道をくるっと引きかえす。行く気満々だったハッスルもえちゃんに謝りつつ
何で戻るの?どうかしたの?と不安げなばるにも謝りつつ、家に帰り、ちゃちゃを連れて病院へ。

血尿の原因は膀胱炎。これも確実に体のバランスを崩している証拠だ。
足の古傷の化膿にはじまり、次は膀胱炎。前日の土曜日、ちゃちゃは経過診断、
もえちゃんは抜糸、ばるは混合ワクチンの接種で、3匹一緒に病院へ行っていた。
その時は全く変わった様子もなく、いつもと同じように薬をもらってそのまま帰宅。
ちゃちゃの元気な様子に、私はいつも簡単に騙されてしまう。不甲斐ない。情けない。
ちゃちゃは一生懸命に元気に振舞っている。ばるともえがいるから余計に。

「飼い主さんの前ではいい顔するんですよ」先生の言葉がやばかった。涙が込み上げてくる。
「膀胱炎は序の口。まだこの子には色々なことが起きるから、冷静にふんばってね」
顔を出してくれた院長先生の言葉にまた泣ける。帰りの車は1人号泣だった。
家に着くと早々に下痢を起こし、食べた物も全部戻してしまった。
そして昨日も病院へ。新しい薬を調合してもらうも、病院から帰った直後に吐き戻し。
前日同様食欲もなく、食べられず薬も飲めない。いつもなら大喜びで食べてくれる手作り食にも
少し口をつけただけで、すぐに吐き出してしまう。
そして今日の朝。いつもなら朝私が起きると、ゴハン!ゴハン!と笑顔で起きだしてくるのに
ぐったりしたまま、目だけ動かして私を見ている。

今日の仕事は気が気じゃなかった。
もしも今日も食欲がないようだったら、またすぐに病院へ連れていこう。
お願いだから帰ったら冷たくなってたなんてことにならないで。そんなことばかり考えていた。
大急ぎで会社を飛び出し、少しでも食いつきのいいものをと、今まで手を出したことのない種類の
総合栄養食を買いに走った。犬缶ならば大きいもの、パックならば安いものをまとめ買いで割り引き。
それが手作り食をはじめる前のフードの選び方だった。
大慌てで選んできたのは小さな角型のシニア用。仔猫の離乳缶と似てるかな。

犬の為に本当にいい食生活。それがどんなものであるのか、私にはまだ結論は出せない。
ドッグフード推奨派、手作り推奨派、色々な考えがあり、それぞれにきちんとした根拠がある。
ドッグフードの製造には恐ろしい裏側があったりだとか、そういう話もよく耳にする。
ただ、今のちゃちゃには、喜んで食べてくれるものであれば何でもあげたいと思っている。
それが体に悪いものであったとしても、美味しい、嬉しいと思ってくれるものなら何でも。

バタバタと走る私の足音を聞きつけて、遠くから吠えているちゃちゃの声が聞こえる。
良かった。生きてる!!!吠えてる!!!涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら家に掛け込んだ。
丸2日殆ど何も口にしなかったちゃちゃが、しっぽを振って迎えてくれた。
そして薬を混ぜた栄養食を美味しそうにペロペロとたいらげてくれた。ああ…良かった。
薬が効いたら吐き気も嫌な残尿感なども少しはおさまるだろうし、また食欲も増すだろう。
今のところは様子をみながら、少しずつ、段々と量を増やしていこう。

ちゃちゃの体は日を増す毎にもろくなっている。些細なことですぐに容態が急変する。
血尿が治まっても今度は何が襲ってくるのか分からない。
今まで通りの生活。今のちゃちゃは120%以上の力でそれをこなそうとしている。
急に生活を変えない方がと思ったことがちゃちゃに負担をかけていたのかもしれない。
「気分転換にもなるし、本人が行きたがるうちは連れて行ってあげて。」
そんな先生のアドバイスもあり、散歩は徐々にちゃちゃを別に連れていくようにするつもりだ。
先生の言う通り、真中で両脇の柴と張り合いながら、無理をしてしまうだろうから。
近所を軽くゆっくり歩かせて、回数を増やしていこうと思う。

具合が悪いとちゃちゃは私達から離れたがる。必ずぴったり傍に寄り添って離れないコだったのに。
弱っている自分を見せたくないのだと思う。私は元気よ!そう伝えてこようとしているように見える。

泣くもんかと決めてから、私は何度泣いただろう。情けない。
ちゃちゃがかわいくてかわいくて仕方ない。いなくなると思うと途端に大事に思えてくる。
元気いっぱいだった頃は、はしゃぎまくり、始終甘えてくるちゃちゃに手を焼いていた。
煩い、疲れる。そんな風に思うこともしばしばだった。私は本当に勝手な奴だ。
ちゃちゃがうちの子になって3年。そしてこの夏で4年目を迎えようとしている。
できればちゃちゃの苦手な夏に来て欲しくない。夏が来たら今度こそ駄目かもしれない。

実は、ちゃちゃが大好きだった人に逢わせようか、私は悩んでいた。
いっちゃんも同じ事を考えたそうだ。ちゃちゃは10年共に暮らしたあの人を絶対に忘れていない。
心の底では迎えに来てくれるのを今でも待っているのかもしれない。
うちの子になってから過去に2回、ちゃちゃはあの人と再会したことがある。
その時の喜びようと言ったら…。あの時の極上の笑顔が忘れられなかった。
いっちゃんと話し合って、きっとちゃちゃは今の家族を選んでくれる。
私達とばる、もえ、みっけ、カイと一緒にいられることを喜んでくれている。
そう結論を出した。例えそれが私達のエゴだとしても。

ちゃちゃさん。お願い。もう少しだけあなたの笑顔を見せてください。







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もえの乳癌。 [犬猫日記]

「あ、今日は1人?まだ結果出てないんだよね。明後日2人で一緒に来てくれるかな?」
先生に言われて、気分がずずーんと落ちこんだ。
もえとちゃちゃの経過を検診してもらい、薬をいただきに行った時のことだ。
先生の手元にはカルテと一緒に明らかに検査結果と思われる用紙が見えた。
「私一人じゃ聞かせたくないこと?それって悪い結果ってこと?」

そして昨日2人で病院へ向かった。乳管内乳頭状腺癌(悪性腫瘍)の文字が目に飛び込んできた。
うわ…最悪…。頭がクラクラしてきた。先生が報告書を読み上げる。そして詳しい説明が始まる。
「ん?それっていい結果ってことになる?」急に目の前が明るくなってきた。

今回、もえに見つかった癌は乳管内乳頭状腺癌。通常の乳腺癌に比べ転移率が低いそうだ。
悪性度は中等度、周囲組織への浸潤性も低く、転移性ではなく多発性だと推察され、
切除後の再発や転移の可能性は低いとのこと。
先生が図説してくださった。悪い部分と一緒に周囲の正常な部分も切り取り、取り残しと思われる
部分は見当たらないと。

「要するに、こんな小さなうちにすぐに切り取ったから良かったってことだよ。」
先生のまとめとも言える言葉に、本当にホッとした。良かった…良かった。。。。


もえーーーー(涙)いっぱい怒っていいよ。
牙ムッキーはもえちゃんの元気のバロメーターだもんね。

そして今回悪性だったということは逆に、もう一つの「いいこと」にも繋がる。
最初の腫瘍が良性だった場合、同じような腫瘍が見つかっても、大丈夫だと楽観視してしまうことが多いそうだ。
例え同時期にできた腫瘍でも、片方が悪性、もう片方が良性という場合もあり、
小さなうちに切除できたからこそ、何事もなかったという認識を強めて欲しいという先生の言葉には
大きな説得力があるように感じた。

「ね?一緒に聞いてもらって良かったら?」最後に先生が私に笑顔で言ってくれた。
1人で聞いたことを持ち帰るより、やっぱり直接話を聞いた方がいっちゃんも納得できるし。
そんな気遣いをしてくれたんだなあ…いい先生だ…。

帰りの車の中で「同じ癌でも本とに色々あるもんだな…」といっちゃん。確かにその通りだ。
もえの場合は即切除。そして今後は再発の可能性も低い。バンバンザイだ。
でもちゃちゃは切除不可能、手の施しようがない。日に日に大きくなっていく癌の塊をどうしてやることもできない。
いっちゃんが言った。「何でちゃちゃじゃなきゃかんよ?何でちゃちゃよ???そう思っちゃうよ。」
もえの結果を喜ばなければいけないのに、明暗がくっきりと分かれた事実をつきつけられたような
気がして、何だか気持ちが晴れない私達2人でした。

浜に皆で行けるのは後何回かな…。そんな寂しいことを考えてしまう今日この頃。
ちゃちゃは全力疾走ができなくなった。狼みたいにビュンビュン風を切って走る姿はもう見られない。
それでもまだまだ元気だ。浜に行くと、ちゃちゃ、ばる、もえ。皆の顔が輝く。
ばるは待ち伏せして飛びかかるのが趣味(笑)もえちゃんはブレイク。

はじめてばるを浜に連れて行ったいっちゃんが「ばる、凄いはしゃぐに~」と嬉しそうに言ってきた。
まだばるが小さくて、1匹だった頃のことだ。
そしてちゃちゃが来て。はじめての浜に、全身で砂浴びして走りまわる姿に涙した。
もえと言えば、しっぽを垂れて逃げ回って苦労したっけ。
それが今じゃ3匹仲良く群れてるもんな。。。最近妙に思い出話がしたくなる(苦笑)

何度も、何度でも言い続けたいこと。犬と暮らしたい。そう思うのならば「買う」だけではなく、是非
「引き取る」という選択史も加えて欲しい。
例えそれが老犬であっても、病気を患っていたとしても、五体満足ではなかったとしても、
精一杯生きている姿には必ず心を惹かれると思う。
そして家族としてそのコの変化や成長を見届けられるのは何よりの至福だと思うから。





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もえの切除手術。 [犬猫日記]

癌の宣告を受けてから既に2ヶ月が経った。ちゃちゃはとてもいい状態が続いている。先生曰く「予想外…あ、ごめんね。」だそうだ(苦笑)いやいや、その通りですから。あまりにも元気なので、治療中で打てないから猶予証を発行すると言われていた予防接種をそのまま打たれそうになったくらい。患畜がいっぱいいて大変なのは分かるけど、先生、間違えないで~。

消炎剤は今のところ少し量を減らして、一日おき。それでもちゃちゃさんの食への執着心はエスカレート中。体重も増えた。頑張れ。ちゃちゃ。このまま何事もなかったかのように笑顔でい続けて欲しい。

ちゃちゃのしこりを発見したいっちゃん。今度はもえとじゃれていて「何だこれ!?」と叫んだ。まさか…まさか…。右の3つ目の乳房のわきに、コリコリと触れるものがある。豆粒くらいの大きさのしこりが点々とした状態。翌日病院で診てもらう。「えーと…何処って?よく見付けたねぇ!」先生が感心していた。私には多分見つけられなかったと思う。
いっちゃんには確かに鋭いアンテナがある。私より、よっぽど犬たちの世話もしなければ、散歩もしょっちゅうサボる。傍にいる時間だって短い。それなのに、いつも何か異常を発見するのはいっちゃんだ。よくよく考えれば、ばるも、もえも、みっけも、出会うきっかけを持ってきたのはいっちゃんだ。
犬猫が増えたのは全部私のせいだと言っていたけど、実際は奴のアンテナが働いていたせいだ。
きっと君には未知の力があるんだよ。俺は可愛がるだけ~なんて開き直ってるけど、何かあるよ。

そしてその場で検査の予約をした。乳腺のできもの。これは犬にはとても多いもので、特に心配しなくてもいい場合が多いそうだ。ただ外から触っただけでは分からない。後から、あの時…と後悔するのは避けたかったし、もえだっていいお歳になる。幸いちゃちゃと違って左右対称に仲良くできたネットワークのしこりじゃない。良性にしろ悪性にしろ、今のうちなら打つ手がある。なんでもないに越したことはないのだから。

検査入院の日、夕方いっちゃんと一緒にもえを迎えに行った。一通りの説明を受けて、私はショックを受けた。しこりの部分の細胞を調べて、その場で確認ができると勘違いしていたからだ。ちゃちゃの時は染色した細胞を顕微鏡で見せてもらったから、てっきりそれと同じだと。どうしよう、どうしようと気が焦り、先生の話をしっかり把握できていなかったようだ。実際は切除手術で、切り取った部分を検査に出して結果が出るまでしばらく時間がかかるそうだ。そして切り取った部分を見せてもらった。もえちゃんのおっぱいの裏側にボコボコしたものが見える。
「おっぱいがなくなっちゃったんだ…」無性に悲しくなった。

「医者の目から見ると、ちょっといやらしい広がり方なんだよね…」曇った表情で先生が言った。
ただ検査の結果が出なければ、何とも言えないけれど、やっぱり嫌な予感がつきまとう。
もしも悪性だった場合、右側の乳腺、お乳を全て切除することになるそうだ。お腹に包帯が巻かれたもえが出てきた時は、涙が出そうになった。「大人しくて、言うことをちゃんと聞くとってもいい子ですよ」そっか、もえちゃんいい子だったんだね。偉かったね。。。

人間だったら、痛い痛い言える。私だったらきっとわめいているだろう。ここぞとばかりに周囲に当たり散らして、大騒ぎしていたかもしれない。口が聞けない動物。とても気高いと思う。望んだわけでもないのに、突然病院に連れて行かれて、そのまま置いていかれてさぞかし不安だったろうに。
痛み止めの注射が切れたら、傷口が痛むだろうに。ごめんね、もえ。痛み止めの薬も、今痛くなったよ。そうは言ってもらえないから、おおまかな時間を計算して与えるしかない。

もえの様子はいつもとあまり変わらない。食欲も旺盛で、散歩にも率先して行きたがる。どうか、何事もありませんように。検査結果が無事、良性と出ますように。ちゃちゃともえを一度に失うことになったら…辛過ぎます。

末期のちゃちゃ、術後のもえ。その中で一番元気なはずの若いバルト-。それなのに、ばるは最近めっきり元気がない。食欲もない。散歩もトボトボ…。普段からマイペースで大人しい子だけれど、大人し過ぎて心配になるくらいだ。たて続けにこんなことがあったから、過敏になっているんだといっちゃんは言う。一人にかまうことなく、皆に平等に接しているつもりだけど、ばるは何かを感じとっているのかもしれない。とても敏感な子だから、まるでちゃちゃの病気を吸いとっているみたい。ばる…大丈夫?

今かなりいっぱいいっぱい。でも、みけもやんとカイカイがそんな気持ちを和らげてくれる。お腹を揉め!さあ揉んで頂戴!とごろーんと仰向けになってゴロゴロするみけもやん。ちゃちゃ母さんにお尻をベロベロされようが、何をされようが相変わらずゴロゴロしているカイ。ちょこちょこっと寄ってきて、膝の上に乗ってきたり、ちょこんと傍でくつろいでいる猫たち。ありがとね。君達がいつもの君達でいてくれて、随分救われてるよ。

3ワン2ニャンとの平穏な生活。それが今、ガタガタと音を立てて崩れているような気がする。
これから先、どうなっていくのだろう。ちゃちゃが、奇跡みたいな今の状態をずっと保ってくれればいいのに。もえに、最良の結果が下されればいいのに。ばるが元気にはしゃいでくれればいいのに。








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同じ柴でも。 [犬猫日記]

柴のシンプルな容姿が私は大好きだ。「イヌです」って感じ(笑)
散歩をしていると、よく聞かれる。「この子達親子?姉妹?よく似てるね~」
確かにおおまかに「犬」を捉えている人から見れば同じように見えるんだろな。
同じ犬種だし当たり前か。そりゃ似てるよな。
ただ私達の目から見ると、うちのバルト-ともえを筆頭に柴ちゃん、柴系ワンが
「同じ柴でも全然違うよね~」となる。
自分とこの子だし、中身も知ってる訳だから当たり前か。そりゃ違って見えるわな。


向かって左がバルト-、右がもえ。

うちのおでぶやん(バルト-)はでっかい。スタンダードとされる標準体型よりかなりでかい。
女の子だけどばるより大きい柴ちゃんには男の子を含めてもあまりお目にかかったことがない。
もへこ(もえ)はうちの中にいると、もの凄ーくちっちゃく見える。
ばると並ぶと、耳も鼻もちっちゃくてミニミニサイズの豆柴のように映るが、実はそんなに小さくない。
そしてばるの子供だと思われることが多い。顔が童顔で性格も天然。確かに若く見える。
実年齢を聞くと皆驚くが、私も最初にもえを見た時、シニアの部類に入るだなんて思いもしなかった(笑)
一方のばるはおっとりであまりはしゃがない。老けて見えるのも頷ける。

同じ赤柴でも毛色や毛質、顔つきなど見れば見る程違って見えてくる。
柴びいきだったり、犬好きな人に見解を聞くと、うーんやっぱりと思う。
「こっちのは変わった顔してるね。柴っぽくない。毛質もちょっと違う」
と言われるのがもえ。私達もそう思う。
柴犬の協会や保存会によっても特徴が随分と異なるけれど、ばるのようなよくある(?)
顔つきでも、もえのようなちょっと変わり種でも、やっぱり個々に魅力がある。

いっちゃんはそれを喜ぶ。奴にとってほんの数年前までは「犬」は皆同じだった。
犬と暮らすのなら大きな白い犬がいい。犬イヌとうるさい私と暮らすようになって、
ただ漠然と思っていたそうだ。それが今では「ばるともえって全然違うよな~」
「同じ犬でもほんっとに違うもんだな~」なんて目を細めながら嬉しそうに呟く。
外出先で犬を見かけると、それがどんな犬種でも「あ!ワンワンだ~、ワンワン」
と子供のようにはしゃぐ。(絶対に他人には見られないように気を配りつつであるが)


左からうちの大中小。ちゃっちゃばあば、ばるやん、もぺに。

そこにちゃちゃが加わると、更にもえが小さく見える。
ちゃちゃは多分ハスキーと柴系のごちゃまぜミックスだと思われる。
ハーフというよりクオーター?いやもっとかも。足には茶色のブチがあり、尻尾の先だけ白い。
たまに「この子は何ていう種類の犬ですか?」と聞かれる。ミックスの魅力は計り知れないな~。
ちゃちゃは黒っぽくて短毛で、とにかく凛々しいのだ!(笑)
きっと色んな血が入っているんだろうけど、日本犬風なテイストをいい具合にかもし出している。
そんなちゃちゃばあばが、シンプル好きの私達にはたまらない。

うちのワン3匹+ニャン2匹との賑やかな生活。時にはそれが大変だ、自由がない。
そんな風に思ってしまうことがある。でも彼女達は私達人間よりも確実に早く、歳を重ねている。
この5匹との生活があとどれだけ続くのかは分からない。
でもそれが確実に残り僅かなところに近づいてきていることが分かった今、
この生活を大切に、しっかりと噛み締めていかなければいけないと思った。

私達はこの子達と出会えて幸せだ。それは確かなことなのだから。


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うちの子に限って… [犬猫日記]

犬の認知(痴呆)症、癌、成人病にあたる疾患などが増えている。
犬を家族として扱う人が増え、食生活、生活環境が良くなり寿命が延びたからだ。
それは客観的に捉えていた事柄だった。まさに「うちの子に限って」の心境だ。

ちゃちゃの異変に気がついたのが1月。
ちゃちゃと遊んでいたいっちゃんが「何だこれ?」と下腹部のしこりに触れた。
すぐに病院へ連れて行った。その時点での先生の見解は「犬によくある乳腺のできもの」の可能性だった。
「1ヶ月程度様子を見て、大きくなるようであれば連れて来てください。」
その言葉が引っ掛かり、それから、ちゃちゃの体をまさぐるように触るようになった。
下腹部の片側のしこりが徐々に大きくなってきているように感じられる。
両頬から首にかけて、小さな球のようなものが重なってぐりぐりと手に触れる。
普通に触れただけでは何の違和感もない。ばるやもえの同じ部分を探ってみる。何もない。

心配性な私に先生はいつも失笑していた。
「気にし過ぎですよ。犬によくあるオデキですよ」そう言ってくれるのを願っていた。
「片側が大きくなっているように感じます。それから首のあたりにも…」
ちゃちゃの体を触っていた先生の顔が曇った。「すぐに精密検査をしましょう」
その時点で嫌な予感がしていた。そしてその予感は的中してしまった。
「悪性リンパ腫」それがちゃちゃに下された病名だった。

先生の説明を聞きながら涙が止まらなくなった。泣くつもりなんてないのに。
「嘘でしょう?」そう思いたいのに「ああ…やっぱりそうだったんだ…」そんな悲しい確信。
一通り説明を受けた後、先生が3つの選択史を与えてくれた。
抗癌剤による治療、それよりマイルドな投薬、何もしない。
その場で即答することはできなかった。家に帰りいっちゃんと相談することにした。
ちゃちゃの為にどうするべきなのか?なかなか答えはでなかった。
考えて考えて考え抜いて2人で出した結論は、抗癌剤による延命治療はしない。
ちゃちゃが生きていて嬉しい、楽しい、幸せだと思える時間を延ばしてやりたい。
その結論を持って後日2人で先生に逢いに行った。抱えていた疑問も全てぶつけた。

Q・もっと早くに気が付いていれば方法はあったのですか?
A・最初に診てから1ヶ月でこんなに大きくなっているのだから充分に早期発見と言えます。
頭を触る飼い主さんは多いけれど、あの状態で発見できたのはきちんと体を触っていたからです。

Q・腫瘍を切り取ってしまえばいいのではないですか?
A・この子の癌はリンパ節に左右対称にできています。
ネットワークで繋がっているものを切り取るのはナンセンスです。不可能です。

Q・先生ならどうしますか?
A・医者という観点からすれば、抗癌治療を薦めます。でも自分の犬だったら…考えます。
押しつけ治療はしたくないんです。常に幾つかの選択史を用意して、その子の為に
一番だと思う方法を家族に選んで欲しい。それが何よりの方法です。

Q・あとどれ位なんですか?
A・若くて健康な子で2ヶ月だと思って下さい。ケースバイケースです。
この子がいつまでかとは言えません。でもこの子はきっともっと頑張ってくれると思います。

抗癌剤による延命治療はそれぞれのケースによってかなり確立されているそうだ。
プログラムを組んで、注射、血液検査、投薬、点滴。副作用もできるだけ少ないものを選択していく。
でもそこまでしても、何の反応も示さない場合が2割、半年後の生存率は5割など、統計も出ている。
そしてそれは「治る」のではなく、あくまでも延命。

私達が2つ目の方法を選んだのにはいくつかの理由がある。
私の仕事仲間のSさん。彼女は14歳になるマルチーズのアボちゃん、愛称「お姉ちゃん」を亡くしたばかりだ。
心臓に爆弾を抱えていたお姉ちゃんは、強い心臓の薬を1年間投与された。
その薬が肝臓を傷めつけ、食べられなくなり、動けなくなり、そして力尽きた。
私は毎日Sさんからお姉ちゃんの話を聞いていた。最後の何ヶ月間かは、毎日点滴に通い、
片時も目が離せない状況が続き、Sさんも随分気を病んでいた。
心臓の薬がなければ、お姉ちゃんの心臓は機能しなくなる。でもそのせいで肝臓が駄目になった。
一度壊れてしまったバランスは簡単に元には戻らない。
ああしてやれば…こうしてやれば良かったのか、そんな想いを抱えながらも、Sさんはお姉ちゃんの
為に必死だった。
そんな気持ちを毎日聞きながら、Sさんがどれだけお姉ちゃんのことを大事に思っているのかが
痛い程伝わってきて辛かった。

ちゃちゃの病気が判明したのは、お姉ちゃんが亡くなる1ヶ月程前のことだった。
「お姉ちゃん私の腕の中で逝ったよ。今までありがとね。」ある日Sさんは笑顔で言った。
そして「これ、良かったらもらってくれる?」そう言ってお姉ちゃんのフードを差し出してきた。
私は涙をこらえようと顔をしかめたらしい。「死んだ子の物なんて迷惑だったかね…」
Sさんが後からそう言ってきた時、とても申し訳ない気持ちになり、きちんとその時の気持ちを
説明した。そして、ありがたく頂いた。

「私もね、毎日点滴、点滴でいっぱいいっぱいだったよ。先生はいつどうなってもおかしくない状況
で、生きているのが不思議だって言ってたよ。よく1年も頑張ったって」
それはお姉ちゃんがSさんと旦那さん、自分の家族に囲まれて嬉しくて幸せだったからだと思った。
Sさんがお姉ちゃんの為に一番いいと思った方法を選択したからだと思った。
Sさんの言葉を全て文章に書き表すことはできないけれど、その言葉に色々な想いを感じた。

それから10年以上前に亡くなった母の親戚の叔父さん。末期の癌で自宅に戻っていた。
縁台で美味しそうにタバコをふかす叔父さんを見て、その家族は笑顔で言っていた。
「最後は好きにさせてやれって先生が返してくれたの。
病院にしばりつけて好きなものを我慢させても辛いだけよ。タバコが大好きな人だしね。」
それから間もなく、叔父さんは逝った。
ずっと忘れていたのに、あの時の叔父さんの後姿が急に鮮明に蘇った。

ちゃちゃがまだバルト-位に若かったら、私達は抗癌治療を選んでいたのかもしれない。
ちゃちゃは推定13歳以上。充分高齢の域に入る。
延命だけに的を絞るのは、ちゃちゃにとって残酷なことかもしれないと思った。
癌は誰の体の中にもある。それが体の中で勝るか、大人しくしているかの違いだ。
この子がうちの子になってもうすぐ丸3年。
一人ぼっちで誰からも相手にされず、短い鎖で繋がれたままの10年があった。
馬鹿犬、怖い、煩い。殺してやった方が幸せ。それがちゃちゃが信頼し愛した家族に受けた仕打ちだ。

美味しいご飯が食べられる。毎日散歩に行ける。毎日水が飲める。
名前を呼ばれるだけで嬉しい、目が合うだけで嬉しい。私達が傍にいること。
それが今のちゃちゃの幸せではないかと思う。
それならば延命治療による薬の副作用や痛い思いを増やしたくないと思った。
先生と犬仲間が話してくれた共通のホスピスという観点。
体はいっぱいいっぱいなのに、精神的にはとても満たされていて笑顔がたえない。
そんなちゃちゃの「愉快寿命」を少しでも長くしてやりたい。

抗癌剤よりマイルドな薬。消炎剤の投与がはじまって約1ヶ月。
癌に効くと言われる食材を見つけると手作りフードに入れてみる。
癌の本があれば読み漁り、癌に勝ったという体験談にちゃちゃを重ねる。
ちゃちゃは今、とても元気に見える。でも体のバランスは確実に崩れてきている。
消炎剤で腫瘍が縮まり、本人は爽快な気分のようだが、その薬は抵抗力を弱めるそうだ。
ちょっとした古傷が化膿して瞬く間に腫れあがってしまった。
それを優先して治す為に、消炎剤を減らして抗生物質の投与。
一長一短。こちらを立てればあちらが倒れる。Sさんのお姉ちゃんと同じだ。
頻繁する通院。車には慣れたはずなのに。この間は病院までの車の中で嘔吐してしまった。
検査入院以来、病院ではそわそわと落ち着きがなくなり、不安そうな表情を見せるようになった。
こんなことならば、最初から抗癌治療を選んだ方が良かったのではないか。
私達の選択は正しかったのだろうか。

まだ癌との闘いははじまったばかりなのに、早くも気持ちがぐらついている。
心のどこかで「癌が消えました」そんな先生の驚いた顔を見たいと願っている。
ちゃちゃ。あなたの幸せって?私達はどうしてあげればいい?











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